53,エルミルシェ(過去編)
意識を取り戻して、まず目が見えないことに気が付いた。
瞼を開けた感覚はあるのに、何も見えてこない。
ただただ暗い、闇が広がるばかり。
カビ臭く、血の匂いも混じる場所で、冷たく硬い地面の上に吾輩は転がされていた。
手をついて起き上がろうとして、今度は指がないことに気付いた。
手首は動き、手をついた感覚はある。
手のひらはあるのだろうが、その先の感覚がなかった。
足を動かそうとしても、足の付け根や膝辺りまでは動くのに、足の先に力が入らない。
誰かと声を出そうとして、だが何も発することは出来なかった。
(どうして……?
どういう状況なの?)
そこにイスティランノと、何かの夜会で聞いたことのある令嬢の声が聞こえてきた。
そうして告げられたのが、あの時の映像なき声だけの過去のビジョンだ。
あれはあそこまでで切れているが、あの後ラブシュカも吾輩の元に来てな。
ペラペラと沢山のことを教えてくれたよ。
吾輩の状況、これから起こること、過去に起きたこと……それらの真実を。
吾輩は映像の声にもあった通り、両目と両手の指を奪われ、喉は焼かれて声を失ってしまった。
血はどれほど抜かれたか体感では分からなかったが、髪は確かに随分短くなってしまっていた。
そして魔封じの枷を付けられた上で、歩けないように両足の腱を切られた。
全ては吾輩を戦争の首謀者として処刑するために。
『魔女エルミルシェは確かに多くの功績を残しているが、それは戦争を起こすための布石だった。
人々に手を差し伸べ、イスティランノの婚約者の座を得たのは、全て戦争で多くの死体を得るためだったのだ』
その噂の出処は、他でもなくイスティランノと横に並ぶ令嬢だった。
イスティランノは吾輩のことを『魔女の強大な力があるというのに、自国の戦争にも力を貸さぬ腑抜け』と言っていたそうだ。
一番信頼出来ると思っていたはずの相手は、ただ吾輩を利用していただけだった。
そして使えぬと分かればさっさと見切りを付けられ、用済みだと捨てられたのだ。
吾輩が戦争を止めていたと貴族派の者達は知っていただろうに、彼らは噂の方を肯定した。
彼らの立場をこれ以上悪くしないために、吾輩だけを悪として糾弾し、自分達の保身を図ったのだろうな。
噂が消えゆくどころか、どんどん広まっていって当然だった。
あの者達がそう望んでいたのだから。
吾輩は民衆の前で処刑されると言われた。
吾輩が守りたかった民達の前で、謂れのない罪を読み上げられ、全てを吾輩のせいにして、この首を落とされるという。
そして、ラブシュカが吾輩に薬を望んでいたのは、金をかけず楽に手に入れられるからだった。
基本的に作らされていたのは惚れ薬と避妊薬で、始めは何故王妃がこんなものをと思っていたが、何年も頼まれていたら自然と察することが出来た。
王妃が享楽に身を委ね、遊んで暮らしているのだと。
魔女の作る惚れ薬や避妊薬は、普通の代物とは効き目が桁違いだからな。
王妃でありながら他の男の子を孕ませるようなことはあってはならないと、ラブシュカ本人が思っていたのか、それともレスノワエ公爵から言い含められていたのかは分からないが、薬を頼まれる時には必ず避妊薬が含まれていた。
吾輩は己が成長すると共に、徐々に薬を出し渋るようになった。
王妃として良くないのではないか、とね。
結果、ラブシュカは吾輩に頼むことを止め、レイスリーク皇国の魔女に再度依頼することにしたのだ。
まさかラブシュカが別の魔女と繋がっているとは思わなかった。
戦争のせいで、今までのように買い付けや依頼が出来るか定かではないが、そもそもその魔女は国の中で危険視されていたために、一番外側の目立たない所でしか薬の販売を許されなかったらしいので、王妃たっての希望だと言えば喜んで移住してくるだろう。
吾輩は様々な者の思惑に利用され踊らされ、最後にはそこらに転がる石ころのように扱われた。
吾輩の功績も想いも踏み躙られ、全ての悪を背負わされたのだ。
さて、ここでラブシュカが魔女の薬を知るに至った経緯や、実際どんなものを利用していたのか、そして何より、ロイエストに何を飲ませたのかを説明しようではないか。
その薬を作っていたのは、レイスリーク皇国の交易可能区域の中でも、あまり目立たないところに店を構えている薬屋だった。
取引のため皇国に行っていた子爵が丁度腹の調子を悪くし、その薬屋を利用したことが始まりだったそうだ。
薬の効果が非常に高く、何度か足繁く通っていると、その薬屋の店主が「自分は魔女だ」と教えてくれたのだそう。
まさかと信じられずに居ると、店主から様々な効果の薬を並べられ、その内の一つを渡された。
「これを飲ませれば、人の心を意のままに操れるだろうさ」と、その店主はうっそり笑ったのだという。
それでも信じてはいなかった子爵だが、中々交渉が上手くいかず頭を悩ませていた取引相手に、物は試しだとそれを飲ませてみることにした。
すると今までが嘘のように、トントン拍子に話が進んだ。
子爵はあの店主は本当に魔女かもしれないと思い、様々な薬を買い上げることにした。
しかし魔女の作る薬でも、少なからず魔力の痕跡が残ってしまう。
何かをきっかけに薬を使用していることが知られては困ると子爵が言うと、その店主は薬に魔術での鑑定を掻い潜るためのまじないを付与することで、魔力が見付からないように出来ると返してきた。
――それは薬に独自のルールを与える、というもの。
分かりやすく、かつ国王が不貞を働くに至った薬で説明するとしよう。
ロイエストが飲まされたものは、一時的に飲んだ者の声を失わせ、酩酊・催淫状態にする液状の薬だった。
水と混ぜて出されたその薬には、魔女があるルールを加えていた。
『この物一人で味わう時、薬の効果のみが行使される。
この物小半時内に二人で分かつ時、先の者から後の者へ力を行使するものとし、その後何人たりとも二人の仲を割くことなきよう、ただの水に姿を変えよ』というものだ。
ロイエストが飲んだのは、後半の"この物二人で分かつ時"に該当する。
薬の入ったロイエストのグラスから、毒味のためにと先に飲んだラブシュカが後に飲んだロイエストに力を行使したことになり、ラブシュカには効果は現れず、ロイエストだけが一身にその効果を背負った。
そしてルールに則って、ラブシュカとロイエストが薬を含んだ水に口を付けた時点で、グラスに残っていた薬は薬としての効果を失う代わりに、証拠の残らないただの水と変化していた。
ただの水では薬剤師が調べようとも、魔術師が鑑定しようとも引っかからない。
吾輩のような魔女の力を持つ者でなければ、薬に気付くことも、その原理を解き明かすことも出来なくて当然だっただろう。
ラブシュカは、子爵令嬢の頃から甘やかされて育てられてきたせいで、思い通りにならないことが嫌いだった。
その上、ラブシュカには幼い頃から身近に魔女の薬があったため、様々な薬を利用して好き放題に生きていた。
都合が悪くなると、子爵の伝で取り寄せていた薬を使って、昔から他人を言いなりにしたり従わせたりしていたらしい。
この女にとって、都合のいい人間を作ることが日常であり、普通のことだったのだ。
相手を陥れる願望はないが、ただちやほやされたいという欲でしかラブシュカは生きてこなかった。
ロイエストと結ばれることが決まり、自動的にその心も手に入れられると思ったラブシュカは、その後好き放題に振舞った。
公爵令嬢という身分を手に入れ、後の王太子妃や王妃になれることに酔いしれ、もっと誰かに認められたいし、もっともっとちやほやされたいと望んだ。
見目のいい令息達に傅かれ、多くの愛を囁かれたい。
勉強や仕事なんてしなくても、自分を愛してくれる男なら沢山居るもの――と。
そんな振舞いをロイエストが許すはずもなく、結果として側妃となったミセラティアが、事実上彼の一番となった。
退けたはずの女が、また戻ってきたのだ。




