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52,エルミルシェ(過去編)


レイスリークの皇族達は前にも言ったように、謹厳実直な者達が多かった。

国賓として招かれた天皇や皇后、皇太子やその婚約者の令嬢とは、イスティランノの婚約者として一度だけ話す機会があった。

彼らは自国の地と民を愛していて、天災や飢饉に備える政策や、その姿勢について聞かせてもらったことがある。

レイスリーク皇国は小国ながら、()の国の者達は自国からあまり他国へ移住しないと聞いていたが、なるほど民達もまた、自国と国を治めている皇族を愛しているのだろうと思ったものだ。

吾輩もいつかそんな王太子妃にならねばと、気合いを入れ直したのを覚えておる。


そんなレイスリーク皇国は、こちらが身勝手に攻め入ったというのに、戦での被害以上の賠償金請求をしてこなかったのだ。

彼らは真に優しく、そして強かだった。

隣り合う国同士、無益な戦など止めて上手く付き合っていこうと、敵ではなく強固な味方になろうと、暗にそう伝えてくれていたのだ。


だというのに……王国は、イスティランノや貴族派は、その手を振り払ってしまった。


イスティランノは吾輩にも知らせず、水面下で着々と準備をしていたらしい。

退却してから約一年もの時間をかけ、王国中の魔術師を集めて軍を再編成し、レイスリーク皇国へと向かわせたのだ。

更には皇国の上下に位置する、北側と南側の隣国で傭兵まで雇い、三方向から挟み込むように攻め入らせた。

置き去りにされた吾輩は、ただ王城で見ているしか出来なかった。


流石にそこまでされては、皇国も黙ってはいられなかったのだろうな。

王国軍は吾輩の治癒もなく無様に返り討ちに遭い、更に皇国軍は勢いそのままに、ソルナテラの王都を火の海に変え、この国を蹂躙した。

美しかった王都は一瞬にして見るも無惨な姿に変貌し、そこかしこで煙の上がる瓦礫の山と化してしまった。



多くの者が死んだ。

戦争に向かった騎士達や兵士達も、攻めてきた皇国から国を守るために戦った者達も、そして――王都でただ平和に暮らしていただけの無辜の民達も。


吾輩は、それでも戦争に手を貸さなかった。

傷付いた者達の治療をすることはあっても、皇国の者達に刃を向けることは一度たりともなかった。

何故なら、こちらを襲ってきたレイスリーク皇国が悪いのか?と己に問えば、答えは否としか言えなかった。


勝手に攻め入った挙句、相手の許しを踏み(にじ)って再度挑んだのはこちらの国の者達だ。

ソルナテラに住まう民達に非はない。

しかしそれを言うのであれば、レイスリーク皇国に至っては、民やレイスリーク内の貴族、皇族は、理不尽に攻め入られ襲われたのだ。

彼らに反撃する理由を与えたのも、こちらが二度も攻め入ったからに他ならない。

どちらが悪しき国かなど、言わずもがなだった。



それから暫くして、戦地から騎士達や兵士達が戻ってきた。

死傷者も共に帰ってきたが、国に戻って来れた死者の数は一部だったという。

死傷者を戦場から連れ帰ってくるにも労力が必要で、戦でボロボロの彼らにそんな余力などあるはずもなかった。

まだ命ある者を優先し、そして更に身元の判別が出来そうな死者を厳選して、彼らは変わり果てた国に戻ってきたのだ。


死者を前に、吾輩は無力だった。

禁忌とされる蘇生の魔法がないわけではない。

だが、禁術としての知識があるだけで実行したこともなければ、他人の命の代償を吾輩が何かしら支払わなければならず、己を犠牲にして他国に攻め入った者達を蘇らせるなど、そんなことは出来なかった。

静かな眠りを祈ることしか出来ず、せめて生きて戻った者達を救おうと、吾輩は寝る間も惜しんで負傷者の治療と薬の調合を行った。


負傷者の体は綺麗に癒してみせた。

欠損も蘇生させ、筋力は鍛えて戻す必要があるだろうが、それでも不自由なく生活出来る体に戻してみせた。

――しかし、傷付き壊れた心までは戻せなかった。

これもまた良くない魔法だが、人格操作や一部の記憶消去などが行えないわけではない。

だが、吾輩はそれも躊躇し、結局行使することはなかった。

身勝手に皇国を襲っておきながら、その罪を背負うことなく忘れさせてしまえばいいなど、そんな安直な(ゆる)しを与えるべきではないと思ったのだ。

体だけでも不自由ないよう治してやったのだから、せめてその心に刻んだ恐怖を忘れず、己の罪と向き合ってほしかった。

その治った体で罪を贖い、生きてほしいと願ったのだ。


奇跡の力を持っているからこそ、魔女としての矜恃を忘れてはならない。

この力を心のままに振るうことが全てではないと、誰かを助け得る力を持っていたとしても、使ってはいけない時があるのだと、吾輩は伸ばしそうになる手を何度も留め、歯を食いしばりながら己に言い聞かせた。

これが戦争を止めきれなかった、吾輩の責任なのだと悟った。

それならばどれだけの時間をかけてでも、彼らの心をゆっくり治していこう……それが吾輩の選択だった。




だが、そうして負傷者の治療に明け暮れて数週間、吾輩は恐ろしい噂を耳にしてしまった。

『イスティランノ王太子殿下の婚約者であるエルミルシェ嬢が、魔女の力で王太子殿下を洗脳し、戦争を仕掛けさせた』というものだった。

それを初めて聞いたのは、患者である騎士達用の救護塔だった。

とある一室から漏れ聞こえてきた話に、吾輩は血の気が引いたよ。

吾輩が治療した騎士達が、吾輩こそ戦を仕掛けさせた張本人のではと話していたのだ。


吾輩はその部屋の扉を開けることなく、気付けば駆け出していた。

そうして走っている最中、意識して周りを見てみれば、これまで吾輩を慕ってくれていた者達や、尊敬していると言ってくれていた者達の目が、こちらを睨んでいるような、疑っているような、そんな色に変わっていることに気が付いた。


吾輩はイスティランノの執務室に駆け込み、噂について打ち明けた。

すると、イスティランノから

「俺やお前を陥れたい誰かが、そんな噂を流したのだろう。

お前は寧ろ、戦争を止めてくれていたじゃないか。

俺はお前のことを分かっている」

と言われたのだ。

イスティランノが、王太子である彼が信じてくれているのなら、きっと大丈夫だろう。

きっとみな敗戦したことで苦しみ、誰かを敵にしなければ苦しく辛いのだろうと、吾輩はそう思うことにした。

治療を続け、薬を煎じ、人々を救うために奔走していれば、いつか必ず分かってくれる。

今は自分に出来ることをしよう……そう思い込むことで、己の中で噂をなかったことにしたのだ。


しかし、吾輩の思いとは裏腹に、噂はどんどんと広まっていった。

数ヶ月も経てば、みな吾輩から離れていってしまった。

遂には王城でも、他の貴族から「お前が王太子殿下を洗脳し、戦争を起こさせたのだろう!?」と直接掴みかかられそうになることもあった。

昔治療してやったはずの者達も、気まずそうに目を逸らして足早に去っていく。

疲弊した吾輩の心は、とうとう限界に達してしまった。


(私は止めたじゃない。

戦争など起こすべきではないと、イスティランノ殿下に、側に控えているレスノワエ公爵や彼ら支持派の人達に、何度も訴えかけていた。

なのにどうして、私が首謀者だと言われているの?

――私が、魔女だから?

この力でこれまで多くの命を救い、人のために力を使ってきたというのに?

私を罵る貴方達だって、私の治療や薬の恩恵を受けてきたはずなのに、都合が悪くなれば私を悪だと言うの?

どうして?――どうしてっ!!)


吾輩はふらつく足をイスティランノの執務室へと向けた。

暫く吾輩は表舞台に出ない方がいいかもしれないと、そう考えるほどに至っていた。

そもそも吾輩自身が誰かの力になれる状態ではなかっただろう。

心を吐露するようにイスティランノに告げると、珍しく彼自ら茶を入れてくれた。

「それでも飲んで落ち着け」と言われ、労わってくれているのだと勝手に思い込み、何も考えずそれに口を付けてしまった。

それほどまでに、吾輩の心はボロボロだったのだ。

少しでも疑いを持ってかかれば、先に飲み物を鑑定出来たというのにな。



そうして吾輩は――全てを奪われたのだ。



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