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「えぇと……豪快な料理……だね?」
「吾輩とて、望んでこうなったのではないのだがな……」
吾輩は虚ろな目でそれを眺める。
テーブルの上には昼間の食事とは打って変わって、豪快な猪肉がこんがりと焼かれて乗せられていた。
吾輩はヴィスが眠った後、リンデンと共に家の裏口から出て、山を少し登った先にある畑に向かった。
吾輩が管理している裏庭の畑には、野菜や薬草など様々なものが植わっている。
しかも季節感など皆無の、なんでもありの状態で育つので、春だろうが夏野菜も秋野菜も育つ。
吾輩が特別なだけだ、気にすることはあるまい。
ラベンダーを摘み、今日の食材を収穫して、空いている畑に新たに種を植える。
そうして家に戻ろうとした時、上の方から動物の走ってくる音が響いた。
結構な大きさの動物のようで、驚いた鳥達は木々からバタバタと飛び立っていく。
「……なんだ?」
「きゅう……?」
そして現れたのは、大きな猪だった。
繁殖期のせいか荒々しいその猪は、こちらに気付くと吾輩目がけて突っ込んできた。
あっと思った時には時既に遅く、今し方手入れした畑の一部が踏み荒らされたのだ。
間もなく収穫時になるはずだったカボチャは、見事に踏まれて割れてしまい、ほうれん草もぐしゃぐしゃに千切れてしまっていた。
ひくりと頬が引き攣り、気付いた時には叫んでいた。
「貴様、許さんぞ!!」
動物相手であれば吾輩が話せると、意思疎通は可能だと、確かにそう言った。
そうは言ったが、それはあくまでこちらに意思疎通の意思があってこそである。
他を荒らされる前にその巨体を瞬殺したはいいが、無惨にも踏み荒らされたカボチャやほうれん草は、元には戻らない。
とほほと肩を落としながら、猪の血抜きをしている間に駄目になってしまった野菜を処分し、畑を休ませるために肥料を撒いて耕しておく。
明日また何かを植えよう……そう思いながら猪を解体する。
肉は食えるし、動物達の礼としても使える。
皮や牙は、街に薬を売りに行ったついでに買い取ってもらうことも出来る。
悪いことだけではないのだ。
悪いことだけでは。
だが、カボチャの煮物と、ほうれん草のおひたしを食べるために植えていたというのに……おのれ。
「ということがあったのだよ」
「いや、まずエルミルシェ殿が猪を仕留めて、解体までしてきたということに驚いていいかい?」
「吾輩の……吾輩のカボチャとほうれん草が……っ」
「カボチャとほうれん草よりも、猪のことの方が重要だと思うんだ?
ねぇ、僕の話を聞いて?」
全く会話が成立しない吾輩達を、リンデンは「きゅ〜」と呆れながら眺めていた。
山で取ってきたクルミをかじかじと齧っている。
ちなみにお裾分けのつもりなのか、ヴィスの前にも木の実が並べられていた。
律儀なことである。
そんなわけで、まだヴィスの腹には重たいだろうと思いつつも、猪肉は鮮度が落ちれば途端に臭みが増すので食卓に出さざるを得ず、夕食は豪快な香草焼きとなったのだ。
胃に優しいように、他にもスープや小鉢を用意してはいる。
食べられるだけ食べてくれたらいい。
ちなみに残りの猪肉は、冷凍したものと酒やヨーグルトに漬けたものがある。
それでも全部を処理するのは流石に大変だったので、近くに居た動物達に分けてやった。
また何かの時に働いてくれるだろう。
「それにしても、猪肉ってこんなにも美味しいんだね。
ジビエ料理は臭みがきついイメージだったけれど」
「加工まで迅速にせぬと、臭みが増すのだよ。
狩ってすぐに捌いているし、香草と焼くことで僅かな臭みも抑えられる。
素材を生かすも殺すも扱い次第ということだ」
「……ねぇ、エルミルシェ殿は十歳くらいだよね?
なんだか年長者と話している気持ちになってくるのだけれど」
「くくくっ、さてどうだかね。
レディに年齢を聞くものではないよ。
しかし、こんな見た目の二十歳なんぞ居るかね?
ある程度、成長の止まった頃合の……二十歳と三十歳が分からぬことがあってもな」
ヴィスは「そうだよねぇ……」と頭を悩ませているようだ。
吾輩が特別なだけだ、三度目なので以下略である。
ヴィスは肉を嬉しそうに食べていたが、やはり次第に重たく感じたらしい。
食べきれなさそうだったので、残ったものはまた動物を呼び付け食べさせてやった。
みな今日はご馳走にありつけて満足だろう、そうだろう。
吾輩のカボチャとほうれん草の犠牲の上だがな!!
部屋に戻ると、ヴィスはようやく家の中に興味を持てる余裕が出たのか、きょろきょろと室内を見回していた。
「気になるか?」
「えっ、あ……女性の部屋をこんな風に見るものではないね」
「別に気にしなくていい。
女らしいものも子供らしいものもない家だ。
それに薬師の家は少し特殊だろうからな、変わっておるだろう?」
吾輩は天井へと目を向ける。
至る所にロープが張られ、日付を書いたメモと共に薬となる素材がそこかしこに吊るされている。
乾燥させなければならないものが多いので、自然とこうなってしまうのだ。
……今吊るしているのが丁度植物ばかりで良かった。
時には仕入れたり狩った動物の臓物や骨を干していることもある。
事前に薬師と言っていたとしても、好んで視界に入れたいものではないだろう。
「これらは全て薬になるのかい?」
「厳密には全てではない。
食事や飲み物に使うため、干してあるものもあるからな。
だが、基本的には薬となるものばかりだよ」
「こんなに沢山……。
エルミルシェ殿はこれら全ての効果や、薬の調合を覚えているの?」
「無論だ。
吾輩の薬はよく効くぞ。
改良して味をマシにしているものも多々用意しているが、何よりも効果を優先するのなら、このドロッドロの激マズ原液が一番だな」
吾輩はそう言い、作業机から一つの瓶を持って見せる。
薬の色とは思えぬ、黒く粘り気のある飲み薬だ。
非常時に使うような万能薬で、これを市場に卸すことはないが、贔屓目なしに本当に何にでも効く。
吾輩は瓶を掲げ、ニタリと笑う。
「味を犠牲にしている代わりによく効くが、暫く臭みえぐみが口内だけでなく鼻腔まで充満するものでな。
効いて元気になった体で、数時間のたうち回る羽目になる」
「……う、うわぁ……」
そうなのだ。
しかも、飲まなければいいということではなく、蓋を開けた瞬間、鼻がもげるのではと思うほどの異臭を放つので、作った張本人でも滅多に開けることはない。
そもそも、これを作ろうと思う日も滅多に訪れず、作らねばならぬ……と重い腰を上げる時は、いくら換気して作業したとしても、数日間自身や家に染み付いた異臭と戦う覚悟をせねばならない。
その上、動物達も暫く近寄ってこなくなるので、何かあっても助けを乞うことも難しい。
そのくらい各方面にヤバい薬である。
「見た目からして、薬というより毒にしか見えぬからな。
こんなものは市場には出さぬ。
もっと日常的に馴染みのある傷薬や風邪薬、あと需要があるのは、夜のお供となる滋養強壮の薬だろうかね」
「ちょっと!
そんなもの、お子様には早いでしょう!?」
「薬師なのだ、仕方があるまい。
惚れ薬だの精力剤だのは人気が高いのだぞ?」
あけすけに言うと、ヴィスは顔を真っ赤にしてしまった。
……こやつ、初心か?
「……エルミルシェ殿の生活や環境を思うと、僕の常識で物を言うべきではないのかもしれないけれど、もう少しこう……婉曲的に、表現をぼかすとか」
「一人山奥に住む娘に何を求めておるか。
恥じらいなど持っていては仕事は出来ぬし、場合によってはこの見た目や身長のせいで、薬を売りに行った時になめられるのだ。
堂々と振舞わねばやってられん」
「うっ……。そ、そう……そうなのか……?」
ヴィスはまだ少し耳を赤らめているようで、気まずそうに視線を泳がしている。
別に堂々と振舞いながらも、遠回しな言葉を選ぶことは出来ると思うがな。
恥じらいは、そこな庭の肥料と共に、地中に埋めてしまったかもしれん。
「ほら、そろそろ横になれ。
寝てばかりと思うかもしれんが、早く体を治すためだ。
この激マズ原液を飲めば立ち所に回復するが……うむ、それが嫌ならさっさとベッドに行くのだ」
脅すように激マズ原液瓶を近付けると、ヴィスは首を左右に大きく振って、痛めた足ながらもそそくさとベッドに向かっていった。
くくくっ、これは中々使えそうだ。