49,sideヴィス
エルミルシェ殿の言葉に引っ張られたのか、また新しい場面に映り変わったらしい。
しかしその瞳は真っ暗なままで何も映しておらず、何が映されるのかと全員が身構えていた。
暫くすると、そこには何も映されないまま声だけが聞こえ始めた。
『…………っ!!』
『魔術師の力では効果はないだろうが、お前と同じ魔女の薬だと、流石のお前でも効いたようだな。
希少な魔女はいい実験材料にも素材になるだろう。
その目も、髪も、血も、魔法や魔術の研究のため、眠っている間に取らせてもらった。
逃げられないように、魔女からもらった魔封じの枷を嵌めた上で、手の指と足の腱を切り、喉は焼いておいた。
温情として痛覚は消してやったから、感謝するんだな』
『殿下ぁ。
この女、どうせもう何も話せないのですから、全て教えて差し上げても宜しいのではなくって?』
『それもそうだな。
今回の戦争に敗れた責任は、全てお前に背負ってもらう。
お前が俺を魔法で操り、レイスリーク皇国に戦争をけしかけたことにする。
そもそもお前が戦場に出ていれば、俺が……この国が負けることはなかったんだ。
お前が俺の命令を拒んだせいなのだから、あながち間違いでもないだろう?』
『…………っ』
『なぁに?
ふふふっ、何が言いたいのか分からないわ。
そうそう、王妃様も貴女はもう要らないのですって。
今回の薬を提供してくれた、レイスリーク皇国に居る魔女から元々薬を仕入れていたらしいのだけれど、貴女が来たからタダで薬が手に入ると喜ばれていたというのに。
最近薬を出し渋るようになったから、皇国の魔女とまた取引すると決められたそうよ』
『その魔女の力がどれ程のものか分からないが、褒美でも出すと言って、いずれこの国に引き込んでやろう。
その時、再び皇国に攻め入ればいい』
『けれどまずは、国を滅ぼしかけた悪を裁かなければいけないわよね。
ということで、元婚約者の魔女さん。
貴女、明後日に処刑されていただきたいんですの。
これからはわたくしが、イスティランノ王太子殿下の側で婚約者としての役目を果たしますわ』
『お前の望み通り、国のために死ねるんだ。
本望だろう?』
最後は苦虫を噛み潰したような、苦しそうな声色を響かせて、プツリと音は途切れた。
全員がただ呆然とその場に立ち尽くし、真っ黒なままの瞳から物語られる真実に震えていた。
僕は聞き覚えのある声に、気を失い倒れ伏しているイスティランノへと目を向ける。
その時、かつて言われたエルミルシェ殿の言葉を思い出していた。
『多くは語れぬが、過去、大切だと思い尽くした者は、吾輩を都合のいい道具としか思っていなかったのだ。
全てを悟った時には、何もかもが遅かったよ。
仲間だと思っていた者達も、誰も彼も、吾輩を悪だと決め付けていてな。
見事に切り捨てられてしまった』
あの時の言葉を今、僕は正確に理解した。
十歳ほどの見た目でありながら全てが未知数な少女は、魔女という稀有な力を望まれてイスティランノの婚約者となり、貴族特有の悪意に晒されながらも民のためにと懸命に生きてきたのだろう。
しかし、最後にはイスティランノからも見捨てられ、戦争の首謀者にされたのだ。
そして殺され、時を遡ったのだとしたら――……
「君はこれまで、どんな気持ちで……っ」
僕が絞り出すようにそう言うと、エルミルシェ殿は前を向いたまま小さな声で「昔のことだ」と返してきた。
エルミルシェ殿が杖を床に二度打ち鳴らすと、宙に浮いていた沢山の目が砂粒のように崩れていった。
「国王よ。
これは失われた過去であるが、一度起きたことに変わりはない。
しかし、前と変わったのは吾輩が十歳から今に至る、六年の間だけだ。
それ以前のことは何も変わっていない。
王妃や公爵がお前に何をしたのかも、そして、お前が王子達に何をしたのかも、な」
エルミルシェ殿は未だ痛みに呻く王妃の元へと歩いていくと、力任せに王妃の髪を掴み上げた。
「痛い!痛い!!」と泣き叫ぶ王妃を無視し、国王へと王妃の顔を突き出した。
「お前がこの女や公爵を恨み、全てを白日の元に曝したいと言うのなら、吾輩はその答えを教えてやろう。
だが吾輩はな、お前にも、そこに転がる者にも、この国の貴族や民にも、思うところがあるのだよ。
お前が奴らの罪を暴くことを望むなら、同様にお前がしてきた王子達への非道も、平等に暴かれろ」
エルミルシェ殿は掴んでいた王妃の髪を、無造作に放り投げた。
王妃は無様に這い蹲り、嘆きながら体を抱いて苦しんでいる。
それを遠巻きに見ている公爵の顔は、真っ青を通り越して真っ白になり、血の気を失っていた。
「それくらいの覚悟はしてもらわねばな。
他人の人生を狂わせるということは、そういうことだ」
悪役のように振舞うエルミルシェ殿を、父上やモレイス侯爵が睨み付けているのを見て、僕は彼女の元へと向かった。
エルミルシェ殿は驚いた表情でこちらを見上げていたけれど、躊躇いなくその手を握り二人を見返した。
僕がエルミルシェ殿と並んだことで、二人は少し怯んだようだ。
「父上、モレイス侯爵。
お二人がエルミルシェ殿にそのような目を向けるのは、筋違いでしょう。
そんなことも分からなくなってしまわれたのですか?」
「だが、その女や公爵らが、余やミセラを陥れなければ!
そもそもこんなことになっていなかったのではないかっ!!」
「それで父上や母上が被害者だからと、それを免罪符に罪のない人に何をしても許されると?
それを指摘したエルミルシェ殿にそんな目を向けると?
それを間違いではないとおっしゃられるのであれば、早々にその座を退かれてください。
そんな人が、玉座に座っていていいはずがない」
軽蔑を含んだ僕の声色に、父上が小さく「クレイ……」と名を呼んだ。
僕は父上から母上へと視線を向け、問いかけた。
「母上はどう思われますか?」
「……クレイ。貴方の言う通りにしましょう」
「ミセラ!?」
「ロイやお父様を止められなかった、わたくしにも責任があります。
貴方に、そして、あのもう一人の息子……幼い子供達に全てを背負わせ勝手な都合を押し付けて、わたくし達大人は何も手を差し伸べなかった」
「ミセラ!そんなことを言うんじゃない!
あれが、もう一人の息子など!!」
母上の言葉に、父上は泣くのを堪えるように叫んだ。
それを母上は否定するように、首を横に振った。
「いいえ、いいえ……っ!
たとえわたくしの血を引いていなくても、あの子は間違いなくロイの血を引いていた。
それがあの女と公爵の策略によって生まれた子であっても、あの子はクレイと同じように祝福され、抱かれるべき命だったのです」
母上は自分の両手を見下ろして、手を震わせた。
リーヴィアはそれを悲しげに見詰めながら、ずっと寄り添うように支えている。
「生まれただけのあの子に、何の罪があったのか。
クレイの言葉を聞いて、貴方は何も思いませんでしたの?
わたくし達は何の罪も犯していないあの子にまで、恨み辛みを向けてしまった。
あの子は、何も悪くなかったというのに」
母上は両手で顔を覆いながら、頽れてしまった。
涙を流す母上を見て、父上とモレイス侯爵は顔色を変え始めた。
「わたくし達もまた、クレイにとっても、あの子にとっても、十分に身勝手で不躾で、非道な人間だったことでしょう。
ロイ、彼らの言葉は正当なものよ」
母上の涙混じりの切々とした声を聞いて、遂に父上やモレイス侯爵も俯き、これまでの行いを顧み始めたらしい。
先程の勢いはまるでなく、放心し立ち尽くしていた。
「近くに座って話せる場所はあるか?
ここは広すぎるし、焦げ臭いやら水浸しやら、落ち着いて話せやしないだろう」
握った手を軽く引かれ、エルミルシェ殿がそう問いかけてきた。
僕は頷いて、控えていたアインシュテルに視線で指示を送ると、すぐさま動いてくれた。
「近くに控え室があるから、今アインに用意させに行かせたよ」
「話が早くて助かる。
ここは長居したい場所ではないからな。
さっさと話して、夜には戻りたい。
今後のことはお主達で決めるとよい。
不要な騎士に言葉を遮られては煩わしい故、別室へは関係者のみにしてもらおう。
王女は……どちらとも言えぬが、さてどうするか。
聞いて気持ちのよい話ではないと思うが……」
悩むような仕草をしながら、エルミルシェ殿は母上の背中を摩っているリーヴィアへと目を向けた。
僕達の視線に気付いたリーヴィアがスッと立ち上がる。
「リーベ。
今からの話しを……」
「聞きます。わたくしにも聞かせてください」
リーヴィアは言い淀む僕に、はっきりと返事を返してきた。
父上やイスティランノによく似た紅い瞳で、真っ直ぐこちらを見返している。
僕が返すより先に、忠告のようにエルミルシェ殿が言葉を返す。
「吾輩の話は、先程見せたあの映像の内容も出てくる。
聞くも辛く堪え難い話も、往々にして出てくるだろう。
恐れて泣き始めても、吾輩は無視して話を進めるが構わぬな?」
「勿論ですわ、エルミルシェ様。
この国の王女として、わたくしにも背負わせてください、お兄様」
リーヴィアからお兄様と呼ばれ、僕は眉を歪めた。
苦しむ父上や母上のことを知りながらも、僕は敵対勢力であるイスティランノに肩入れするような発言をし、こうして二人を糾弾したのだ。
「リーベはまだ、僕を兄と思ってくれるの?」
「お兄様は何も悪くないではありませんか。
わたくしはお兄様を矢面に立たせて、いつだってただ守られているだけで、何も出来なくて……ずっと心苦しかった。
お兄様ばかりが心にも体にも傷を……っ!
ごめんなさい……ごめんなさいっ、お兄様……っ」
リーヴィアの頬を伝って流れ落ちた涙を見て、僕も気が付けばじわりと視界が滲んでいた。
導かれるように小さな手に引かれ、エルミルシェ殿と共にリーヴィアの近くまで歩くと、リーヴィアが僕の体に飛び込んできた。
無事で良かった――リーヴィアが僕を抱き締めながらそう言った瞬間、漸く僕は終わりを迎えられたような気がした。
声を殺して涙するリーヴィアの頭を久々に撫でながら、僕も堪え切れず一筋だけ涙を零した。
 




