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一瞬の浮遊感の後、目を開くとそこは玉座の間だった。
ローブと髪をひらりとはためかせ、陣の上にゆったりと浮遊しながら降りていく。
そこには既に国王ロイエストが玉座に座り、右側には貴族派だろう王妃ラブシュカや第一王子スティランノ、左側には王族派だろう者達が並んでいた。
呼ぶように伝えた人間が揃っているのだろう。
みな目を見開いてこちらを見ている。
吾輩は国王を見下ろしながら、驕慢な態度で声をかけた。
「このような無作法な来訪、あいすまぬ」
「なっ!?
我らが王をこのように呼び出し、魔術で城に侵入してきて、なんだその口の利き方は!!
この方を誰だと思っている!?」
ロイエストの前に躍り出てきたのは、昔は美しい金の髪の祖先が居たことを思わせるような、マスタード色の髪を撫で付けた男だった。
こいつは……知っている。
ゆっくりと地に足をつけ降り立つと、嘲笑ってみせる。
「ふん、知ったことか。
国の安寧と己の野心とを天秤にかけ、先を見誤った愚王など」
「貴様ァ!!」
男の声で、周りに控えていた騎士達が剣を構えた。
しかし、それまで吾輩を睥睨していたロイエストの目が見開かれ、騎士達に「待て!!」と叫んだ。
「……!?クレイヴィスト……!
ああっ、生きていたのだな!!」
「……!?お兄様っ!!」
どうやら吾輩のローブや髪で隠れてしまっていたようで、たった今後ろのヴィスに気付いたらしい。
ロイエストと、左側の王族派として並んでいるヴィスの妹であろう第一王女リーヴィアが喜色の声を上げた。
リーヴィアの横にいるのは、ヴィスの母親であり側妃であるミセラティアだろう。
彼女も瞳いっぱいに涙を溜め、口をハンカチで覆って震えている。
そちらに並ぶように立っているのは、ミセラティアに似た瞳の色から、王族派筆頭のモレイス侯爵だろう。
逆に、マスタード色の髪の男……レスノワエ公爵は顔色を悪くしている。
ラブシュカは悠然と微笑んでいて、イスティランノは鋭い目をヴィスに向けていた。
「こやつをバルメクノ山脈で拾ってな。
怪我をしておったから、介抱してやったのだ」
「そうか。
そこに居るのは、余の大切な王子だ。礼を言う」
「ふむ。その言葉は受け取ろう。
して、王子の無事が分かったとなれば、王は吾輩に聞きたいことがあるのではないか?」
吾輩がそう言うと、ロイエストは懐から黒い封書を取り出した。
それを見たそれぞれの反応は全く違った。
王族派であるミセラティアやリーヴィア、モレイス侯爵は首を傾げ、貴族派であるラブシュカは嬉々とした表情で、イスティランノは冷めた瞳で、そしてレスノワエ公爵は顔を青くしてその封書を見詰めている。
何も伝えていないヴィスとアインシュテルは、きっと背後で封書と吾輩を交互に見ながら目を瞬いていることだろう。
「これを書いたのはお前か?」
「いかにも。
きちんと王の枕元に届いたようだな」
「枕元?」
後ろでヴィスが疑問を漏らしている。
「王の枕元にその手紙が届き、そして届いた時に自然と国王の目が覚めるよう願って送ったのだ」
「見覚えのない封書が枕元にあってな。
誰かが侵入したのかと肝が冷えたが、なるほど、お前は相当な魔術師のようだ」
その言葉に肯定も否定もせず、吾輩は肩を竦めた。
背中から何とも言えないといった気配を二つほど感じたが、言及することなく無視する。
モレイス侯爵が手を上げ、一歩前に出た。
「陛下、発言の許可をいただけますかな?」
「よい」
「その封書が陛下の元に届けられたことによって、こうして我々は急遽呼ばれたのでしょうか?」
「そうだ。
ミセラや侯爵を糠喜びさせるわけにはいかず、委細を伝えずここに来てもらったのだ。
お前、ここに書いた言葉は嘘ではないのだな?」
「嘘ではない証拠が、そこの王妃と公爵の表情ではないのか?」
吾輩がみなの視線を促すように、横目でそちらを見る。
王妃は吾輩を猫のような目で見詰めていて、公爵は憎々しげに睨み付けている。
何のことか知らない者達は一様に眉を寄せたり、顔を見合せている。
「……公爵は分かる。
だが、あの女は何故喜んでいる?
疑うようなら花を見せろと書いてあったから見せたが、何処で手に入れたのかと詰め寄られたわ。
これが仮にあの女にとって都合のよいものであれば、余はお前を許さんぞ」
「はっ!
吾輩が先に何と言ったか聞いておらんかったのか?
吾輩はお前を『愚王』と呼んだ、その意味が分からぬか?
そもそも吾輩は、お前のためにここに立っているのではないわ」
吾輩は苛立ちを隠しもせずロイエストに言い返すと、全員からヴィスがよく見えるように体をずらした。
そして一歩下がり、ヴィスと並び立つ。
「吾輩はこやつのためにここに居るのだ。
それを努々忘れてくれるなよ。
吾輩は別に"それ"を語らなくともよいのだぞ?」
「それって……まさか、例の秘薬のこと?」
ヴィスの言葉にミセラティアは目を見開き、モレイス侯爵はごくりと喉を鳴らした。
レスノワエ公爵は小さく「くっ」と苦しげな声を漏らしている。
「クレイ……?どういうことなの?
貴方は何を知っているの?」
縋るように問うミセラティアの声を聞いて、ヴィスは「エルミルシェ殿……」と小さく零した。
吾輩が説明しようと口を開こうとした時、尊大な声が割って入ってきた。
「そこのガキが何を知っていたとしても、それが信用に値するものなのか?
何処の誰かも分からん、王城に侵入してくるようなガキの言う言葉に、何の価値がある?」
イスティランノはそう言いながら、吾輩を見下ろしていた。
吾輩は目を逸らすことなく、迎え撃つように睨み上げる。
「それに、仮にそれが母上や公爵にとって都合の悪い情報を知っているというのなら、俺がただ黙って聞いてやる必要はないな?」
イスティランノはすらりと剣を抜き、魔術で加速させてこちらに斬りかかってきた。
ミセラティアとリーヴィアと悲鳴を上げ後退り、ロイエストはモレイス侯爵や騎士に守られながら後方に下がっていく。
吾輩は微動だにせず、ただじっと迫り来る紅い瞳を見ていた。
すると、ふっと大きな背が吾輩の前に出て、剣と剣のぶつかる音が響いた。
「エルミルシェ殿は傷付けさせない!」
吾輩を守るように、ヴィスがイスティランノの剣を受け止め叫んだ。
ついに紅と紫の瞳が交差した瞬間だった。
目前にヴィスを捉えたイスティランノは、狂気じみた表情で笑い叫んだ。
「……ふっ、ふはははは!!
何を言おうと俺と剣を交えなかったお前が!俺に!
剣を向けるのか!――面白いっ!!」
激情を孕み叫んだイスティランノは一度下がると、剣に魔術を込めていく。
刀身に纏うのは煌々と燃える炎だ。
「……よいのか?」
「――うん。もう逃げないって決めたから。
エルミルシェ殿はここで見守っていて」
「分かった」
ヴィスは少しだけ振り返ると、にこりと微笑んだ。
そして前を向く時には、戦場に立つ男の顔になっていた。
「僕が望んでいなくても、争わなくて済むよう逃げても、結局はこうなってしまうんだね」
ヴィスは淡々とした声で、敵を憂うようにイスティランノに言葉をかけながら、刀身を中心に小さい波のような流水を広げていく。
その間、イスティランノの炎は火花を散らして、より強く激しく燃え盛っていた。
「お前はいつもそうやって、俺と戦おうとしなかった。
何故そんな顔を見せる!?
何故そんな言葉を言う!?
お前は俺を倒すように、そう望まれて産まれてきたのだろう!!」
吼えながら踏み込んだイスティランノの動きは素早く、先程の倍の速度でヴィスにぶつかった。
国政に重きを置き、ヴィスにばかり魔獣討伐をさせていたとは思えない攻撃だ。
魔術の使い方も上手く、ヴィスの剣が纏う流水はじゅわりと蒸発するような音を立てている。
他国を落とそうと野心を掲げるだけあって、実力は相当のようだ。
打ち込まれているヴィスは防戦一方のようにも見える。
しかし、ヴィスが押されているのかといえばそうではなく、ヴィスはイスティランノの叫びを静かに受けているようだった。
何度もぶつかる両者を静かに見詰めていると、要らぬ気配を察知し、吾輩は軽く杖を振った。
ピタリと宙で止まったのは短刀だった。
飛んできた方向へと視線を向けると、投げたのは貴族派側に立つ騎士の誰かのようだ。
それを冷ややかに睨みながら、吾輩は浮いたままの短刀の近くまで歩き、貴族派の正面に立つと杖を向けた。
「ヒッ!?」
「ど、どういうことだ!?幻術か!?」
騎士達は慌てて盾を構え始めた。
吾輩は一本だったはずの短刀を百本という夥しい数に増やし、宙に浮かせたままぴたりと止めていた。
その切っ先は貴族派へと向いている。
「これを幻術と思うなら、この刃がお前達を襲おうとも痛くも痒くもないだろうが、さて……どうだろうな。
鎧も盾もあるのだし、当たったところで差程痛くないのではないか?
これがただの幻術か否か、その身で試してみるか?」
ニィと笑いかけ、脅すようにじわりと短刀の群れを動かすと、騎士達はざわついて後退った。
興が冷めるほどの腰抜けに、盛大に溜息を吐いてから威圧する。
「長きに渡る二人の因縁の邪魔をするなど、愚かなことをしてくれるなよ。
あの者達の信念に水を差すことは、決して許さぬ」
杖を真横に凪ぐと、全ての短刀が宙に溶けるように消えていった。
最初に投げられ実在するはずの短刀も消されたことに、貴族派や騎士達は震え上がっている。
邪魔な者達を黙らせると、吾輩は激しく剣を交える二人に視線を戻した。
双方のオーラは立ち上り、ぶつかり合っていた。
「怒りに滾る紅と、悲しみを背負う青か……。
なんと切ないのだろうな」
その光景を見ながら、アインシュテルには何かがあった時のために、ロイエストやミセラティアを守るよう指示を出す。
そして彼等が思う存分戦えるようにと、吾輩は周囲に結界を張り巡らせた。
彼らの攻撃で他者に被害が出ないように、そして周りに気を取られず集中して彼らがぶつかれるようにと、そう願いながら。




