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記憶と共に伏していた目を開くと、膝の上に手を組んだヴィスが問いかけてきた。
「それで、エルミルシェ殿は何を知っているの?」
「何を、と聞かれれば……そうだな。
恐らくお主らと吾輩では、見えていたものが全く違ったのだろうな。
お主らが知っていることを吾輩は知らず、吾輩が知っていることをお主らは知らなかったのだ」
「どういうこと?」
「それは」
リィン、リィン――リィン、リィン――……。
話し出そうとした吾輩の耳に、これまでよりも大きな音で鈴の音が響いた。
ここから先を話せば間違いなく吾輩の過去に繋がり、結んだ約束に抵触するからだろう。
しかし吾輩はもう、黙っていることは出来なかった。
「すまんな。
だが、どうせ分かっていただろう?
吾輩がこれを知って、見過ごせぬことくらい」
「「……?」」
「あぁ、二人は気にするな。
これは大きな独り言だ。
この件に吾輩を関わらせたくなかったのなら、ヴィスが山に来た時点でリンデンを言い含めるなどして、吾輩と会わせなければ良かっただけのことではないか。
だが縁は結ばれ、過去と今は繋がった。
吾輩が語らなければ、間違いなくあの惨劇が繰り返されることになる。
吾輩は……終わらせなければならん。
全てを知りながら身を隠し、知らぬふりを選んだ吾輩の罪をな」
そう言って吾輩は立ち上がり、薬を並べている棚の端に立てていた古いノートを取り出す。
そのノートの間に挟まれた、一枚の誓約書を二人の前に置いた。
「これは?」
「これはな、レイスリーク皇国に住む、とある奴を半ば脅して書かせた誓約書だ」
「えっ、脅し……?ちなみにこの文字は?」
「吾輩や一部の者しか知らぬ、特殊な文字でな。
文字のことはさて置き、ここに書かれている内容だが『汝、必科の七にて抽出せし秘薬を、ソルナテラに流出させること禁ず』と記されておる」
指でなぞったところで二人は読めないだろうが、その文言が書かれた一文を示しながら、吾輩はそれを読み上げた。
「秘薬?まさか……っ!?」
「吾輩はその王妃と公爵が、国王と騎士に与えた薬の作り手を知っておる。
この誓約書のサインは、そやつに書かせたのだからな」
ヴィスは吾輩の目を、アインシュテルは誓約書を見て、息を飲んでいた。
静寂にゴクリと喉の鳴る音が響く。
「ど……どういった理由で、この誓約書を書かすに至ったのですか?」
「吾輩が薬師で、そやつが作る秘薬の何種類かが、王妃の手に渡ると知っておったから、だな」
「何故それを知っておられたのですか?」
「……それは今語るものではない、とだけ言わせてくれ」
苦笑してみせると、アインシュテルはヴィスへと視線を向けた。
ヴィスはアインシュテルに向かって静かに頷いて、それを見たアインシュテルもまたややあって頷いてくれた。
こちらに今話す気がないことを汲んでくれたのだろう。
主従共に理解を示してくれて助かるものだ。
「お主らは朝になればここを立ち、城に戻るのだろう?」
「そうなるね。
僕を襲わせたのは、第一王子ではなく王妃か公爵だろう。
彼は僕との真っ向勝負を望んでいるはずだから、刺客を使って襲わせるような手は使わないと思う。
いずれにせよ、どちらかの命で動いた貴族派の誰かに違いない」
ヴィスの言葉を聞き、こやつは第一王子にそういった認識を持っているのだなと思いながら頷く。
「リーベは……リーヴィアは、戦争の火種のために婚約させられてしまった。
話が公にされてしまった以上、リーベの婚約自体は滅多なことがない限り、取り下げは不可能だろう。
このままでは、リーベは皇国に嫁いだ途端に殺され兼ねない……!
だからせめて、貴族派の力を削いでおかなければ……」
「そうか、あの宿屋での話……リーヴィア第一王女は、お主の妹なのだな」
ヴィスが第二王子だと分かった今、あの号外を聞いて顔色を悪くしたことに納得した。
ソルナテラ王国がレイスリーク皇国に攻め入る口実作りのために、妹が暗殺を目論まれて嫁がされるなど、兄であるヴィスが許せなくて当然だ。
「それなら少し朗報を与えてやろう。
レイスリークの皇族達は、謹厳実直を絵に書いたような者達でな。
嫁入り先としては申し分ないはずだ。
戦争さえ起こさせず、良き同盟国として関係を築ければ王国と皇国の未来は明るく、双方共に発展していけるだろうな」
「確かに来賓として訪れたことのあるレイスリークの皇太子殿下は、とても真面目で誠実そうだった。
けれど、どうしてそんなことをエルミルシェ殿が知っているの?」
「ふふん、それも今語るものではないよ。
全ての種明かしは、纏めてしまった方が楽だからな」
そう言って、吾輩は冷めてしまった温いお茶を一気に飲み干すと、立ち上がって二人に宣言した。
「吾輩も明日、お主らと共に城へ行く。
全ての決着をつけにな」
夕食を逃してしまったが夜も遅いため、煮て寝かしておいた野菜スープを温める。
意味も優しい旨味の染み込んだ野菜スープを出すと、二人は味わうように飲んでいた。
温めたばかりの熱々で飲めない吾輩を見て、アインシュテルは首を傾げており、嬉々としてヴィスが説明していた。
こやつは何を嬉しそうに話しておるのだ……?
アインシュテルの表情や返事は曖昧なもので、それがどうやらヴィスの望んだ反応ではなかったらしく、あれ?と首を捻っている。
至極真っ当な反応だと思うぞ……と思っていると、アインシュテルから憐れむような目を向けられ、吾輩は静かに目だけで頷き返した。
何か分からぬが、何かが分かり合えた気がした。
その夜、吾輩は自分のベッドで、ヴィスはソファで眠ることになった。
予定では今日もヴィスにベッドを譲るはずだったが、ヴィスが吾輩とベッドを共有しているとアインシュテルに話してしまったのだ。
それを聞いたアインシュテルはあまりにも驚いたのか言葉を失い、そして「流石にそれは許せません」とヴィスを叱り始めた。
ヴィスを庇うように寝込んでいた時の話を出したが、アインシュテルの眼鏡がキラリと光ると「怪我人の時は仕方ないとしても、貴女もレディとして宜しくありませんよ」と、こちらにも飛び火してしまった。
寝る前に二人して正座で叱られることとなり、ちらりと横目で見るとヴィスと目が合った。
お互いくすりと笑ってしまったせいで、アインシュテルから「聞いているのですか?」と笑顔で凄まれ、吾輩達は足を痺れさせながら懇々と叱られ続けたのだった。
お叱りが終わり、アインシュテルにタオルケットでも敷いて寝るかと問えば、ヴィスの側で座って休むと言われた。
敷く予定だったタオルケットはそのまま手渡しておく。
夏とはいえ標高高い山奥だ。
夜中に肌寒く感じれば羽織ればいい。
ヴィスにも布団代わりに一枚渡してある。
ソファ近くの壁面にある飾り棚に、ヴィスお気に入りのサシェもかけておいた。
昨日作ったラベンダーのドライフラワーをこっそりと中に足しておいたので、怒涛の出来事で心身共に披露しているであろうヴィスも、休めばいいのに寝ずの番をしそうなアインシュテルも、少しは眠れるだろう。
就寝の挨拶をして別れ、吾輩は寝室へと向かった。




