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吾輩達が家に戻ると、アインシュテルは玄関のすぐ側で立ち続けていたらしく、びっしょり濡れた吾輩達二人を見てぎょっとしていた。


雨に濡れ、手や服は土まみれの吾輩とヴィスは、戻って早々どちらが先に風呂に入るかで揉めた。

ヴィスは、家主でありレディであり幼い吾輩に先に入れと言い、吾輩は、第二王子に風邪など引かせられるか!吾輩は風邪など引かん!と言い返す。

二人とも充血した目で瞼をパンパンに腫らして戻ってきたとは思えない、しょうもないいつも通りのやり取りに、アインシュテルは黙って呆れていた。



押し切られる形で吾輩が先に風呂に入ることになった。

入れ替わりで風呂場に入っていくヴィスが吾輩の目を見て「何でもう腫れが引いているの!?」と驚いていたが、風呂の中でちょちょいとしたに決まっておろう。

さっさと入れと追い払うような仕草を手ですると、悔しそうにしながら風呂に入っていった。

吾輩もヴィスも、辛く苦しい感情に蓋をして、出来得る限りの日常を取り戻そうとしていた。


吾輩は湯を沸かしながら、カモミールとパッションフラワー、オレンジフラワー、シベリアンジンセンをブレンドし、茶を入れる。

ついでに野菜スープも煮ておく。

全員の心が少しでも回復するようにと、そう願って。



風呂から出てきたヴィスの髪色は、しっかり元に戻っていた。

そんなヴィスに、寝室のサイドテーブルをソファ近くに運ぶよう頼み、アインシュテルと座って待つように言う。

出来た茶を運ぶと、ソファには二人が静かに腰かけていた。

サイドテーブルに茶を乗せると、吾輩はいつものように作業机に置いている椅子を持ってきて、二人の前に座った。


しかし誰も言葉を発することはなく、茶に手を伸ばす者も居なかった。

吾輩でさえ何を言えばいいか、どう問えばいいかと思い(あぐ)ねてしまっていた。

そうして時折風の音が聞こえる程度の静寂の中、(おもむろ)にヴィスが茶に手を伸ばし、カップに口を付けた。

アインシュテルが慌てていたけれど、ヴィスは気にせず吾輩の茶を飲んでいる。

これまで通りに茶を出したが、本来こやつの立場であれば毒味役が必須であり、こんな得体の知れない子供の出した茶など、飲むこと自体有り得ないだろう。

ヴィスは静かにソーサーにカップを戻すと、真剣な目で吾輩の目を真っ直ぐに見てきた。


「エルミルシェ殿。

僕は……僕の本当の名前は、クレイヴィスト・ソルナテラ。

街で賊の男が言ったとおり、僕はこのソルナテラ王国の第二王子なんだ」


本人の口から告げられた真実に、吾輩は目を伏した。

欠けていたパズルのピースが埋まっていくように、失われたはずの過去が頭を駆け巡っていく。


「お主が……第二王子。

……第二王子、殿下……?」

「やめて、お願いだよ。

エルミルシェ殿は今まで通り、ヴィスって呼んで」

「……いや、しかしだなぁ……」


ヴィスの横に座る、アインシュテルへと目を向ける。

今更過ぎる気もするが、従者兼護衛である彼の前で、主人であり第二王子のヴィスに向かって、これまで無礼極まりない態度だったのではなかろうか。

吾輩の視線に気付いたアインシュテルは、肩を(すく)めるだけで特に咎めてくることはなかった。


「僕のことを貴族の出身だとは思っていたんでしょう?

それでもエルミルシェ殿の態度は、ずっとあの通りだったじゃないか。

その相手が王族の王子になっただけ。

ただそれだけのことでしょう?」


そう寂しそうな笑顔を向けられ、吾輩はヴィスに少し引いたような表情を返した。

アインシュテルも何とも言えないといった顔である。


確かにヴィスのことを、上位貴族の中でも王族に近しい位の令息だろうとは思っていたが、吾輩の態度は一貫して貴族に対した接し方ではなかった。

そう言われれば否定は出来ない。

ただ、その相手が王族になっただけ、と自ら言うのはどうなのだ?

ただそれだけのこと、で済ませられるものでもないと思うし、上位貴族の令息と正真正銘の王子とでは、流石に吾輩も引け目を感じる……こともあると思うが?

二人から向けられた視線にコホンと咳払いをして、ヴィスは再び話し始めた。


「こんな形で話すことになって、悲しくて悔しくてやるせないのだけれど……本来今日話すはずだった話を、今から話してもいいかな?

エルミルシェ殿やリンデンに救われた僕が、そもそも何故狙われているのか。

僕のこれまでのことを……僕のことを」

「……うむ」



そうしてヴィスの口から語られたのは、ヴィスが生まれる以前に起こった、この国の貴族達でさえ知らない国家機密だった。

関与している当事者達と、国王が信頼する極一部の者のみが知る、元子爵令嬢が王妃に抜擢されるに至った経緯と、その要因となった国王の不貞行為の謎。

そして一年も経たずして、元婚約者であり本来王妃になるはずだったミセラティアが側妃に選ばれた理由と、それから繰り広げられる、王妃の子であるイスティランノ第一王子と、側妃の子であるクレイヴィスト第二王子が旗頭にされた、派閥と後継者争いの実態。

ヴィスは過去を思い返しながら、その時のことを冷静に語りつつ、どんな感情を持って過ごしてきたのか、詳細に語ってくれた。


吾輩はそれを聞きながら、欠けていた背景が一つずつ埋まる度、頭を殴られているようだった。

口の中はカラカラと乾いていくのに、茶に手を伸ばすことさえ考えられないほど、ヴィスの語る過去が吾輩の胸を(えぐ)っていく。

そして最後まで聞き終えて得たものは――やはり、後悔だった。


「……ははっ」


片手で顔を押さえ、自嘲的な笑みが漏れた。

二人は突然笑った吾輩に驚いていたが、吾輩の胸の内はそれどころではなかった。


(吾輩は一体……何を見ていたのだろうな)


それは遠い遠い昔、炎が揺らめいているような紅い瞳が吾輩を映していた時のこと。

努力すればきっと認めてもらえると、与えられる役目を(まっと)うし、課せられる課題を熟し、この力を活かして人々を救えば、きっとこの方も周りも幸せに出来るはずだと……そう思っていた。


「……吾輩は、何も分かっていなかったのだな。

何も……知ろうとしていなかったのだな……」

「エルミルシェ殿……?」


そして行き着いた、カビと血の臭いが充満した、真っ黒な記憶の蓋を開く。

尊厳を奪われ、功績を踏み(にじ)られて汚名を着せられたあの時……怨嗟を声にすら発することも出来ず、死の淵で憎悪を動力に、どう呪ってやろうかと考えていた。

話を聞かされたとしても、到底許せるものではない。

だが……。


「何かを知っていれば、何かを知ろうとしていれば、あの時も何かが変えられていたのか……?」


天井を見上げ、そう零す。

言葉にしても何かが変わるわけではない。

失われた過去が戻ってくることもなければ、やり直したからといって上手くいくとは限らない。

――今のように。


ヴィスは言いたくないと言っていた、己の正体と過去を過去を語ってくれた。

その過去から、あの時に吾輩も知るべきだった、様々な情報と彼らの想いを知った。


(――そうか。吾輩は(ようや)く……)


一人ぶつぶつと言葉を零す吾輩に、ヴィスもアインシュテルも困惑の表情を向けていた。

吾輩は上げていた顔を下ろし、ひたりとヴィスの目を見据える。


「……先程、お主らは王妃が何故レイスリーク皇国を狙うか分からぬと、そう言っておったな」

「そうだね。

王妃が軍事に口を出すようになってから何年か経つけれど、未だそれは分かっていなくて」

「吾輩はそれを知っておる」

「「!?」」


そう答えるとヴィスは目を見開き、アインシュテルは立ち上がった。


「エルミルシェ様、それはどういうことですか?」

「話せることは話してやるから、座って聞きたまえ」


アインシュテルは驚きを隠せない表情のまま、再びソファへと腰かけた。


吾輩は少し目を伏せ、苦い過去へと思考を沈めていく。

王妃がレイスリーク皇国を狙う理由を、何故吾輩が知っているのか。

昨日まで語るはずもないと思っていたというのに、警告通りに過去を明かさねばいけない事態に呆れてしまう。

ふぅと深く一呼吸をして、吾輩は暗く悲しい記憶の蓋を開けた。



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