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辿り着いたのは、比較的貴族や富豪の客が利用する区画手前に位置する宿屋だった。

宿屋の店主に泊まりかと尋ねられるも、ヴィスは友人が宿泊していて訪ねただけと言い、店主に小声で何かを伝え始めた。

店主は頷いて階段を指さし、ヴィスは脇目も振らず部屋を目指し駆け上がっていく。

とある部屋の前に到着すると、ヴィスは少し特殊なリズムでノックする。

暫くして中から出てきた青年を見て、吾輩は目を瞬いた。


「こやつは……」


それはヴィスを探す者達が山へと登ってきたあの日、鳥達から聞いた魔術師の特徴とよく似た青年だった。

確か、アインシュテルという名だったか。


「クレ」

「アイン、あの号外はなんだ?

一体どうなっている!?」


相手の言葉を遮り、ヴィスは吾輩を片手で抱き上げながら、もう片方の手でアインシュテルの肩を掴んだ。

鬼気迫る様子に、吾輩はただただ黙ってその成り行きを見守る。

……せめて下ろしてほしいと、それすらも言い出せる空気ではなかったのだけが残念である。


「……どうやら王妃とレスノワエ公爵が水面下で動いていたようです。

今日の朝方、突然婚約の発表がされたらしく、私もさっき聞かされたところで……」

「リーベは!?

あの子はそんな婚約に同意なんてしないだろう!?」

「貴方が戻らず、ミセラティア様やリーヴィア様の盾がなくなってしまった。

ロイエスト陛下も、貴方様が居なくなってから随分憔悴されていらっしゃったので、その隙を突かれたのでしょう。

私もこうして城を出てしまっておりましたので……もしかしたらその間に、貴方様を返してほしければと脅されたのかもしれません」

「そ、そんな……っ!?」


ヴィスはその言葉にアインシュテルから手を離して後退り、眉を下げ口をはくはくとさせている。

目の前の眼鏡がきらりと光り、視線がこちらへと向いた。


「先に確認を。

貴女がエルミルシェ殿……あ、いえ、エルミルシェ様……ですか?」

「あぁ、吾輩はエルミルシェという。

こんな格好での挨拶ですまないな。

敬称など不要だと言ったのだが、こやつが恩人を呼び捨てに出来んと言うからそう呼ばせているだけだ。

吾輩のことはエルミルシェと呼んでくれてかまわない」

「……いえ、この方がそう呼んでいるのに、私が敬称を付けないのもおかしなことです。

私はアインシュテル・フィンツェル。

我が主を命の危機から救ってくださったと聞いております。

本当にありがとうございました」


そう言ってアインシュテルは深々と礼をした。

主従揃って吾輩のような者にも丁寧に接してくれるのだなと感心しつつも、先程からの話に吾輩の脳は警鐘を鳴らしていた。

ロイエストとミセラティアの名なら、国王と側妃という名前以上に知っている。

それに、王妃とレスノワエ公爵だと?

吾輩にとって、そちらの名の方がよくよく知っていた。

頭を過ぎる顔を思い出し、吾輩はいやに脈打つ胸を静めるように、上から押さえ付けた。


「それで、お話しは出来たのですか?」

「……今夜話す予定だったんだ」

「それは……。

ですがもう、そうも言っていられません。

リーヴィア様の婚約は公開されてしまいました。

決して後戻りは出来ないでしょう。

ですが何よりも問題なのは、リーヴィア様がレイスリーク皇国に嫁ぐことではありません」


アインシュテルの言葉を聞いて、俯くヴィスの体が小刻みに震え出す。

抱えられたまま下に視線を落とすと、ヴィスの空いた手はきつく握り締められていた。


「リーベの暗殺が目的か」

「間違いなくそうだと思います。

嫁いだリーヴィア様がレイスリーク皇国内で殺されたとなれば、戦争の口実としては十分です。

それが狙いで、リーヴィア様は皇国へと向かわされるのではないかと」

「なんで……!

なんでそんなことが出来るんだ……っ!!」


ヴィスはいつもの穏やかな様子からは考えられない、荒々しい声で叫び、怒りからかダンッと壁を打ち付けた。

「きっ」と小さな悲鳴がリンデンから漏れ、吾輩もか細い声で「せんそう……」と零した。

その声を聞いてヴィスは我に返り、くしゃりと顔を歪めた。

そして諦めたような表情を浮かべながら、吾輩を地に下ろした。


「エルミルシェ殿、リンデン。

ごめん……僕はもう行かなきゃいけないみたいだ」

「お、お主は……」

「ごめんね、結局何も話せなくて。

けれど全てが落ち着いたら、必ず会いに行くから」


一度吾輩の両手を握りそう言うと、ヴィスは振り切るように吾輩に背を向け、アインシュテルと話し始めた。

どうやらアインシュテルもすぐ発つらしく、急いで荷造りを始めた。


「あ……そうだ、これ」


そう言って差し出されたのは、さっき広場で一緒に描いてもらった似顔絵の入った袋だった。

ヴィスの分と吾輩の分、両方の絵が入った袋を向けられ、吾輩は頭をガツンと殴られたかのような心持ちで、愕然とそれを見下ろした。


「今から向かう先で、失ったり汚したりしてしまうかもしれないし、何よりもここにはエルミルシェ殿が描かれている。

万が一これを誰かに見られて、君が狙われるようなことがあったら僕は堪えられない。

だからどうか、また僕が君の家に訪れるその日まで、預かっていてくれないかな」


ヴィスの言葉にハッと顔を上げた。

その瞳に悲しさや悔しさも滲んではいたが、決して光を失ってはいなかった。

吾輩は思い出すらも置いていかれるのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。

大切だからこそ、吾輩に託し置いていくのだろう。

更には吾輩の身を案じてくれているのが分かり、こくりと頷いてそれを受け取った。

すると絵の入った袋と共に、小さな紙袋も一緒に渡された。

首を傾げると「開けてみて」と言われ、袋を開くと中にはリボンが二本入っていた。

一本は金を思わせる色合いのリボンに、刺繍で紫の小花を散りばめた見事なデザインの刺繍リボンで、もう一本は細めの金のリボンに両端を紫の糸でステッチが施されているシンプルなリボンだった。


「これは……」

「エルミルシェ殿は作業する時や料理を作る時に、時々髪を纏めていたでしょ?

君の髪にこのリボンを付けたら、きっと凄く綺麗だろうなと思ったんだ。

こっちはリンデンに。

しっぽや首に付けたら可愛いだろうなって」


きっと別れの時に渡すためにと、吾輩が何処か他の店を見ている時にでも買ってくれていたのだろう。

そのリボンの二本とも、ヴィスの髪色と瞳の色を表していた。

吾輩はワンピースのポケットにそっと手を添えてから、フッと笑った。


「ありがとう。

大切に使わせてもらうとしよう。

リンデン、どうだ?

お前は今付けてやろうか?」


まだヴィスの胸元に留まっているリンデンに聞いてみると、ふるふると首を横に振った。


「きゅ、きゅきゅー。きゅきゅ」

「今日は汚れちゃうから付けたくない、だと。

なんだ『今日は』とは。

普段の方が山を駆け回っていて汚れるだろうに」

「ふふっ、そっか。大切にしてね」


ヴィスは嬉しそうに優しくリンデンの額を撫でていて、何度も目にしてきたこの光景ももう見ることは出来ないのだろうなと、目に焼き付けるように眺めた。


「絵は預かってやるだけだ。

いつか必ず引き取りに来てもらわねば、置き場に困ってしまうぞ」

「……!

そうだね。必ず会いに行くから」


そう言ったヴィスは少し躊躇しながら、吾輩へと近付いてきた。

視線を彷徨(さまよ)わせているのを見るに、どうやら握手なのか抱擁なのかを躊躇(ためら)っているのだろう。

吾輩は臆することなく、えいと抱き着いた。


「えっ!?」

「今日くらいはよいではないか。

家族や親しい人間とは、こうして別れを惜しむのだろう?」


吾輩がそう言うと、遠慮がちだったヴィスも屈んで吾輩を優しく抱き返してきた。

リンデンも惜しむように鳴いている。


「うん……うん。

今までありがとう、エルミルシェ殿」

「吾輩もだ。

短い間だったが、楽しい時間をありがとう」



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