36,
店から出ると、そろそろいい時間になっていた。
見上げた空は少しばかり赤みを帯び始めている。
もうすぐ帰らねばなるまい。
前祭の期間なのだから、夜間は昼間と姿を変え、また違った雰囲気で賑わうことだろう。
その恋しさを振り払うように、吾輩は仮面を取った。
それを見たヴィスも同じように仮面を外す。
夢のような楽しい一時も、間もなく終わりを迎えようとしていた。
「そろそろ戻らねばならんが、帰る前に一軒だけ寄ってもよいか?」
「勿論!」
まだ街で一緒に過ごせるからか、嬉しそうにするヴィスを連れ、吾輩が立ち寄ったのはバルメクノ山脈で採れたクズ石を扱う店だった。
良く言えば古めかしい、悪く言えばただのボロ屋にしか見えないような風体の建物である。
「…………え?ここ?」
「そうだ。
最後に連れてくるのがこんな店で悪いのだがな、これでも穴場で良い店なのだよ」
最後に選ぶ店にしては、間違いなく味気ない廃れた雰囲気の店である。
中に入ると少し独特な鉱物の匂いがして、奥から「いらっしゃい」と嗄れた婆さんの声が聞こえてきた。
吾輩は勝手知ったる店内を歩き、目的だったとある置き場へと足を向けた。
そこには色がくすんでいたり形が歪なせいで宝石になれなかった石ころが、大きな瓶に詰められていた。
「これらは宝石になれなかったクズ石だが、庶民にとっては色付きの綺麗な石でな。
ボタンにしたりビーズにしたりと、加工して使うのだよ」
「なるほど……?」
ヴィスはどうにも納得がいかないらしく、頷きながらも首を捻っていた。
本を買う金があるくらいなのだから、こんなクズ石を加工せずとも質の良いボタンやビーズを買えばいいのにと思っておるのだろう。
だが、吾輩にとっては石を加工することに意味があるため、この店はとても便利なのだ。
吾輩が厳選するように沢山の石ころを見比べていると、店の婆さんが覗きに来ていた。
その中から二つの石を選ぶと、婆さんは嬉しそうな声を上げて「けけけっ!目のイイ奴が来よったわい」と言いながら戻っていった。
「あの婆さんのお墨付きなら問題ないな。
これにしよう」
「……ごめん、僕には他との違いが全然分からないのだけれど」
「お主、この石の真の美しさが分からんか?」
「………………」
吾輩がずいと差し出した石ころを、ヴィスは目を凝らしてじっと見詰める。
暫く凝視していたが、諦めたようにふるふると首を横に振った。
「僕には分からないや。何か違うの?」
「いや?
見ての通りクズ石だからな」
「ちょっと!
何か違うのかと思ったじゃないか!」
吾輩の答えにヴィスはぷりぷりと怒っている。
どう見てもただのクズ石なのだ、それ以上でも以下でもあるまい。
「このままだったら、だがな」
「ん?なにか言った?」
「いんや、なにも」
吾輩は石二つの支払いを済ませ、受け取った石をワンピースのポケットにしまい店から出た。
「ここへの用事はこれだけ?」
「そうだな」
「そっか。
エルミルシェ殿が行きたいところなんて、もっと変わった店か不思議な店なのかとワクワクしたんだけどな」
「いや、十分変わった不思議な店であっただろうに……」
少し詰まらなそうにするヴィスを視線だけで振り返る。
何を期待しておったのかしらんが、吾輩は街をそう歩くこともこれまでなかったのだぞ?
そもそも、吾輩が『吾輩』として、こうして巷を歩くなど、もう何年ぶりだろうか。
集落を出て、村で暮らしていた時くらいからと考えると、合わせて十年ほど経つのか。
これまでは必要な時に別の人間のフリをして薬を売り、生活に必要な品を買うためだけに、周りの村や街に訪れる程度だった。
この店はたまたま何かの買い物の時に通りがかって、あまりにも良い素材が安くで手に入るために利用するようになったくらいだ。
何年も山に籠って生活し、新規の店の開拓などしていないせいで、ほとんどの店を知らんのだ。
……そう思えば、今日は随分沢山の人間に声をかけられたな。
「お客さん見てっておくれよ!」「こっちのは質がとてもいいんだ!」「どうだい、試食してってくんねぇかい?」と、ひっきりなしに店員達から声をかけられ、住民なのだろう街の人間にも「お祭りを楽しんでいってね」と笑顔を向けられた。
多くの笑顔で溢れていて、そして側にはヴィスとリンデンが居て、とても幸せな時間だった。
きっとこれが、かつて吾輩が望んだ光景なのだろう。
「吾輩はお主やリンデンと、こうして共に街を歩けただけで十分満足だよ。
不毛なのにどこか有意義で、とても楽しい時間だった」
そう言うと、後ろを歩いていたはずのヴィスの足音が止まった。
振り返ると赤らんだ日に照らされて、泣きそうな、でも嬉しそうな顔で口を結んでいた。
リンデンが「きゅ?」と下から覗き込んでいる。
「僕も」
「号外!号外ーーー!!」
何かを言いかけたヴィスの声は、突如現れた青年達の叫び声に掻き消された。
驚いて声のした方へ体を向けると、青年達がビラらしき紙を撒きながら街を駆けていく。
何事だと顔を顰めたところに聞こえてきたのは
「我が国ソルナテラ王国第一王女であるリーヴィア王女殿下が、隣国レイスリーク皇国の第三皇子殿下とご婚約!
リーヴィア王女殿下がレイスリーク皇国第三王子殿下とのご婚約が決定ーーっ!!」
青年達は叫びながらビラを撒き続けている。
ヒラリと飛んできたそれを拾い上げ目を通すと、確かにそこには第一王女リーヴィア・ソルナテラと隣国レイスリーク皇国の第三王子の婚約が決まったと書かれていた。
近々王女は国を出て、レイスリーク皇国に嫁がれるのだろう。
レイスリークの文字を見て思い出される嫌な過去に、吾輩は考え込むように顎に手を当てる。
「……リーベが、レイスリークに……?」
ぽつりと零された言葉に顔を上げると、真っ青な顔をしたヴィスが唇を震わせていた。
婚約の情報を聞いて、明らかに動揺しているのが分かる。
「おい、どうし」
「……確かめなきゃ!」
「なっ、おい!?」
何かを思い付いたように、ヴィスは突然走り出した。
吾輩がいくら特別だろうとも、普通に走るだけではヴィスに追い付けるはずもなく、必死に追うもみるみる距離を離されていく。
「おい、おいっ!待たぬか……っ!!」
追いかけながら声を張り上げると、吾輩のことを思い出したのかヴィスはぴたりと立ち止まり、急いで戻ってきたと思ったらひょいと抱え上げられてしまった。
「いやだから!だっこはやめんか!?」
「もうこれに慣れちゃったから、だっこ以外は無理!」
「はぁっ!?」
更に軽口を返そうとしたが、あまりにも顔色の悪いヴィスを見て吾輩は口を噤んだ。
何処へ向かっているのかはまるで分からないが、どうやら行く宛があるらしい。
必死に走るヴィスにしがみ付きながら、吾輩は仕方なくだっこのまま運ばれるのであった。




