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32,


「ただいま!」


軽快に開け放たれた扉と明るい声色に、どうやら上手く事が運んだようだと吾輩は笑みを零した。

そんな吾輩よりも先に小さく軽い足音が駆けていく。

(しき)りに鳴いているリンデンも相当嬉しいようだ。


「おかえり。無事話は纏まったのか?」

「うん。あのね」


急いた様子でずいずいと迫ってくるヴィスに、吾輩は笑いながら体を()け反らせた。


「くくっ。

話したい気持ちは分かったが落ち着け。

取り敢えず座って話そう」

「あっ……そうだね」


前のめりで話し出そうとするヴィスを制すると、ヴィスは頬を掻きながらいつもの椅子に腰かけた。

リンデンもテーブルに登り、ヴィスの近くで鳴いては撫でてもらっている。

吾輩はキッチンに向かい、茶を入れる。

茶の準備をしながらでも話せるので、そわそわした様子のヴィスに声をかけた。


「それで?アインとやらには会えたのか?」

「あっ、ええと……正しくはアインシュテルって言うんだ。

僕の従者と護衛をしてくれていてね」

「ほう。アインシュテルというのか」


長い名だな。

そやつも十中八九貴族だろう。

短い名の者も居るが、貴族はやたらと長い名を付けがちだ。

吾輩の生まれた集落も、そう変わらぬ風習があったが、結局は略して呼ぶことになるのだ。

時折フルネームを忘れてしまうこともあって、どうせ短く呼ぶのなら、普通の名の時点で愛称くらいの長さでいいではないかと、何度思ったか分からない。


「うん。

アインはやっぱり僕のことを探してくれていて、迎えに来ていたんだ」

「やはりそうか。

ここに戻ってくることは許してもらえたのか?」

「うん。でも……あと三日だけだけれどね」


その言葉に、吾輩は口を噤んだ。

「きゅっ」というリンデンの鳴き声を最後に、家の中は途端に静かになった。

湯を沸かす火の音がする程度で、小雨になった雨音がやけに響いているように感じる。

その空気を破ったのはヴィスだった。


「ここを離れるのは寂しいし、本当はずっとここに居続けたいけれど……でも、アインと話して、ここでの生活を思い返して、僕は戻らなくちゃって、今なら向き合えるって、そう思えるようになったんだ。

これまでずっと逃げていたのに、そう思えるようになったのは、全部……全部エルミルシェ殿のおかげなんだ。

本当にありがとう」


キッチンのカウンター越しに見えるヴィスの笑顔は、憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。

吾輩は瞼を閉じ、その笑顔を忘れぬよう、ゆっくりと嚥下(えんげ)するように飲み込んだ。


「そうか。

お主は、立ち上がれるようになったのだな」

「うん……!」


自信に満ちた輝くような笑顔に照らされて、誰がその道に立ち塞がれようか。

ふつふつと沸いた湯を見て、ポットに茶を注ぐ。

いつもなら蒸らしている間はキッチンに居るのだが、今日はポットごと持っていく。


――残り少ない時間を、少しでも共に笑い過ごそう。


吾輩はヴィスの言葉を正面から聞くため、テーブルへと向かった。



「そういうわけで、残念だけれど僕はここで過ごせる時間があまりないんだ」

「そのようだな」

「だからね、エルミルシェ殿の予定がないのなら、この三日間、僕に予定を立てさせてほしいんだ」


ヴィスは楽しそうにそう言う。

別れをこうも満喫するような提案をされては、吾輩もそれに付き合わぬわけにはいかぬ。


「特に急ぎの用もない。

薬を卸しに行くにも、今でなければならぬところもないからな。

それで、三日間何がしたいのだ?」

「まず明日は一緒に調薬したり、動物達と遊んだりしたいんだ」


嬉々として話すヴィスは、まるで子供のようだ。

こんなにも表情豊かに話してくれるようになるとは、出会った当初のぎこちなさを思えば感慨深いものだ。


「それは別にいつもと変わらなくないか?」

「動物達と遊ぶのは、エルミルシェ殿も一緒にだよ?」

「……吾輩もか?」

「僕が動物達と遊んでいても、いつも眺めているくらいだったでしょう?

明日は一緒になって遊んでもらうからね」


「ねー」とリンデンに声をかけ、リンデンもまた嬉しそうに「きゅうー!」っと鳴いてハイタッチをしている。

その楽しそうな一人と一匹を、吾輩は頬杖をつきながら笑って眺める。


「それで?次の日は?」

「次の日は、ノスアツの街に行きたいんだ。

今度は僕の買い物のためじゃなくて、ただ一緒に街を歩くだけ。

美味しいものを食べて、景色を見て……エルミルシェ殿とそんな風に街を歩いてみたいんだ」

「なるほどな。それもまた楽しそうだ」

「でしょう?

三日目の昼間には、もうアインシュテルの宿屋に着いていなければいけないから、朝にはここを出ることになる。

だから実質二日と少ししかないんだ。

最後の朝は、エルミルシェ殿のパンケーキが食べたいな」

「分かった。

これまでで一番美味いやつを作ってやろう」


吾輩がニタリと笑いかけると、ヴィスは「そんなことをされたら、帰りたくなくなるじゃないか!」と怒りながら笑っていた。


――帰りたくなくなればいいなど、口が裂けても言うことは出来まいよ。

きっとヴィスも、向き合えるようになれたとはいえ、突然戻らなくてはいけなくなったに違いない。

吾輩もヴィスも笑顔の裏に本音を隠し、楽しく明るい思い出を残そうとしている。

別れた後に涙を流したとしても、この日々がかけがえのないものだったと、胸に刻んでおけるように。


仕方のないことだ。

いつか別れが来ると、分かっていたじゃないか。


「では、夕食でも作るとしよう。

お主が去るまでの間、好きな料理を言うといい」

「いいの!?

えぇっと……そうだなぁ。

リンデン、どうしようか?」

「きゅ……?」


なんで僕に聞くのさ?と返すリンデンに、吾輩は笑ってしまう。

ヴィスはリンデンの言葉が聞こえていないからか、同じように悩んでくれていると思っているらしく、リンデンと同じように首を捻っていた。

まるで通じ合っていないのに、同じ仕草をするのがおかしくて、吾輩は目尻に涙を浮かべていた。

それがどんな感情の涙かを見ないようにして、ヴィスに悟られぬよう、指先でそっと拭った。




次の日、一日目は何らいつもと変わらない、最後の調薬を共に行った。

眠り薬をくしゃみで散らせ、一緒に作業机で突っ伏すように眠ってしまってから、お互い何も言わずマスクを付けるようになった。

揃ってマスクに手を伸ばし、顔を見合せてクスクスと笑う。

腕が痺れて一緒に悶え苦しんだことも、今となってはいい思い出だ。


雑学を混ぜながら薬草や薬について教え、一緒に薬草を(せん)じ薬を作った。

ヴィスは本当に良き生徒で、この短い期間に沢山の知識や技術を身に付けていた。

今後もまた魔獣討伐などに出ることがあれば、きっとその力を活かせるだろう。



そしてヴィスが望んだように、何匹もの動物を呼びつけて表の庭で遊んだ。

知らぬ間にあの大熊に名前を付けていたらしく、突然走り出したと思ったら「ドルクー!」と呼びかけながら大熊に抱き着いていた。

ひと月前のヴィスが見たら卒倒しそうな光景である。

それを本人に伝えたら「本当だね!?」と驚いていたが、他人事ではなく己のことだぞ……と呆れそうになってしまった。


遊ぶと言っても、小動物から大型動物まで種類は様々で、サイズの近しい者達で駆けていたり、取っ組み合いのようなじゃれ合いを始めたり、撫でてほしそうに擦り寄ってきたりと、みな好きなように過ごしていた。


吾輩はやたらとリスに囲まれていて、嫉妬したリンデンが尻尾をこれでもかと膨らませ、聞いたこともないような「きゅるるるるる!」という鳴き声で怒っていた。

吾輩がそれを見てクスクス笑っていると、ヴィスがリンデンの変わった鳴き声を不思議がって様子を聞きに来たので、どういうことか理由を説明してやった。

するとヴィスもリンデンと並んで、こちらをじっと見詰め始めたのだ。

吾輩の頭や肩、手足に纏わりつく沢山のリス達を見て、何故かリンデンと一緒になってヴィスまで「きゅるるるる……」と鳴き出した。

リンデンの言葉は分かるが、ヴィスの鳴き声の意味はまるで分からなくて、大声を上げて笑ってしまった。


その無駄に切なそうに鳴くのはなんなのだ!?

全くもって意味が分からぬ!

笑って腹が痛むからやめてくれ!!



そして三食全て、ヴィスの希望の料理にした。

何故か「あの時ちゃんと食べてやれなかった、猪肉を食べたい」と言うので、冷凍しておいたものを調理し並べる。

今度は全部しっかり食べれていたので、ちゃんと元気になったのだなと、吾輩もその食べっぷりに満足した。



そして次の日に街に行くため、また髪を染めるぞと言うと、吾輩に近い暗い髪色がいいとヴィスが言った。

真っ黒にならしてやれるぞと言うと了承されたので、美しい金の髪を艶やかな黒の髪に染めてやった。

黒の髪から覗く艶っぽい紫の瞳……これはこれで蠱惑的(こわくてき)でいかんのでは?と、吾輩の顔がぎゅっと中央に寄ったのは言うまでもないだろう。



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