28,sideヴィス(過去編)
ロイエストとラブシュカの結婚式は密やかに行われた。
王太子妃でありながらラブシュカは大々的なお披露目もされず、その年の夏に第一子であり第一王子となるイスティランノが産まれても、発表はされたが城内が賑やかになることはなかった。
ロイエストとラブシュカが共に居るところは、全くと言っていいほど見かけられることはなく、ラブシュカに至っては茶会にすら現れない。
ソルナテラ王国に住む貴族全員が、王家の状況が分からず気を揉むことになった。
その年の建国記念式典で、漸く王太子妃ラブシュカと第一王子イスティランノがお披露目された。
ロイエストとラブシュカが並び立っているところを皆初めて見たが、新婚だというのにどう見ても二人の空気は冷えきっていた。
第一王子であるイスティランノはラブシュカの手で皆の前に姿を現したが、ラブシュカがロイエストに子を渡そうとするも、ロイエストの手にイスティランノが抱かれることはなかった。
王子王女の誕生という喜ばしい発表がされる時、普通であれば両親どちらにも抱かれる子の姿が見られるものだ。
父であるロイエストがイスティランノを抱かない――それが何を意味するか、そこに居た全員が分からないはずはなかった。
ラブシュカは顔を歪めてロイエストを睨み付け、控えていた乳母にイスティランノを押し付けるところを、全員が息を飲んで見ていた。
そんなギスギスとした空気の中、国王から更にとんでもない発表がされる。
来年の春、ラブシュカとの結婚式の一年後には、ロイエストの側妃にミセラティアを迎え入れると言い出したのだ。
その場に居た貴族達は一様に困惑した。
元々二人の婚約解消には違和感が多かったのだ。
ラブシュカが正妃の座に就いた裏には何かある――皆そう感じ取っていた。
側妃を迎え入れるというのは、本来正妃であるラブシュカが何年経っても懐妊しない場合や、病にかかってしまったなど何らかの問題が起きた場合である。
ラブシュカとの結婚式から一年の間を設けるとはいえ、王子を儲けておきながら元婚約者が側妃として発表されるなど、普通では有り得ない。
それはラブシュカにとって、どれほどの屈辱だろうか。
しかも側妃にミセラティアが発表されてからは、ロイエストは常にミセラティアと並び立っている。
いつかのように仲睦まじい二人の様子を見て、貴族達はミセラティアに問題があったのではなく、ラブシュカを選ばなければならないようなことが起きたのだと、少なくとも頭の回転の早い貴族達は察したことだろう。
ラブシュカの生家にあたるレスノワエ公爵の様子はというと、どうやら側妃が選ばれることを分かっていたような素振りで、特に王家に対しての不信感や嫌悪感を表すことなく平然としている。
ということは、公爵も同意の上でミセラティアは側妃に選ばれているということになる。
――何が、どうして?
それを見た貴族達は、その状況と今後の家の繋がりを考え、各々どちらの派閥に属するべきかと算段を立て始める。
正妃と側妃、公爵家と侯爵家、貴族派と王族派……これまでバランスを保ってきた国の情勢に、明確な亀裂が生まれ始めていた。
これまで成り行きを見守ってきた他の上位貴族達も、遂に動き出すことになっていったのだ。
翌年、式典での宣言通り、ミセラティアは側妃として迎え入れられた。
正妃であるラブシュカとの結婚式が署名だけという式だったために、ミセラティアとの結婚式は更に格下のような式になってしまった。
王族と侯爵令嬢の結婚式とは思えない質素なものだったが、それでも並び立つ二人はとても幸せそうだった。
近隣諸国には、ラブシュカとミセラティアのお披露目の席を別で設けられた。
だが、ラブシュカは子を産んでから体調が悪いことを理由に、早々に下げられた。
元々婚約者だった頃からロイエストと共に外交に連れ添っていたミセラティアは、他国から正妃のように思われたのだった。
そして夏頃にはミセラティアが懐妊、春には第一子であり第二王子となる、クレイヴィストが誕生する。
王妃の子であり第一王子のイスティランノ。
側妃の子であり第二王子のクレイヴィスト。
王太子から愛されない正妃の子と、王太子から愛されている側妃の子。
その二人が今後どうなっていくかなど、言わなくても分かることだ。
そうして本人達の心を差し置いて、二人は争い合う運命に飲まれていくこととなるのだった。
「僕は、争いたくなんてなかったんだ。
あの人が……第一王子がとても寂しそうにしているところを、僕は知っているから」
「クレイ……」
「父上が王妃を恨んでいるのは分かるんだ。
未だ証拠を見付けられないと、悔しそうにされている姿を知っているし、王妃やレスノワエ公爵であれば、私利私欲のために媚薬を盛るくらい躊躇いなくするだろう。
けれど、第一王子は……異母兄は、ただ産まれてきただけだ。
僕と同じように」
父上に望まれず産まれてきたイスティランノ。
父上に認められたくて、彼がどれほど努力をしていたか、僕は知っている。
たった一歳半程度の差で同じ城内で暮らしていれば、見かけることもあれば、こちらが望んでいなくとも彼の話を耳にすることは多々あった。
『イスティランノ王子殿下も、努力はされているんでしょうけれど。
陛下に愛していただけるはずもないのに』
『だって、あの女の子供ですもの。
未だに正妃としての仕事を一切出来ないだなんて。
ずっと誰かを侍らせて暮らしているんでしょう?』
『見目のいい男を侍らせているそうよ。
レスノワエ公爵が許していらっしゃるのですって』
『この国の正妃なのに、品位なんて欠片もないじゃない!
それに比べてミセラティア妃は素晴らしい方だわ!』
『クレイヴィスト王子殿下も大変勤勉で、剣も魔術も得意なのでしょう?
私もミセラティア妃付きが良かったわ!
ラブシュカ妃はすぐ癇癪を起こして……あれが正妃だなんて、納得いかないわよね』
使用人達からもそう噂されるラブシュカを、父上は居ないもののように扱っていた。
そしてラブシュカと共に、イスティランノのことも拒絶していた。
彼の母であるラブシュカはといえば、イスティランノへの興味などまるでなく、愛情を注ぐことはなかったらしい。
世話は乳母に任せっきりで、公爵を支持する家の男達を侍らせて、悠々自適な暮らしをしていたそうだ。
両親に見向きもされず、周りからは表面上第一王子として扱われるが、それ以上も以下もない。
小さな子供の心が、それで傷付くことなど誰だって想像出来ただろうに、それがさも当然のような空気がそこにはあったのだ。
唯一彼の目を見て話してくれるのは、公爵とその近くに侍る思惑に塗れた大人達だけ。
そんな大人達からの入れ知恵からしか、他者や世界を学ぶことが出来なかったイスティランノは、年々残虐性が増し、貴族派らしい高慢な少年へと育っていった。
そうして彼は、力と権力で支配する世を望む、暴虐王子へと成長していくのだ。
一方、僕は父上からの過剰な期待を背負わされ続けた。
異母兄であるイスティランノが第一王子として居るのに、いずれお前が王になるのだと言い聞かされ続けた。
剣を振るい汗を流す、僕より大きな異母兄を遠目に見ながら、どうして異母兄ではなく僕なの?と……そう思い続けていた。
周囲の大人達も、無遠慮に僕に圧をかけてきた。
『あちら側の王子など、クレイヴィスト第二王子殿下の足元にも及ばんだろう』
『ロイエスト様とミセラティア妃とのお子なのだ。
それはそれは立派に国を導いてくれるに違いない』
そうした大人達の言葉と思惑に振り回され、イスティランノも僕も、子供の心では堪えられない重圧や傷を負い続けたのだ。
 




