23,sideヴィス
今まで二人でいくつもの死線を乗り越えてきた。
こうして一緒に雨を凌ぐのも、一度や二度ではない。
僕がこれまで生きてこられたのは彼のおかげと言っても過言ではなく、魔獣討伐では僕が前線で剣を振るい、アインシュテルが後方から攻撃と補助を行う。
城や騎士の訓練場、宿舎など、何処に行く時も常に僕の側で味方になり、サポートをしてくれていた。
これは余談かつお互い不本意極まりない話だが、僕が婚約者を作らないのは、実はそっちの気があるのではという噂がある。
そのお相手は勿論アインシュテルだ。
幼い頃からあまりにも一緒に居てしまったせいだろう。
しかし、アインシュテルには昔から大切にしている、幼馴染の令嬢という素敵な婚約者が居る。
それを知った上で馬鹿なことを言う奴も居たものだ。
(噂を言った者達は、もれなくアインシュテルの冷徹な視線に射抜かれていたけれど)
それくらい長い年月、僕の背中はいつだって彼に支えられ、守られてきた。
けれどあの日、そんな彼が僕の前に出て「先にお逃げ下さい!」と、こちらを振り向きもせず叫んだ。
緊迫した危機的状況と、身を投げ出すように僕を守ってくれたあの時、どうしてか僕の脳裏には『不名誉な死』という言葉が過ぎった。
仮に魔獣討伐で亡くなったのだとしたら、この国を守った英雄や誉れと言われるだろう。
しかし、僕を守って本当に死んでしまったとして……それはアインシュテルにとって、他の騎士達にとって、命を賭して主を守ったと、胸を張れることなのだろうかと考えてしまった。
その思考こそが彼らに対して失礼なのだと分かっている。
それでも……僕は彼らに、これまで何が出来たのだろう。
逃げ続けてきた僕が彼らに、何を与えてこられたのだろう――。
今までを振り返り、僕は唇を噛んだ。
「それで……戻れないのは何故なんだ」
お互い一言も話さず、ただ火で温まっているだけだったところに、アインシュテルが直接的な問いかけをしてきた。
僕はぽつりぽつりと、思いの丈を語り始めた。
「僕はあの時、守りたいはずの人達が、アインや皆が、僕のせいで狙われるようになったと……そう思って」
「これまでも十分、死地に投げ入れられてきたようなものだったが?
お前を支持する奴らは共に全員死んでくれれば都合がいいと、アイツらは間違いなく思っていただろうからな」
アインシュテルが食い気味に言葉を被せてきて、僕は苦笑してしまう。
「……それは否定出来ないけれど。
魔獣の討伐とは違う、明確に向けられた大勢の殺意を目の当たりにして、見て見ぬフリで誤魔化してきたものを直視させられた気がしたんだ」
あの時、敵全員が僕に殺気を向けていた。
彼らにとっての味方でさえ、誤って殺してしまっても構わないと言わんばかりの攻撃で、正に捨て身で挑んできたのだ。
魔獣討伐とは関係なく、命のやり取りが行われたあの奇襲で、僕はもう後戻りが出来ないことを悟った。
「これまでも、討伐に紛れて命を狙われることがあったでしょう?
ここ数年は特にね。
討伐部隊の中に、あちら側の手の者が居たのだろう。
それくらいは誰にでも予想が出来るし、僕もアインも対策していた。
けれど、あぁして奇襲されたのは……初めてだった。
今までなかったことが不思議だとも思うけれどね。
でも、僕が魔獣ではなく誰かに殺されたとなれば、間違いなく彼やその周りが疑われるから、今まで直接的には害してこないのだと思っていたし、実際そうだったんだろう。
けれど……奇襲は起きてしまった」
「そうだな」
「僕は誰かに狙われた。
もう向こうはこの国が二分し、内乱が起きることも厭わないと決めたのだろう。
僕が功績を上げるほどに、僕の守れる手が伸びる以上に、アインシュテルや騎士達の危険は増していく。
魔獣討伐もどんどん過酷なものになって、死ぬことを望まれているんだろうと感じていた。
それでも死にたくはなくて、せめて誰かを守るために戦いたくて、失った物や人がないとは言えないけれど、それでも多くの民を守ってきたとは思っている。
でも……そうして魔獣討伐で功績を上げるだけで逃げ続けたって、何も変わらないって……本当は分かっていたんだ。
僕が、僕自身が立ち上がらなくちゃいけないのに、僕は……」
ぐっと言葉を詰まらせた僕の肩を、アインシュテルが軽く叩く。
アインシュテルの表情は変わらず、じっと焚き木を見詰めているが、その瞳が何を映しているのかは何となく想像出来た。
それは、無遠慮な大人達の視線に曝され、僕の心を無視して課せられていく宿命に、理不尽に与えられる重圧に、どうしてと泣いていた過去の小さな自分の姿。
そんな僕の側にずっと居てくれたのは、アインシュテルだけだった。
あの頃から、この逃れられない運命を何とか変えられないかと、それだけを願っていた。
「クレイは昔から変わらないな。
誰とも争いたくなくて、誰のことも傷付けたくない。
そう思っているお前が、生きるために戦い続けなければならないなんて、神様も残酷な試練を与えるものだ」
僕は剣も魔術も、学んですぐ人並み以上に出来た。
だが、誰かや何かを傷付けることは、どうしても好きになれなかった。
的を狙うだけなら一級品、しかし対人戦になれば普通以下……それが僕の剣と魔術の評価だった。
僕の母上から奪った地位で、碌に己の責務も果たさず、しかしその地位と後ろ盾で他人を踏み躙る、義母の残酷さを目の当たりにしていたからか。
それとも、誰からも求められず認められず、悲しみと怒りに震える異母兄の背中を見てきたからか。
傷付けられた側がどれほどの痛みを抱えながら生きていくのか、それを誰よりも近くで見てきた僕が望んだのは、争いのない平和な世界……ただそれだけだった。
――そんなもの、ありはしないのに。
「ミセラティア様も、リーヴィア様も……ただ心配なさっていた。
クレイが無事であるようにと、毎日祈っていらしたぞ」
「そうか……そうだよね。
母上もリーベも、きっと不安にさせてしまっただろうな」
そう言いながら、僕はホッとしていた。
残された二人の立場が悪くなっていないか、敵対勢力から何かされていないか、ずっと心配だった。
もし今の時点で何かあったなら、アインシュテルが伝えてくるはずだ。
一先ず、何事もなく無事ということだろう。
「分かっている、分かってはいるんだ。
帰らなくてはいけないって。
僕が逃げたって居なくなったって、状況がよくなることなんてない。
寧ろこの国にとっては悪化していく一方だろう。
異母兄が……あの人達が、今よりも多くを望み、手に入れてしまったら……この国は間違いなく滅んでしまう」
異母兄は僕に勝ちたいのだろう。
そして、何故か異母兄の母は隣国を手に入れたいらしい。
僕以上の武勲を立て、確固たる地位を得たい異母兄と、どうせならその戦で隣国の地を手に入れてもらいたい義母。
二人の望みが交わってしまってから、あたかも国のために隣国を攻め落とす必要があるよう唱えられていた。
――あんなものは、私戦だ。
だが、それを言っている二人の身分の質が悪い。
国のためと言えば罷り通る身分を持っているのだから。
「頭では分かってはいても、どうして僕なんだって……そう思ってしまうんだよ。
僕は争いなんて、何一つ望んでいないのに」
「それはお前が第二王子である以上、やはり逃れられない運命だったのだろうな。
――クレイヴィスト第二王子殿下。
ソルナテラ王家の血と、由緒正しい侯爵家の血を引き、本来正妃になるはずだったミセラティア様の子供であるお前しか、もうこの国に希望はないんだ……」
アインシュテルの呼んだ名に、僕は顔を歪め俯いた。
クレイヴィスト・ソルナテラ。
それが、僕の本当の名前であり、僕が背負うにはあまりにも重すぎるもの。
僕が第二王子として生を受け、この国の名を背負わされた時には既に、安寧を築き続けてきた王家とこの国の情勢は、二分し始めていたのだから。
 




