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16,


湯を止めてヴィスを風呂に見送った後、はぁと一息吐いた。


――勢いで言ってしまった。


思わず吾輩は片手で額を押さえる。

あぁしてヴィスに言ったとしても、それが仮に吾輩の思う本人だったとて、何か変わるでも、今のあやつが何かを知っているのでもないのだから、別に構わぬのだが。

それにあれくらいであれば、約束も違えてはおらぬしな。


(ありがとう、か。

――それを言うのは、吾輩の方なのだよ)


明かせぬ過去を胸に、視界の端に映った色に目を向ける。

椅子から降り、それをそっと抱き締めた。

ヴィスが選んだ二色に親愛を感じ、照れを抱きながらも密かに歓喜した昼間を思い出す。


今のあやつがどういった状況なのかは知らない。

吾輩はあの時も今も、あやつのことを何も知りはしないのだ。

だが何も知らずとも、ただ支えてやることや、助けてやることは出来る。

ここを出て行くと言うのなら、その意志を尊重し、笑顔で送り出そう。

しかし、もし仮にこれまでを忘れたいと言うのなら、ここでゆっくりと共に暮らすのもいいだろう。

そうなればきっと、きっと毎日が楽しいはずだ。

(わず)かな願望を抱いた時、ふわりと漂う空気が変わり、山の木々がざわめいた。


リィン――…。


街でも聞こえた鈴の音が頭に響いた。

吾輩は鬱陶しげに顔を歪め、手にしていた布を置くと、さっさと夕餉の支度でもしようと動き出す。


「やけに忠告が多いな。

心配せずとも約束は違えぬとも。

あやつにもきちんと言ったではないか。

約束故に吾輩のことは話せぬ、とな。

あやつは過去を話せない吾輩のことを汲んでくれておるし、無理に聞き出そうとはしないだろう。

それに吾輩とて、もう一方の恩人とも言えるお前との約束を、無闇矢鱈(むやみやたら)に破りたいなどとは思っておらぬわ」


人参の泥を洗い落としながら、誰も居ないそこに当然のように言葉を紡ぐ。

暫く待ったが、その後何も鳴りはしなかった。

納得したのか、なんなのか。


「約束は違えぬさ。

……代償を払ってでも、成さねばならぬ時が来ない限りはな」


ぽつりと零した言葉は、蛇口から流れる水の音に掻き消されて、溶けるように消えていった。




霞む目を擦りながら、仕上がったものを広げる。

襟ぐりに金の糸で刺繍を入れ出来上がったそれは、布の品質の良さや派手過ぎない刺繍から、上品で落ち着いた代物になっていた。

うむ、中々いい出来であるな。

ヴィスはまだ眠っているだろうから、コーヒーでも入れようか。

そう思っていると、吾輩の寝室の扉がキィと開いた。


「……おはよう、エルミルシェ殿……ん?」

「あ」


目を擦りながら部屋から出てきたヴィスは、昨日渡した黒のTシャツにいつものパンツを穿いていた。

来た時にはパリッとしていて美しかったパンツは、何度も着ては洗われを繰り返されたせいで、もうくたくたになっている。

刺繍や装飾が美しいため遠目では分からないが、近くで見れば随分着古したように見えた。


ヴィスは眠そうなトロンとした……これまた色気漂う顔をしていたのに、吾輩の手に握られた物を見て目を丸くし、更に机に積まれた物を見て眉間に皺が寄った。

無言でずんずんと近寄ってきたヴィスに見下ろされ、吾輩は視線を彷徨(さまよ)わせる。

ヴィスはさして朝が得意な方でもなく、普段であれば起きて暫くはぼんやりとしておるというのに、何故こういう時だけ目敏(めざと)いのか……!

ヴィスは吾輩にひたりと焦点を当てると、うっそりと微笑んだ。

吾輩の背中にだらだらと冷や汗が伝っていき、ヴィスから目を逸らせながらも自然と顔が下がっていく。


「エルミルシェ殿?これは?」

「……お主の服、だな」

「うん、そうみたいだね。

それで、何着あるのかな?」

「…………よ、四着……?」


「へぇ」と返事したヴィスの声は何処か軽やかだが、スゥッと空気が冷えていくのが分かる。

蛇に睨まれた蛙とはこのような気持ちなのか!?

最早吾輩、顔が上げられずに足元を見るばかりである。

絶対怒っておる、怒っておるぞこれは……っ!!

魔獣にも怯えぬはずのこの体が、小刻みにぷるぷると震え出した。


「聞いていた量の半分も作ったのか、凄いね。

――で?君は寝たのかい?」

「あぁ〜〜いやぁ、そのだな……」

「寝ていないんだね?」

「いやぁ〜〜……」

「寝て、いないん、だね?」

「……うむ」


白状しろとの圧に屈し答えると、頭上から盛大な溜息を吐かれた。

そしてその後、ヴィスが手を伸ばしてきたと思ったら、吾輩の体がふわりと浮遊した。


………………ん?


驚いて顔を上げると、ヴィスの顔が目前に迫っていた。

近い!近過ぎるわ!!


「お、お主!何をしておるのだ!?」

「何って、寝かせるに決まってるじゃない。

そういえば、エルミルシェ殿は何処で寝ているの?」

「いや、だからって……だっこ!?

だっこって、お主っ」

「仕方ないじゃないか、こうでもしないと言うこと聞かないし、どうせよく目が覚めるハーブティーかコーヒーでも飲んで、何事もなくこのまま起きているつもりだったんでしょ」


……おい、なんでバレておるのだ?

見ておったとでも言うのか?

回答が百点満点ではないか。


「それで?

エルミルシェ殿のベッド……は…………?あれ?」


ヴィスはきょとんとした後、みるみる顔色を変えていく。

おぉ……遂に気付いてしまったか。

今まで問われることもなかったし、まぁいいかと思ってきたのだがな。


一人暮らしの吾輩の家には、ヴィスに貸せる服がないのと同様に、ベッドも吾輩の分しかない。

最初の頃からずっと使っていたから、そのまま当たり前になっていたのだろうが、ヴィスにとっては余分の少ないあのベッドはこの家唯一の寝具である。

当初ヴィスサイズのソファでも作ろうかと検討していたが、あのベッドで文句が出なかったから、まぁいいかと思ってやめたのだ。


「気にせんでいい。

普段から吾輩が寝る時は作業机で突っ伏していたり、ソファでゴロ寝していたり、あれを使うことも時々だったのだ」

「気にするに決まってるじゃないか!

ぼ、僕は恩人に……なんてことを」

「あぁもう面倒な。

怪我を負い毒に伏せっていたお主を、ソファで休ませるわけにいかぬだろうが」


だっこの状態でヴィスの両頬を(つね)る。

ヴィスはビックリした顔でぽかんと口を半開きにさせたまま、固まってしまった。


「寝かせたいと言うのなら、ベッドでもソファでも好きなところへ運ぶといい。

山を行き来し、街で買い物をした後での徹夜は確かに……ふあぁ」


ヴィスの体温のせいだろうか。

寄りかかったヴィスの体は布団のように温かく、一気に眠気が押し寄せてきた。


「……あれは、お主の服だ。

好きに、着るといい……」


目の前の広い肩にくたりと頭を預けると、もう抗うことは出来なかった。

吾輩はヴィスに抱えられながら、すとんと眠りに落ちたのだった。



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まさかのお姫様だっこ。(〃艸〃)♡
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