13,
満足そうに布を持つヴィスと、胡乱な目を向けている吾輩は並んで街を歩く。
相変わらず手は繋がれていて、その手が先程より幾分跳ねている気がする。
「ちょっと、浮かれすぎじゃない?」
「そうかな?
こうして何も気にせず買い物をするなんて、初めてだったから。
少し楽しくてね」
あぁ、お坊ちゃんはこういった買い物自体が初めてか。
買いたいものがあれば商人を呼び付けて、家に持ってきてもらうのが当たり前だったのだろうか。
そうなると――…。
「お兄ちゃん、お昼ご飯はどうしたい?」
「えっと、どうしたいとは?」
「もうお昼ご飯の時間じゃない?
お高いレストランなんて入れないんだから、街の大衆食堂のような店でもいいし、それこそ食べ歩きも出来ると思うけど?」
「食べ歩き……!」
ヴィスの瞳がキラリと光った。
吾輩は思った通りの反応に苦笑を漏らした。
ヴィスはそういうことに憧れていそうな気がしたのだ。
「実は地方遠征に行くことも多かったから、食堂の利用はしたことがあるんだ。
でも人の目があるところで買い食いなんて、どうしても出来なくて」
「……そういうことに理解のある人は居なかったの?」
「誰が敵で誰が味方なのか考えるのが面倒で、ほとんどの人間と表面的にか接してこなかったから。
決して僕を慕ってくれる人が居なかったわけではないけれど、勝手に期待して離れていく人も居たし、期待と言えば許されると思っているのか、色々と押し付けてくる人も居たからね。
勿論、僕を嫌っている人や侮っている人も居たよ。
こちらに聞こえていると分かっていて、嫌味や悪口を言う奴って何処にでも居るんだよね。
僕にとってはそのどちらの言動も億劫なものだったから、気にせず受け流していたけれど」
中々闇深い回答に、吾輩の表情は抜け落ちていた。
サラサラと軽く返答されたが、そんな淡々と言うものではなかろうに。
「それに、僕の我儘で誰かを買い食いに付き合わせて、それを別の誰かに見られでもしたら、僕だけじゃなくて一緒に居た人にもあらぬ噂が立ったり、矛先が向いたりしてしまうかもしれないしね」
ヴィスは寂しさを誤魔化したような笑みをこちらに向けていた。
聞いたはいいが、完全に墓穴である。
買い食いをしに行くだけで、噂が立ったり相手に矛先が向く恐れがあるとは、これ如何に。
しかも実地訓練の話は聞いていたが、それだけではなく地方遠征にも参加していたとなれば、こやつは騎士見習いなどではなく、やはり本物の騎士ということだ。
そして、近隣諸国と争いが起きていない今のこの国で地方遠征に行く理由は、高確率で魔獣討伐のためだろう。
王都や大都市での警備や要人警護とは違って、魔獣討伐は常に死と隣り合わせの過酷な任務だ。
経験の浅い新人や実力不足の騎士なんぞを放り込めば、すぐ骸となってしまうような場所なのだ。
つまりヴィスは魔術師か魔剣士で、魔獣討伐にまで駆り出されるほどの相当な実力者ということになる。
剣を持っているのだから、魔剣士なのだろうな。
以前、ヴィスに叱られた時の青いオーラ……間違いなく、水属性の強い力を持っているに違いない。
小さな紅の混ざり具合を見るに火属性も扱えるのだろうが、そちらが本線ではない。
こやつの水の力は、かなりのもののはずだ。
余程魔力制御が上手いのだろう。
初見で魔術が使える魔力持ちだと気付いてはいたが、あの時無意識に放たれたのであろうオーラを見て、これほどかと驚いた。
――分からぬ。
こんな子供の態をした吾輩相手にも、貴族らしからぬ態度で気さくに接してくれる懐の広さ。
人望もありそうな穏やかな人柄で、恐らく家の身分も申し分なく、魔剣士としての能力もそれなりに身に付けているはず……なのに命を狙われている。
"だからこそ"とでも言うのかもしれんが、こんな優しい男が何故――。
「それなら、残りの買い物を終わらせたら、沢山美味しいものを食べようね!」
「あぁ、そうしよう!!」
努めて明るい笑顔で、ネラに成り切り覗き込む。
ヴィスもまた嬉しそうに返してくれた。
吾輩は駆け出すように前を向いて、ヴィスの手を引いて走った。
その後、平民には少し高めの男性服を扱う店で、ヴィスは恥ずかしげに男物の下着を選んで購入していた。
終始俯いていたから、下からちらりと覗いてみれば、フードに隠れたそれは見事に色付いていた。
眼福眼福。
中々難易度の高い買い物だろうと思って、店の前で吾輩が「代わりに買ってきてあげようか?」と言えば、顔を真っ青にして必死で横に首を振っていた。
変わらず揶揄いがいがあって結構なことだ。
ヴィスが顔を茹で上がらせながら下着を悩んでいる間、服が出来るまでの間にヴィスが着られるよう、長めの丈の黒のTシャツを選んでいた。
こやつが着なくなれば、古着など気にしない吾輩がワンピースとして再利用出来るよう考えておるし、これも必要経費ということにする。
次に鞍を見に行った。
この国では馬やロバの需要が高く、その分鞍もよく売れる。
皮の質感や装飾に拘らなければ、差程高くない買い物のはずだったのだが「吾輩は要らぬから好きに選べ」とヴィスに選ばせたところ、店で二番目くらいに値のするやつを持ってきおった。
装飾は少なく派手さはないので一見高そうには見えないのだが、触ってみて分かる、とても質の良い品だった。
恐らく値段を見ずに、その質感と試した心地で選んだのだろう。
意地で澄まし顔をしてやったが、心臓は酷く脈打っていた。
「好きに選べ」と言ってしまった手前、断るなんて格好悪いことなど出来るはずもない。
吾輩は「図鑑より安いではないか」と心の中で呪文のように三回唱えることとなり、予想を遥かに上回る金額を前に、必死で動揺を隠すことになったのだった。
それから吾輩は子供らしい顔を貼り付けて、兄妹のように振舞いながら露店の並ぶ通りを見て回った。
楽しいことに間違いはない。
嬉しそうにしているヴィスを見て、吾輩も提案して良かったと心から思っている。
だが、ヴィスが店に夢中でこちらを見ていない時、ふと先程の言葉を思い出した。
(あの時のこやつは、どう生きておったのだろうな)
露店の店主と話している時、その楽しそうな表情を吾輩はぼんやりと眺めながら、遠い遠い昔に聞いた、痛々しい声音の懺悔を思い出していた。
胸を裂くような、絞り出すような嘆きを。
『すまない……すまない……っ』
姿形さえ知らぬ者の声と、目の前の姿が重なる。
お主は本当に、あの時の者なのか……?
確認する術もなく、仮に問うたところでヴィスは困った顔をするだろう。
――全て、打ち明けてしまえたなら。
ふとそんな欲が脳を掠めた時、山の方角からリィンと鈴の音が耳の奥に響いてきた。
遅くなるなというお告げか、はたまた宜しくない考えを抱いたことへの警告か……。
吾輩はゆっくりと目を伏せると、カビと血の臭いが充満した、真っ黒な記憶に蓋をした。




