11,
山を下り、街の手前まで辿り着いた。
吾輩はぐっと伸びをしてから後ろを振り返ると、そこにはヴィスがぐったりと座り込んでいた。
大熊は本気を出せば、時速六十キロメートルの速度で走る。
しかし乗り心地と持久力を鑑みると、山を登り下りするに向いている動物とは言い難い。
そのため、吾輩が選ぶのは常に彼ら……そう、大狼である。
バルメクノ山脈で暮らす大狼達は、普通の狼に比べてかなり巨体で、脚力も体力も並外れている。
吾輩より五十センチメートルほど大きいヴィスを乗せても、軽々と山を駆けるのだ。
更に言えば、馬とは違って豪胆だ。
気性の荒い動物と出くわそうとも、ちょっとやそっとで怯まず動転もしない。
常に山を駆け回っているだけあって、彼らは高さのある障害物も気にしなければ、木々の間を通り抜ける時もスピードを落とさぬまま走り続ける。
吾輩、今更馬に鞍替え出来る気はしないな……と常々感じていたのだが、乗馬ならぬ乗狼初心者には流石にハードだったらしい。
「お主、大丈夫か?」
「荒々しいのに鞍もない。
乗馬が出来る僕でも、あれほどキツいなんて……」
「あぁ、確かに。
やはり騎座や鐙があるだけで楽になるか。
ふぅむ、お主用に作らせ……いや、馬用を改良してもいいか」
「もし今日以外に乗る機会があるのなら、是非ともお願いしたいね」
遠慮のない返事に、切実さをひしひしと感じた。
そう素直に言われてしまっては、期待に応えねばなるまい。
予定にはなかったが、鞍もついでに見て帰ろうと密かに決める。
「ほれ、そろそろ行くぞ。
帰りは山を登らねばならんのだからな」
「うん、そうだね」
バルメクノ山脈に隣接する中で一番大きな街、ノスアツ。
多くの市場が並び、活気に溢れている街である。
貴族や富豪向けの店が立ち並ぶ区画もあり、様々な商品が取り扱われ、種類も豊富だ。
普段そちらの区画に用はないが、今日はヴィスの物を買いに来たのだ。
あまり質の悪いものを渡すわけにもいかないので、今日は珍しくそちらに近い区画にも足を向けるつもりだ。
だがそれよりも先に、吾輩にはやらねばならぬことがある。
「よし、まずは薬を売るか」
吾輩は斜めにかけた大きなバッグに、薬をこれでもかと詰めてきた。
ヴィスが持とうかと聞いてきたが、いつものことだから甘やかすなと言ってやった。
これは吾輩の仕事なのだ。
ノスアツの中で一番良心的で取引しやすかった、ホンザという爺が経営している薬屋へと向かう。
扉を開くとカランコロンとドアベルが鳴り、カウンターに座る好々爺がにこりと微笑んだ。
「いらっしゃい。何かお探しかね?」
「あのね、薬を売りに来たの。はい、これ」
吾輩は声色をがらりと変え、幼い女児らしく高い声で話し出した。
恐らく背後ではヴィスがぎょっとしていることだろうが、気にせず吾輩は背伸びをして、カウンターに一枚の木札を差し出す。
するとホンザは「あぁ、漸く来てくれたわい」と言いながら、何やら帳簿を探し始めた。
「また新しい子じゃな?」
「うん、ネラっていうの。
後ろは私のお兄ちゃんだよ。
昔ここに来たことあったんでしょ?
私、今日が初めてだから付いてきてくれたの」
「おや?そうじゃったか?」
ホンザは首を傾げながらヴィスの顔を覗き込もうとするので、吾輩がフォローに回る。
「イヴォっていうのよ、覚えてない?」
「おぉ!イヴォか!
こりゃあ大きくなったなぁ」
ホンザはイヴォもといヴィスを、カウンター越しでもお構いなしにぺしぺしと叩く。
ヴィスはフードを深く被り、頭を下げた。
吾輩は身長が足らぬので、近くにあった丸椅子をよじ登る。
「なんじゃあ、随分大人しくなりおって」
「あぁ〜〜……お兄ちゃんね、今声が変なの。
師匠の薬の試飲をさせられて、別人みたいな声になっちゃったから、恥ずかしくって今あんまり話さないんだ」
「ふぉっふぉっ!
お前さん達のところのお師匠様は、相変わらずなのじゃなぁ。
お師匠様はご健勝かの?」
「元気だし、色々と相変わらずよ。
この間また一人拾ってきたんだから。
ご飯が減っちゃうわ!」
「お前さん達もそうしてお師匠様に拾ってもろうたのだろう?
新たな仲間をちゃんと歓迎しておやりなさい」
「はぁ〜〜い」
ヴィスはじっと吾輩達の会話に耳を傾けている。
ここでの設定を少しでも掴もうとしているのだろう。
「さぁて、薬じゃな。
お前さん達のお師匠様が作る薬は良く効くからの、すぐ売れてしまうんじゃ。
……うぅむ、ほとんど切れておるのぅ」
「じゃあ、いつもの数全部買ってもらえる?」
「なんなら少し多くてもええぞぉ。
もう少し経てば夏風邪も流行るじゃろうしの」
「わーい!
今日ね、少し多く持っていきなさいって言われたの。
師匠、分かってたのかなぁ?」
子供らしく両手を上げて喜び、バッグから包みや瓶などを出していく。
適当に出されたそれを、ヴィスが丁寧に並べてくれた。
「師匠のお薬、おじいちゃんには説明しなくて大丈夫って言われたけど、いい?」
「あぁ、大丈夫じゃよ。
このピンク紙の包みは風邪薬で、この緑紙の包みは胃薬じゃろ?」
「そうそう!大丈夫そうね!」
風邪薬、胃薬、解熱薬、睡眠薬、傷薬、整腸薬など……バッグいっぱいに詰められていた薬を出していく。
ヴィスが仕分けて綺麗に並べてくれたものを、ホンザがテキパキと数えて帳簿に記録していく。
「こりゃあまた大金じゃぞ。
お嬢ちゃんに渡して大丈夫かい?」
「大丈夫よ!
お兄ちゃんも居るし、それに私やお兄ちゃんに手を出したとしたら、私達以上に手を出した相手の方が心配よ。
師匠、本当におっかないんだから」
吾輩が肩を竦めてそう言うと、ホンザは顎髭を撫でて考えるように斜め上へと視線を向けた。
「お前さん達のお師匠様は、それはそれは凄い魔術師なのじゃろうなぁ。
確か、一昨年じゃったか。
お使いで来た、お前さんみたいな小さな女の子が襲われそうになって……」
「マルタちゃんでしょ?
お金を盗もうとした馬鹿な男達に、雷が直撃したって聞いたわ。
今日出てくる時に散々聞かされたもん」
「ありゃあ魂消たわい。
儂の家からほんの二~三分ほどの場所だったからのう。
何かが爆発でもしたんかと思うて、ここらご近所のみなで、逃げるべきなんかどうかと相談したのをよぅ覚えておるよ。
あぁ、イヴォや。
こっちが薬の数と買取額で、こっちがその金じゃから、確認しておくれ」
ヴィスはしれっとホンザから確認を頼まれていた。
無言で頷き、紙に書かれたものと硬貨の数を確かめてくれている。
「おじいちゃんに売ったばかりの火傷の軟膏と鎮痛薬が、全部そいつらに消えたっていうのも聞いたわ。
師匠、自分が加減せずに打ったくせに、その後薬の調合に追われて不機嫌だったんだから」
吾輩はぷぅと頬を膨らます。
ホンザはからからと笑いながら、ヴィスに間違いないか確認した後、薬の買取額を袋に詰めていった。
じゃらりと重たい袋を受け取り、バッグに仕舞う。
「じゃが、お師匠様のおかげで人攫いの一味を捕えられたのじゃ。
儂もみなも感謝しておる」
「……師匠に言っておくわ」
吾輩はふいと視線を逸らす。
決して感謝されたから照れているのではないぞ。
さて、今の話の中で出てきた師匠だが、まずそんな存在など実在しない。
そもそも今登場した人物で実在するのは、この薬屋のホンザだけだ。
薬を作っているのも売っているのも、当然だが吾輩ただ一人。
イヴォもマルタも、今回のネラもそうだが、吾輩が過去、名前や性別を偽って化けた時の名前だ。
他の街に売りに行く時に同じ名と姿を使うこともあったが、それでもくるくるとローテーションさせていたから、吾輩には両手の数ほど偽名と仮の姿があるのだ。
吾輩は山籠りをしながら薬師として生活を始めて何年も経っているが、訳あって成長しないこの身長のせいで、半年から遅くとも一年で別の子供に成り変わらねばならない。
子供がずっと同じ身長のままでは気味が悪いからな。
そのため『師匠が時々子供を拾ってくる』という設定を考え、まだ薬に触れぬ見習いのチビは使いっ走りをさせられている……ということにした。
そうして架空で作り上げた、薬師の師匠のお使いだという体で、吾輩は薬を売りに来ているのだ。
――マルタとして振舞っていた時、攫われそうになって雷を落としたのも吾輩自身だ。
ちぃとばかし力加減を誤ってしまって、脅し程度のつもりが相手を丸焦げにしてしまった。
あれは……反省しておるよ。
その後暫くずっと、火傷の軟膏と鎮痛薬ばかり作る羽目にもなったしな。
やはり凡そで力を奮うものではないなと、苦い思いをしたものだ。
「そうだ。あとこれ、師匠から。
関節痛の塗り薬ね」
「おぉ!これは助かるのぅ!
これはいくらじゃ?」
「師匠からはお代はもらわなくていいって。
これからも元気で長生きして、ずっとこの店に薬を卸させてって言ってたから」
「……そうかぁ、そうかぁ。
嬉しい言葉じゃな。
ありがとうと伝えてくれるか?」
「ふふっ、勿論よ」
ホンザはくしゃくしゃの顔を綻ばせて笑っていた。
精々長生きしてくれなければ、この顔が見れんからな。
吾輩は少女らしい満面の笑みを向け、店を後にした。
 




