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「きゅっ!きゅきゅっ!」
「ふむ?
リンデン、どうしたのだ?」
可愛らしい鳴き声で吾輩の背を駆け上がり、肩で一息吐いているのは、いつの間にか懐かれてしまった子リスだ。
薪になりそうな木材を探していた時、倒れている小さな姿を見付けたのがきっかけだった。
首を掴んで持ち上げてみるが、うんともすんとも言わず体はだらーんと伸びるばかり。
くたばっているのかと思ったが、まだ温かく体も微かに動いていた。
仕方がないとローブのポケットに突っ込んで、必要数には足りていなかったが薪拾いを終え、家に戻った。
好きそうなクルミやグミの実などを並べてみても反応がなく、せめて水分をとリンデンの花を浮かべた花茶を用意してみた。
その小さな体は生きようとしていたらしく、ちろちろとそれを飲み始めた。
どうやら病にでもかかっていたらしい。
リンデンの効果も相まって、みるみる元気になっていった。
そのうち花弁も食み、食事もするようになっていたので、山へ返そうとしたのだが……手にしがみついて離れなくなってしまったのだ。
それからというもの、気付けば自分の塒に帰らなくなり、常に吾輩の肩や頭の上に乗っているようになった。
部屋の隅や、作業机の上で丸まっている姿も時折見かける。
不本意ながら共に過ごすことになったが、野生のリスなどそこかしこで見かける山奥で、この一匹をずっと子リスと呼ぶのも忍びない。
「リンデン」
数日経っても帰る気配がないそれに、きっかけとなった名前を付けてやったら、気に入ったのか、しきりに鳴き出した。
トテトテと肩へと上って来たと思えば、左右の肩を行ったり来たりと駆け回るので「擽ったい。やめないか」と言ったら、頭の上で暫く鳴き続けていた。
煩くて敵わんと思いながらも、吾輩は久々の生き物との共存に、頬が少々上がっていたやもしれん。
そんなリンデンは時々、吾輩の側を離れることがある。
リンデンは賢く、吾輩の手を煩わせないよう餌は自分で探してくる。
排泄は土の肥料となることを理解しているのか、家の中ではなく外で良い場を見繕ってしているようだ。
どうやら今は餌を探しに出ていたらしいが、何処か様子がおかしい。
何やら慌てているらしく、いつもより走る足音が大きい。
リンデンは茶を入れようとしていた吾輩のワンピースの裾にジャンプすると、器用にそれをよじ登り、あっという間に肩へと到達したのが先程のことだ。
「……なに?人が倒れている?」
吾輩が嫌そうな表情を浮かべるも、リンデンは吾輩の意思を無視し必死に鳴いている。
仕方なくリンデンが顔を向ける方へと視線を向けた。
ここは人が安易に立ち入れるような場所ではない。
他の地に比べ魔獣は少ないが、熊や猪といった凶暴な野生動物も多く、何よりも標高の高いここまで向かうにも、人の道らしいものはない。
獣道をかき分けながら登ってくるしかないのだ。
仮に吾輩が日頃使っている道を見付けられたとしても、多少歩きやすい程度だろう。
重だるく溜息を吐きながら、リンデンの示す通りにその場へと向かった。
ザクザクと獣道を下りると、小川の近くで伏している体を見付けた。
近付いてその顔を覗き込む。
十代後半から二十代前半くらいの青年らしい。
美しい装飾の服と、剣を佩いている。
汚れのせいか分かりづらいが、金や黄色みのある髪色に見え、一層顔を顰めてしまう。
しかも、高貴な方々しか放たないようなオーラがある。
全くもって関わりたくないが、よく見ると至る所に血が滲んでいるではないか。
しかもその傷や怪我は、どうやら山道を歩いて出来たものだけではない。
多くの傷は鋭利な刃物での切り傷や、弓で射られたもののようだった。
「リンデン……面倒事の気配しかしないのだが」
「きゅっ!きゅう〜〜」
リンデンは縋るように鳴き続ける。
野生動物は敵意や害意に敏い。
リンデンがこれだけ心配を表しているのだから、この人間は決して悪い者ではないのだろう。
とはいえ、元より人と関わるつもりがなく、こんな山奥で暮らしているのだ。
商売上での最低限のやりとりは、やむなしと割り切っている。
だが、それ以外に自ら人との交わりを得ようとは思っていない。
その上、このような明るい髪色など……厄介事の匂いしかせんではないか。
そう思っていた時、青年から譫言のような声が聞こえてきた。
「う…ぁ……はは…う…………リ……ァ……」
吾輩はその声を聞きながらぼんやりと青年を見下ろし、はぁ〜〜と盛大に溜息を吐くと、胸に手を当て念じた。
(すまないな、吾輩だけでは運ぶことが出来ないものなのだ。
誰か力を貸してはくれないか?)
すると暫くして、ドスドスと地鳴りのような足音が近付いてきた。
茂みから顔を覗かせたのは、吾輩より五十センチメートル以上大きいだろう、立ち上がった大熊だった。
吾輩の目をじっと見ていたが、視線を下ろした先にある青年を見付けると、四つん這いで青年の体の下に顔を捩じ込み始める。
そしてズリズリと体を動かし、器用に青年を背中に乗せていた。
振り向いた瞳はくるんとしていて、どうしたらいい?と聞いているようだった。
吾輩は先導するように家へと戻る。
家に辿り着くと、大熊は家の前に青年を丁寧に下ろし、行儀良く座っていた。
「突然悪かった、助かったよ。
これは前に取っておいた鹿肉だ」
謝礼を大熊の目の前に置くと「ぐぅ」と一鳴きし、肉を咥えて山へと戻っていった。
見送っていた大熊の姿が見えなくなり家に入ろうとすると、こうなった元凶の青年が入口を塞ぐよう横たわっている。
踏み付けぬよう玄関の扉を開いて、ドアストッパーを挟むと、青年の脇に手を入れてズルズルと部屋の中へと入れた。
吾輩にはベッドやソファに持ち上げる力などないので、床に大きなタオルケットを敷き、なんとかそこに青年を乗せる。
引き摺って上半身を乗せ、よれたタオルケットを直し、下半身を持ち上げて乗せ……という工程のせいで、タオルケットがぐしゃぐしゃになってはいるが、少なくとも地べたではないことに感謝してほしい。
自分の体格より遥かに大きなものを運んだせいで、肩で息をしていた吾輩は、深く深呼吸し息を落ち着けてから、しゃがんで青年を覗き込む。
「……何故、こんな山奥なんぞに倒れていたのだ?」
そう問いかけても、青年は苦しそうにするばかりで答えはない。
眠っているようだが、どうやら傷のせいで熱が出ているらしい。
吾輩は作り置いていた薬を棚からいくつか取り出した。
そして傷口を消毒しようとして気付いたが、ただの切り傷や擦り傷にしては変に赤黒く変色し、熱をもって腫れている箇所がある。
「これは……毒か?
更に厄介事の気配この上ない……はあぁ…」
吾輩はただの傷薬から解毒効果のある薬に変え、生傷へと薬を塗り込み、包帯を巻いて手当をしていく。
足も挫いたのか左足首が腫れていて、ハーブを混ぜ込んで作った湿布を貼る。
頭には氷枕を敷き、リンデンの花で作った花茶を吸いのみでゆっくりと飲ませた。
吾輩の邪魔にならぬよう、いつの間にか離れていたリンデンは、青年の顔近くに寄ってくると鼻をひくつかせた。
「きゅっ、きゅきゅきゅ!」
「あぁ、そうだ。
お前を救ったリンデンの花の茶だよ。
こやつもすぐに良くなる」
鼻の頭を撫でると、リンデンは嬉しそうに鳴いてから、青年の頭の近くで体を丸めた。
どうやら今日はそこで眠るらしい。
何か異変があればリンデンが知らせてくれるだろう。
「……念の為に薬を補充しておくか」
吾輩は青年の体の上に布団をかけ、作業机へと向かった。