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正しいお金の使い方、正しい老後の過ごし方

作者: セントラルタワーズ

1 一人ぼっちで食べるういろう


レコードにさきっぽの折れた針を乗せると、じ、じ、じ、と歯切れの悪い音が鳴る。

まるで未経験者がひくピアノみたいだ。

飛び飛びのクラシックは一緒にハミングするにはストレスがたまるが、この家には私以外の住人が無くテレビも無く、無音で、私は何かしらの音を出して寂しさや空虚さを和らげたいと思っていた。

テレビのない部屋。

世間の事件やニュースを聞くのに疲れ、マスコミが騒ぐのに嫌気が指したのだ。


娘を5歳夫を35歳で失くしていた。交通事故、超高齢ドライバーの運転する逆走車と衝突した。

センセーショナルに読者を煽る週刊誌が最も嫌いだった。同情されるのも慰められるのも嫌すぎた。

人の不幸は蜜の味、なのは慈悲の無い経験の浅いバカ者たちだ。

当事者にしてみればたまったもんじゃない。


あれから55年近く過ぎ去った。

もう時効だが、忘れられずにこの歳まできてしまった。

曇天の空が縁取られた茶色の四角格子の外に見えて部屋の中には壊れたレコード。

本棚にはホコリ。

読んでいない本が沢山積まれタイトルにはミミズののたうち回るような英語が並ぶ。

夏なのにまだ出しっぱなしなこたつに布団。年々、寒さに弱くなってきている。

夏なのに凍えて、常に骨の芯が冷えている。

家の主である独りぼっちが緑茶をいれ、お茶うけは薄く切ったういろう。

熱く煮えたぎったお湯はお茶っ葉を蒸らす。

ポトリポトリ零れ落ちる緑色の液体。

高齢者の引きこもり、なんだろうなと自虐。

イラン仕立ての手紡ぎの絨毯は濁ったトマトスープみたいな色をしている。

埃を被った部屋で私はお茶を丁寧にいれる。

お湯の温度が高いから澄み切った緑色が落ちた。

もうずっとゴミを捨てていない紙くず入れがティッシュでみちみちていて、それに過去の飼い猫の爪とぎの跡がある。

過去を蒸し返す話をするには気が引けるし第一、話して分かってくれる相手もいない。

交通事故だった。

亡くなった当初は沢山お見舞いがきて、お悔やみや慰めに対応するので忙しく、悲しみを感じる暇さえ無かったし、心で感じた何かを吐き出すような雰囲気でも無かった。

徒労感を感じた。

それ以降は世間を、理不尽を捨ててきた。

心に蓋をして辛抱を貫いてきた。

その結果得られたのは自由で、代償として支払うのは孤独だった。

お金は慰謝料と保険金が多量におりた。

私はほそぼそと働き、定年してからは二人がいた思い出の家に籠もった。

お箸たてに刺さっている箸の数を数えてみる。

1.2.3.4.5.6本。

娘と共に亡くなった旦那の分も捨てていないが、独り暮らしにはちと多い。

濁ったラベンダーの香り。

錆びたギター。

古びたギターケースにこれも埃まみれで仕舞われたまま55年も日の目を見ることなく眠り続けている。

旦那の愛用していたギターだった。

お茶がトポトポ入った。

すする。

旦那のひくギターの音色は、ぽろんぽろんたどたどしくお世話にも上手いとは言えなくて。

丁度この針の折れたレコードみたいな音色だった。

でもたのしかった。

懐かしく想い出す。

ういろうに爪楊枝をさし、一枚器用にめくりとると入れ歯が揃った口の中にゆっくりおさめる。

ういろうをたしなむ。

甘さがじんわりと広がり茶の苦味と交わって美味だった。

吸いも甘いも噛み分けた年配の貫禄。

今は行くべき場所もなくこうやって独りに慣れしたしんでいた。

神様は苦しみを長引かすのがお好きだ。

慈悲を奪い去りこうやって独りぼっちにさせておいてヨボヨボの命を負わす。

背負ったまま余命を過ごさせる。

一人娘も旦那も消えてしまった。

寂しいのだろうか。

それとも煩わしいのから開放されているのだろうか。

どちらなのかもはや分からない。

お茶をすすりながらレコードに合わせカビの生えた声帯で哀しい歌を歌う。

歌声を聞かせる相手も居ないのに。

ただ、一緒にお茶を飲む相手くらいほしいとは思っていた。

独りを貫くにはこの積もり積もった時間は長すぎる。

時計の秒針が進まないのが恨めしかった。

減らないお茶っ葉も缶の中、恨めしかった。

今日は庭のパンジーを手入れしようかしら。

暑さに負けて萎れてきてしまったから。

そして新しいういろうを買おうかしら。

ピンポーン。

チャイムが鳴った。

あら?

空耳かしら?

ピンポーン。

もう一度鳴った。

来客?

何ヶ月ぶりかしら。



2 結婚式で食べたスパイスチキン


「見てみて。しじゅうからがきてる、可愛い。珍しい鳥ですね。山の方では、民家にたまにやってくるんですね。青と黄色、それに黒と白のコントラストが美しい。日本版のセキセイインコみたいです。」

訪問販売員だと隠さず名乗った彼女は開口一番どうでもいい世間話を始めた。

そうやって心を開かせ高い壺でも売りつけるんでしょう。

疑心暗鬼を隠せない。

帰れ!と一喝もできずぎこちなく相槌をうつ。

正直な所鳥の名前はカラスとすずめくらいしか知らず興味もなかったが、久しぶりの来客に少し浮かれる気持ちもあった。

訪問販売員は一人で笑う。

カラカラと虚しく。

当のしじゅうからは庭のミミズらしき虫をついばむのに夢中だ。

言われてみれば多少可愛い。

ツンツンという擬音語が似合いそうな動きの綺麗な小鳥。

お腹に太いネクタイみたいな模様がみえる。



旦那と娘を5歳で失くして、孤独を選んできた。

世の中の明るい話題に全て背を向け悲しみで心に蓋をして、これ以上涙が出ないように気をつけていた。

喜怒哀楽の無い人生。

浮く事はないが沈みもしない。

明るく輝く若い何も怖くなかった無鉄砲な日常はもう二度と戻ってこない。

消化できず胃もたれを起こすような悲しみを秘めて長い時間を浪費するだけ。

歳は90。

長生きは言葉を変えて大往生とも言われる。大往生、には批判めいた響きがあるように思う。

そんなに長生きして若い者に迷惑をかけて、と言われているような雰囲気が嫌だ。


「綺麗に手入れされていますね。」

庭の萎れかけたパンジーと、買ってきただけの真鍮の針金飾り、そして不釣りあいなほど高価な玄関先の信楽焼のたぬきを見て客人は言う。

ああ、このたぬきで目ぼしをつけ、私のうちに来たんだな、私にはピンときた。

私の預貯金の額と家の規模と飾り物は比例している。

客の相手をしていると隣の人影に気づいた。

朝のゴミ出しではおはよう御座います、夜の帰宅時に出会えばこんばんはだけを交わす隣人だ。

一度、庭の気に入っていた趣深い信楽焼の灯籠が無くなった事件があった。

犯人はお隣さんではないかと私は疑っていた。

だから今でも彼女を色眼鏡でみてしまう。

今も、私達の会話を盗み聞きしてるのではと疑う気持ちがむくむく湧いてきて早めに切り上げたくなったのだが訪問販売員は帰るそぶりをみせない。


「綺麗ですよね今の時刻、夕日の落ちる手前の空のことを逢魔が時っていうんです。昔むかし魔物がうごめく時間だと考えられていたから。」


先程から適当にきいていたが、なんだか会話の矛先が風流な人だな。

単に話好きなのかしら。

警戒心が収まってきた。

花の名前はパンジー、タンポポ、魚の名前はまぐろとさんま、木は松や桜くらいしか知識がない。風流とは言えない。

だからだろうか、聞いているうちにもう少し引き止めたい気がしてきた。

立ち話もなんだ。

「上がっていきますか?」

「ありがとうございます。でも今日はこの辺で。また来ます。ところでこちらが主婦の友社のカタログです。また目を通していただけますか」

「そのうちにね」

商売下手?

帰ってしまうのね。

でもまた来るって、訪問販売員のカモリストに載せられてしまったかな。

カタログをみた。和菓子、洋服、キッチン用品、コーヒー豆、庭の雑貨、化粧品、など。

ブランドロゴがずらりと並び値段は一つが10000円超え。やはりこういうのが本当の目的なんだ。すんなり帰って良かった。

また独りになった。

寂しく中へ入りイラン絨毯に正座して写真たてをふと見る。

白無垢。ぎこちなく笑う20代の自分がいた。

たった一つ残った写真。

白黒でもうかすれかかっている。

70年前の晴れ姿。

結婚式の来し方を振り返っていた。

惚れた腫れたの旦那に会って、幸せな一時だった。

ただ、式場の広さで喧嘩をした。

招く友人親族がほぼいない私と違って旦那は見栄っ張りだったため血の繋がりが薄い親族や名前も知らないような知り合いを招くと言って聞かなかったっけ。

私は本当に自分たちをことほぐしてくれる親しい人だけで十分だと言いはった。

結局私の主張が通り質素なしかし充実した式になり、思い出にのこる意義ある会話が沢山できた。

「幸せになってね」

当時の親友からの優しい言葉がその時は喜ばしかったのに今では涙無しには思い出せなくなってしまっていた。

写真だけを頼りにもう何度も反芻した記憶である。

寄り集まって素敵なご馳走を嗜み、肩を寄せ合い記念写真を撮った。

白無垢の着物でお色直しはなし、二次会もなし、こじんまりしたお披露目パーティーだった。

宗教色もほとんどなし。

近所にあの時代は腐るほどあった寺の一つを借り切って式を上げた。

あの頃はよかった。

追憶が私を支配する。

式から何ヶ月か何年かして旦那の子が生みたいと本能で感じた。

仕事はそれほど出世しない人だったが家庭的で私だけがしる良さがあった。

新婚旅行、経済的に裕福だった私と良家のお坊ちゃんだった旦那が行ったのはアジア。

お高いレストランででた料理を今でも覚えている。

ローストビーフに玉ねぎを刻んだレモン風味のドレッシングがかかったもの、何種類ものスパイス、くみんやうこん、カルダモン、コリアンダーで味付けしたインド風チキン。

肉づくしだった。

評判は上々。

中でもセロリのシチューが絶品だった。

癖のつよいセロリを煮込み香りをある程度とばして嫌な感じをなくし他の野菜の旨味がしみわたる。

微かに歯ごたえが残ったセロリのかけらが主役で、ブロック肉はもうとろけてなくなっていてそんな洋風のシチューは他の野菜がクタクタに煮込まれて見えなくなっていた。


珍しい人だった。趣味は読書、音楽、ギター。静かだが陽気な、珍しい人だった。

珍しい品物を買い集めたり仲間を自宅に招き演奏会をした。私はかすれ声で恥ずかしがりながら歌った。


鏡に今の顔を映すのが嫌いだ。しわしわで、陰気臭い自分に対面したくなかった。辛くなって人生から逃げたいと何度考えたことだろう。嫌気が指した回数は数え切れない。長引けば長引くだけ辛くなる。ぷつんと切れてしまいそうな糸の上を臆病に綱渡りし続けてきた。


娘の写真は無い。思い出すと気が動転し血圧が上がりパニックの発作に襲われ涙がとまらなくなるからだ。全て捨ててしまった。

思い出さずにいられたら、幾らかは気がましだった。



3 モナカを味見する


パンジーは植え替えられて息を吹き返し太陽を浴びて光の方へ背伸びしている。

昨日の夕立ちで地面がしめり、程よい暑さが夏らしい。

しじゅうからは今日も庭で羽虫をついばんでいる。

信楽焼のたぬきは客人を招くように手をこまねいている。

「こんにちは。主婦の友社の沖田有希子です」

まーたやってきたな。

話好きで商売下手な訪問販売員。

予感がしていたのよ。

たぬきが連れてきたのね。

だが今は迷惑でもない。

どうせ長い一日だ。

暇つぶしになる。

本当はまた話してみたいと思ってた。

来てくれて嬉しい。

「こんにちは。」

にこりと微笑む訪問販売員。笑い方に緊張がほぐれた様子があり二度目だという安心感が現れていて訪問販売員も楽ではないんだなと思った。

「今日は手土産があります。カタログにあった良く売れているもなかです」

「あらあら。じゃあ一緒に食べますか」

「ありがとう。上がってもいいですか」

靴を揃えて上がる有希子さん。

人との距離感が近い人だ。

ハイヒールの踵が擦り切れている。額には汗。こんなふうに何件回るのだろうか?ノルマがあるんじゃないか。

客間にどうぞと案内した。

ギターと、イラン絨毯、写真たてのある部屋だ。

お婆さんは、ひび割れ、水虫のせいで膨れた爪、しわくちゃの血管が浮き出た手で緑茶を熱く入れてあげた。

「美味しい」

にっこり微笑む訪問販売員。

久しぶりにきいた、美味しいの一言。

私はもなかを一口いただいた。

さくさくほろほろ崩れるもなかの皮。

舌に張り付く感じ。

中の餡子はしっとり滑らかで程よい甘み。

癖になりパクパクいける。

お茶が、二人だから二倍なくなる。

減るのが嬉しい。

「結婚式の写真ですね。素敵。私はまだ独身で。ウェディングドレスは綺麗だけど昔のお寺であげる和式もとても良いな」

思い出は美化される。

もう何度も振り返って後悔した私の人生。

あの時、旦那と娘だけを出かけさせなければ。

笑顔で追い出し、ああ自分の時間ができるだなんて安堵しなければ良かった。

もう永遠に会えないなんて予感はつゆ程もなく。

そこまで思い出して心臓の鼓動が早くなった。

手に強いしびれを感じた。

糖尿病か。

甘い物の食べすぎなんだろう。

それにもう90歳だから。

虫刺されが2年治らない皮膚。

カサカサな全身。

腰にも違和感を感じる。

私は限界なんだろうか。

そうとは知らずお茶をすすり、茶菓子を食べる有希子さん。

「美味しいでしょう?人気商品なんです。もなか、くずきり、かりんとうの詰め合わせ。いかがですか?」

それぞれ3パックで詰め合わせ10000円。

多量に入っている。

少しわらえてきてしまった。

かりんとうは入れ歯の私には固すぎるわ。

それに。

だーれがこんなにたべるんだあ?

歌うように呟いてみた。

「そうですよね。多いわね。お隣さんにおすそ分けして一緒に食べてみたらどうかな」

「お隣さんとは仲良くないのよ」

「残念」

有希子さんと話していたら、珍しい来客があった。

チャイムが乱暴に何度も何度も鳴らされる。

居留守を決め込むにはうるさい。

誰?

苛立たしく椅子から立ち上がり出迎えるが。



4 押し売りお断り


「消防署からきました、楢崎といいます。」

不審に思った。

消防署員にはまるで見えない。この人は歩いてきたのか。

それに今まで55年間消防署が尋ねてきたことは無かった。

見た目も柄が悪そうで、やたらピカピカ光る革靴が安っぽい縞柄シャツに不釣り合いだった。やくざものだろうか。私は警戒した。

「ちょっとお邪魔しますよ」

「え」

「いいからいいから」

楢崎は上がり込み廊下を一通り見渡しずかずか奥へくるとキッチンを舐めるように見た。私は気を悪くした。失礼極まりない。招かざる客は矢継ぎ早に言った。

「このお宅には消火機がありませんね。危険だと思わないんですか?消火機設置は義務づけられています。ぜひこの機会に買って下さい」

「今まで55年間消火機を置いた事はなかったわ」

「法律が変わったんです。ご家庭の火事が増えていますから。安いものですよ、火を瞬時に消せる最新型で50000円。安心が買えると思えば。火災保険と同じですよ」

「あらあら。でも今はお客様がきているので。考えさせて下さいな」

「ばあさん、買わないっていうのかい?

法律違反だぜ。」

楢崎は態度を豹変させた。

「火事を起こしたらどうするんだ?近所中大迷惑だぞ。50000で良いって言ってるんだ。消防署の命令に従えないってのか」

「もう少し考えますわ」

有希子さんが客間から顔をだし、楢崎を睨んだ。

「それじゃおせえんだよ。ばあさんの家に火をつけてやろうか。タバコの不審火に注意したほうがいいぜ。これからはな。」

二人いた事で通報を恐れたのか、捨てゼリフを吐き玄関を蹴って楢崎は帰っていった。

私は震えが止まらなくなってしまった。

客間に戻る。一部始終を聞いていた有希子さんがお婆さんのぶるぶるする手を支えてくれた。

「あれは嘘ですよ」

有希子さんが言った。

「消防署の人は一般家庭には訪問しません。法律でも消火機の設置は義務ではありません。嘘つきよ」

「90歳には見分けがつけられないのよ。火を付けるって言ってたわ。どうしましょう」

「心配なら、ホームセンターで3000円で売ってるわ、消火機。いま買ってきてあげましょうか?」

「そうね。怖いもの。買いましょう。お願い。はいこれはお金」

有希子さんが行ってから、私はもしやこれはグルの一芝居なのではないかと気になった。

だいたい、有希子さんが来るまではひとつも来客なんて無かったのだから。

楢崎と有希子さんは同じ穴のむじな?

わからない。

ホームセンターに消火機が売っているっていうのは嘘?真実?

もう誰を信じていいのやら。

今渡した3000円は持ち逃げされたの?



群青のワンピースに真っ赤なショルダーバッグ。有希子さんは、心配したように持ち逃げはしなかった。消火機を抱えて現れたのだ。ただ、ホームセンターのレシートを握っていた。消火機代4500円。1500円足りなかったらしい。

私は差額分をきちんと支払った。重たい赤い消火機を家のどこに置くか思案した。

そしてお礼の気持ちで、和菓子詰め合わせセット10000円を購入した。

もなか、葛きり、かりんとう。



5 ところてんとお隣さん


お札を握った有希子さんは、次回詰め合わせセットを持参すると言って帰っていった。

無色透明。葛きりの色だ。トコロテンを柔らかくして平べったく伸ばしたものに近い。

隣におすそ分けすればいいと再度言われた。

お隣さんは50代。尋ねたら、案外きやすく話がはずみ、始めて身の上話をきいた。

旦那は日本全国出張が多いのだと言う。大企業なんだなと思った。

一緒に和菓子をいただく。

訪問販売員が大量に持ってきた手土産だと説明したら、どうぞ上がってと招かれた。

灯籠盗難事件の真相には触れず。

お隣さんのお宅訪問すると、家具がなくシンプルで寒々しいくらいの機能重視の空間だから、白黒ステンレスの銀色で統一されている。

焼き物、灯籠というインテリアには興味がなさげ、犯人ではないと判明した。

お隣さんの家は黒いテレビ、黒いパソコン、ガラス張りのデスク、システムゴミ箱、システムキッチンには白の鍋、まな板、皿、箸、全部白か黒か銀色。

木の色茶色や電灯のオレンジ味などの温かみがない。

システマチックな感じ。

透明な葛きりはこの部屋にピッタリ。

黒い蜜をかけてガラスの皿に盛られた葛きりを二人で頂く。

気持ちのつっかえがとれ、話ははずんだ。

町内会のゴミ出しのルールが厳しくなったことの愚痴だった。プラスチックの仕分けが面倒だとか、前日の夜にだしたら朝カラスが漁るから駄目だなど。こんなに話しやすかったなら、ご近所付き合いも避けなくてよかったんだと思えた。



6 パニック状態に漬け込む悪人


「こんにちは!水道の点検に来ました。」

有希子さんが来たあと、私の家にはやたら業者がくるようになった。やはり名簿か何かが流出していて個人情報が漏れている。


「異常なしです。何かあったらこのステッカーの電話にかけてください。」

水道屋さんは冷蔵庫にマグネット仕立ての広告シールを貼って帰っていった。感じの良い人だった。

ところが。

一日もたたず水道管のゴムが緩み水漏れが始まった。

きっと点検だとかなんとかいって何か細工されたのだ。水が吹き出して私は慌てた。そして焦りからついステッカーの宛先に電話してしまった。


親切だった業者を、ちゃんと疑うことを忘れていた。


水漏れ修理だと思いハンコを押した。

ところが、業者の言い始めた事に頭が真っ白になった。その契約書は、300万円の水道管工事の契約書だったと判明した。


私は有希子さんに泣きついた。

「どうしましょう、本当に困ったわ」

有希子さんはいつものように夕方に現れて、手土産のいか煎餅を渡してから

「クーリングオフすればいい。」

と教えてくれた。有希子さんがいてくれて私は安心した。

電話する私。契約書にある電話番号にだ。

7コール目で男が面倒くさそうに話口にでた。


「クーリングオフはできません。実際に水漏れを止めてあげたでしょう?しかもクーリングオフは、お客様から私どもをお宅に呼んだ場合は出来ないって決まりになっています。今担当者がいません。クーリングオフできる期限は切れています。」

電話で問うとのらりくらりの業者の男。


腹がたちすぎて私から通話を切ってしまった。

どうしましょう。再び悩み始めた私に、有希子さんは

内容証明を送ればいいよと提案した。


有希子さんによれば、業者を呼んだ要件は、水漏れ修理。配管工事なんてきいていない。虚偽の説明だ。それからクーリングオフは書面でなされる。8日たってない。まだ大丈夫。それにここで何もしないと、詐欺師のカモにされて、情報がでまわり、色んな業者がくるようになる。


内容証明は、郵便局と自分とに控えを作り3通の書類を作成して、送るのだという。


「ありがとう。有希子さん」



「いえいえ専門ですから。」

便箋がなかった。有希子さんが白地の紙を差し出した。そして郵便局にいき、1200円払って内容証明の手続きをすませた。

「今日はぜひ夕飯を食べていって。」

有希子さんは頷いた。

里芋の煮っころがし。醤油を多めに使って作った。


7 二人でゆべし美味しい店へ

訪問販売員は、お婆さんの家にいついてしまった。

夕日が美しい。

世界中の光を全部持っていってしまって最後の瞬間には映画で帰り路地の夕焼けこやけのメロディが流れるみたいに切なく尊く日が落ちる。

もう二度と明るくならないんじゃないかと思う。

でも朝は来る。

今は有希子さんがいる。閉じていたこの家と私の心をこじ開けて入ってきた変な女性。だが。頼りになる。

逢魔が時の呼び名を教えてくれた風流な娘。本当の娘が成長していたら同い年くらい。

娘の面影を感じ可愛らしく思う。

買わされたのは和菓子の一式、コーヒーの一式、化粧品の一式、洋服の一式、キッチン用品の一式、庭いじりの一式。

これから買わされるのは多分健康食品の一式。

しょうがないなあ。

娘が生きていたらきっとかかったであろう教育費を全部持っていかれている。

しょうがない。

話し相手を雇うには高い。

高くつく買い物だ。

騙された気もする。

お隣さんは絶対に買わないであろう無駄の数々。

でも得られたのはおいしい時間。

一緒にお茶うけを嗜む貴重な時間。

誰かの時間を買うのは高くつくんだな。

僅かな虚しさを感じないことはない。

金で繋がっているご縁だと。

だが楽しいとも思う。

老人の貯金を蝕んで生きる若い娘。

もっといい仕事を探しなさい、と促す時もあった。

会社に搾取されているのに気づかないの?と。

だが有希子さんが去ってしまうとまた沈黙の生活に逆戻りだから強くは言えない。

老い先短いお婆さんは最後の愉しみにと訪問販売に引っ掛かる。

わざと引っ掛かる。

人生は無駄で満ち満ちている。

あれも無駄これも無駄。

愉しみは無駄な事。

無駄遣いで日が暮れて、無駄と共に日が登る。

私の存在も、90にもなったんだ、無駄かもしれない。

ねえ、貴方、あと残された時間を私は好きなように生きるわよ。

お金も使っちゃえ。

好みではない有名なブランドの洋服を着て、今日は有希子さんと茶席に行く。

背筋をぴしっと伸ばさなくては。

強いていうなら着物が良かったな。

ゆべし、が有名な喫茶店。

おいしい時間が私を今日も待っている。

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