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無人の手記

作者: 読み人知らズ

 < はじめに >


 ここに転記する書面は、1999年12月20日以前、無人(故 木崎貴之)がネットの掲示板上に遺したと思われる投稿記事を、そのまま公開するものです。

 まだ他にデータが遺されている可能性もあるため捜索は警察の協力を得ながら継続しております。

 何かそれらしい書き込み等の痕跡を発見された方は、誤報でもかまいませんので弊社の「無人に関する情報」係までご連絡ください。ご協力よろしくお願いいたします。


 メール: xxxx@xxx.press

 電話: 03-38xx-64xx




 某○○サイト(www.○○.com)           1998.08.21 03:57 投稿


 < 序 >


 まず人を人たらしめている主因はなにか。人を思う心であり、人と思う心であります。己れの人を自覚してしまっているだけに己れを人と信じ、人に対し人らしく振舞ってしまう。ではその人らしさとはなにか。長年人が人と交流するなかで対面する相手の仕草を真似て形成されていったもの。つまり互いが互いを真似ながらなんとなく仕上げていった実体なき模倣です。本来人というものはもっと無垢であったにちがいありません。まだ何も学ばずにいる赤子をみればよろしい。学ぶ内容がもっと清く正しくあれば、そう人は道を外さぬにちがいないのです。


 いま、あなた方が修学する知識はすべて、先人の受け売りばかり。その先人はまたそれ以前の先人の教えを受けた受け売りの知識に過ぎません。そうやって代々人間は自分の知り得る範疇からはみ出ぬよう後継者を脈々と飼い慣らしてる。つまり人間はすべてこの循環を止めぬかぎり同じ基盤から派生した知識しか持ち得ぬのであり、どう足掻いたところで所詮人間のままなのです。


 人間を超越する無人を志す以上われわれはその先へ挑まねばなりません。人々から非凡、非常識、異常、変態と忌み嫌われるであろう苦境へと敢えて身を投じ、人ではない、つまり人から人でなしと爪弾かれてこそ真の無人となり得るのです。


 そもそもの過ちが人類災いのもとだったのです。もっと深くに掘り下げ、もっと賢明に生きることを早くから学ばせていれば、おそらく人はもっと真っ当でいられたはず。たとえエラーが生じても、それが間違いであることに気づける人間が多くを占めれば、人類は軌道から外れず正しく進歩できたのです。


 人は人を信じ過ぎました。人の良心に傾倒し過ぎたのです。脆くも性善説は覆されました。野放しにしておくと人間はとんでもなく野蛮になる。知性を与えても、本質的な悪を改善しなければその立派な知性をもってまたさらに強化した野蛮に生まれ変わる。哀しいですが、そういう生き物だったのです。


 しかしこれは結果論です。なってみてから初めて気づく。死人となって無念と共に初めて気づくことなのです。


                無人  



 —————————————————————————————————————



 某▽▽サイト(www.▽▽.com)          1998.11.18 02:36 投稿


 < 第一節 >


 わたしは恐ろしいのです。

 いつか人間が地球を見捨てる日がやってくるのではないか。その不安が拭いきれないないからです。


「人の命は地球よりも重い」


 1977年の日航機ハイジャック事件で、人質を救出する際に当時の総理大臣福田赳夫が発言した言葉です。これはあくまで〝例え〟であり、実際 地球と人の命を比べる、そんなSFめいた過酷な状況になっていれば、言葉を改めたかもしれません。しかしいまの人間は、それが冗談では済まないくらい自己愛に満ちています。地球をとるか人間をとるか、そんな究極の選択でさえ夢物語といえないくらい環境破壊は過剰さを増してきている。


 忘れないでいただきたいのは、あなたが死んでからもまだ地球は生きつづけるということ。環境危機はつづいてゆくのです。


 たしかに良い学びもたくさんあったでしょう。科学を用いてより知恵を働かせることで随分と社会は住み良くなりました。文明は確実に発展をつづけております。しかし決定的に、人類が生き抜くうえで大切な要素が欠けてしまっているのです。


 それは生かされているということへの配慮です。人は思い上がりました。まだこの先地球が半壊するまで思い上がりつづけるでしょう。


 あなたは産んでくれた両親に感謝の気持ちを持つかもしれない。しかし地球に対し、それと同等の畏敬の念をお持ちでしょうか。建前ではYESかもしれませんが、実際究極どちらをとるかと問えば、ほぼ全員が両親を選ぶはずです。それは半分正しいですが、もう半分は間違ってます。なぜなら自分で意思決定しているようにみえて、半分は先人から受け継いだ常識に基づく〝思い込み〟もあるからです。


 〝いつか自分も親になり、やっと親の気持ちがわかる〟というように子供時代から言い聞かされ、実際自分もそうなって、この教えが確信に変わり、また次の代の自分の子供にも同じように言い聞かせる。その目に見えない固定化されたサイクルの影響で、決して逃れることのできない常識として誰しも脳内に焼きついている。育てる側の親が社会を牛耳るわけですから人間社会を生き抜くうえではとても合理的な教えだと思いますし、間違っているとは思いません。しかしそれはあくまで〝人間社会において〟です。人間社会から一歩外に出て、自然界側から見ますと、実にこれがとても厄介なこだわりに様変わりするのです。


 半分の間違いは、この自然界側から見た我々人類の成り立ちにあたります。産んでくれたのが両親であるならば、その両親を産んでくれたのは誰でしょう。そのまた先の両親を産んだのは誰か。この問いを延々続けていけば、最終行き着く先が「地球」ということになりはしないでしょうか。つまり「地球」無くして人類は生まれていない。両親も、自分もこの世に存在し得なかったのです。それを思えば、そう易々と人間一人の命と引き換えに「地球」は手放せないはず。 

 想像が足りないのです。別にそれはあなただけの話じゃない。前述したサイクルにより人類全体がそうなってしまっている。


 いま一度みなさまに問いかけます。


「人の命は地球よりも重い」


 はたしてほんとうにそうでしょうか。


 たとえ自分の肉親、愛する者だとしても地球より重いですか。自分本人だとしても地球を滅ぼしてまで生き残ることが正解といえるでしょうか。


 地球は生者の国にちがいないですが、じつは死者の国でもあります。地球が滅べば、死者の拠所もなくなる。死者の魂、墳墓もろとも消滅することとなる。死者さえも行き場をなくすことになるのです。


 まさしくこれは悲劇ですが喜劇でもある。人間らしいと言ってしまえばそれまでですが、その〝ヒューマンエラー〟による独断的美徳感情で、いつか本当に人が地球を見捨ててしまうのではないか。


 そんなふうに考え、わたしはそぞろ恐ろしくなるのでした。


                無人

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