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前にニフラ領に来た時は、リグロさんの背中に乗せてもらったから、わからなかったけど、ニフラ領が近づくにつれて、その道は大きな岩が転がる、険しいものになっていく。
こんなに悪路じゃ、車も無理だ。
「侑李、ちょ…もう少し、ゆっくり…!」
侑李犬は大きな岩がゴロゴロ転がる山道を軽快に走り抜ける。
私はそんな侑李犬の背中で、振り落とされないように必死につかまり、ひたすら耐えるしか出来ない。
「わおーん!」
侑李犬はというと、実にご機嫌だ。
アスレチックか何かと思ってるに違いない。
ちっとも言うことを聞かぬ!
ラウムさんに作ってもらった首輪とリードを持ってくるんだった!
「ちょっと!侑李!こら!……うわあ!」
あまりにもはしゃいで飛び駆ける侑李犬に、私の体が大きく跳ね上がる。
そのはずみで、侑李犬の首元の毛を掴んでいた私の手が緩む。
そして恐れていた事態が起きてしまう。
そう。
とうとう私は振り落とされてしまったのだ!
嘘でしょ?!
こんなところで落ちたら……!
迫り来る岩に打ちつけられる事を予想して血の気が引く。
花になるどころか、私、ここで死んでしまう!!
一瞬、脳内に走馬灯のように今までの思い出がよぎる。
お父さん、お母さん!!
先立つ不幸をお許しください!
「ぎゃあああああ……あ?」
しかし衝撃は襲ってこず、代わりにポフンと、柔らかいものに受け止められた。
た…助かった…?
ぎゅっと閉じていた目を恐る恐る開けると。
「よう!トキコの姐御じゃねぇか!こんなところで、どうしたんだ?」
やけにガラの悪い、高めの声に声をかけられた。
トキコの……姐御……?
なんだそれは。
しかしどうやらその声の主に助けられたのは間違いないらしい。
「あ…ありがとうございます。お陰で死なずにすみました。」
なんとかお礼の言葉だけは絞り出せたけど、まだ心臓がバクバクいってる。
胸を押さえながらお礼を言い、顔を上げると、そこには私を軽々と支える、子供がいた。
年齢は、小学校低学年くらいだろうか。
キラキラとした目の、とても快活そうな男の子。
え……。もしかして、この子が私を?
だって、振り落とされた勢いも考えたら、かなりの衝撃だったはず。
首をかしげて、周りを見ても、他に人の姿は無い。
「キュウウゥン」と申し訳なさそうに頭を下げて私を見る侑李犬がいるだけだ。
侑李犬は後でお仕置きするとして。
「あの、もしかして、アナタが助けてくれたのですか?」
そう聞いてみると、男の子は、ん?と不思議そうに私を見た後、ハハハ、と笑った。
「そうか、俺、子供だしな!姐御が不思議に思うのも仕方ねぇ。人の姿で会うのは初めてだな!姐御!俺だ!ミカドだ!」
親指で自分を示しながら、腰に手を当てて胸を張る男の子。
ミカドちゃん?!
え?!あの、ユージルの行き過ぎた力で卵から孵った、ミカドちゃん?!
「うわあ〜!大きくなったねぇ!」
まだ産まれたばかりだったのに!
っていうか、今もまだ産まれたばかりといっても過言じゃないのでは?
「ああ!姐御たちが帰ったあと、俺たち《栄光の竜達》はみんな次々と人化してな。オヤジ達に言わせれば、あり得ない速さらしい。おまけに、ほかの竜に比べて力も強い。姐御を支えるなんて、屁の河童だぜ!」
ミカドちゃんは誇らしげに言う。
本当に子供と思えない話し方だ。
「これもユグドラシルの、いや、姐御の恩恵だぜ!俺達、姐御には感謝してるんだぜ!」
その、『姐御』ってのはやめてもらえないだろうか。
なんだか《栄光の竜達》の一員になってしまったようで居た堪れない。
微妙な気持ちになっていると、ミカドちゃんは私と侑李犬をあらためて見ながら聞いた。
「で?姐御達は、どうしてこんなところに?」
「ああ、うん。それなんだけど、ちょっとリグロさんに会いたくて。ちょうどよかった。ミカドちゃん、案内してもらえないかな?」
私がそう言うと、なぜかミカドちゃんの顔が曇る。
ミカドちゃんは私達から視線を逸らして、頭を掻きながら何かを考えていたようだったけど、やがて真剣な目で私を見た。
「それ、今オヤジのところにいる土神と関係あるか?」
ミカドちゃんの言葉に息をのむ。
土神が、リグロさんのところに?
それって、まさか。
私を捕まえに来た?
「な…‥なんで土神が、リグロさんのところに?」
声が震えてしまう。
「いや、突然だったんだが、いきなり砦に土神が顕現してよ。なんだか、やたら姐御の事を聞いてるみてぇだったから。オヤジにもここに姐御が来てないか聞いてたぜ。姐御、なんかしたのか?」
ミカドちゃんに聞かれて、視線を逸らす。
それを見てミカドちゃんはなぜか瞳を輝かせた。
「神に楯突いたのか?!さすが姐御だぜ!!カッコいいぜ!!」
「ミカドちゃん……。」
斜め上なミカドちゃんの反応にかける言葉を失う。
そんな私に構うことなく、ミカドちゃんは興奮気味に両手を握って続けた。
「なぁなぁ!これからどうするんだ?!もしかして、神とタイマン張るのか?!助太刀するぜ!!」
ミカドちゃんはまるでバトル漫画を読みすぎた少年のようだ。
少年期特有の病気なのだろう。
「そんなんじゃないよ。ミカドちゃん、そんな事を言ったらダメだよ?リグロさんも心配するからね?」
やんわりと注意してみれば、ミカドちゃんはフン!と鼻を鳴らした。
「オヤジなんか怖くないぜ!だいたい、オヤジは何をするにも心配しすぎなんだよ。俺達が、《ドラゴン急便》を始めた時も、やれまだ子供なんだから、とか、あとは大人に任せて、とか、口うるせーのなんの!今のニフラには新しい風が必要だってのによ!」
どうやら現在ユグドラニアで大変便利に使われているドラゴン急便も、始めるにあたって一悶着あったようだ。
まあ、リグロさんの気持ちもわかる。
言ってみれば、企業の立ち上げをお子様がやるようなものだからね。
心配にもなるよね。
というか、リグロさん、よくミカドちゃんにやらせてくれたなぁ。
「リグロさんはミカドちゃんが大事なんだよ。」
私が言うと、ミカドちゃんは困ったような笑顔になった。
そしてふと、その表情を真剣なものに変えて聞く。
「で?姐御は、実際のところ、何をやらかしたんだ?」
今度は私が困った笑顔になる。
「んー、それね。」
「姐御が良ければ話してくれよ。俺、姐御の力になるぜ?」
ミカドちゃんにそう続けられて、少し考えてしまったけど、私はこれまでの経緯を話す事にした。
我ながら、産まれたばかりのお子様にこんな話を打ち明けるなんて、どうかしてると思ったけど、正直藁にもすがりたい気持ちなのだ。
ミカドちゃんは私の話を真剣に聞いてくれて、顎に手を当てて考え込む。
「……なるほどな。確かに、姐御にしてみりゃ、とんでもねぇ話だな。寝耳に水ってもんだ。」
ミカドちゃんはため息混じりに言ってうなずいた。
《寝耳に水》なんて、どこでそんな言葉を覚えたんだ。
こっちでも似たような慣用句があったりするのだろうか。
私はそんな事を考えながらミカドちゃんを見る。
「……そうだな。だとしたら、砦に行くのはマズいな。姐御、とりあえず、このままニフラを離れようぜ。そうだな、とりあえず、ハイデルトに向かうってのはどうだ?」
ミカドちゃんは私に視線を向けて提案する。
「ニフラにも何か伝わってる可能性があるなら、ハイデルトにも何か手がかりがあるかもしれねぇ。先にそっちに行こう。」
ミカドちゃんに言われて、たしかにその通りだと思う。
思うのだが。
ミカドちゃんの口ぶりがどうにも気になった。
「……ミカドちゃん?その言い方、まさかと思うけど、一緒に来るとか、言わないよね?」
恐る恐る聞いてみれば、ミカドちゃんは目を見開いた。
「何言ってんだ?姐御。」
心底意外そうに聞き返されて、ホッと胸を撫で下ろした。
「そ……そうだよねぇ!行くわけ…「行くに決まってんだろ!」……どぇぇ?!」
ちょっと待て!!
それはダメだ!!
私は思わずミカドちゃんの腕を掴んだ。
「だ……ダメだよ!ミカドちゃんはニフラの大事な子なんだよ?!領主のリグロさんの息子なんだよ?!無理でしょ?!」
何を言っているんだ?!
ありえない、と、私が止めるのも聞かず、ミカドちゃんはピュイ、と小さく口笛を吹いた。
するとどこにいたのか、ガサ、と頭上から葉の擦れる音がして、ミカドちゃんと同じくらいの女の子が降ってきた。
危なげなく地面に着地した女の子に、ミカドちゃんは腰に手を当てながら声をかけた。
「状況は聞いたか?」
「はい。頭。」
「よし。《栄光の竜達》総員に通達しろ。俺はこれより、姐御と行動を共にする。姐御の事情については、一切の他言無用だ。クレナイ、俺が居ない間はおまえが《栄光の竜達》をまとめろ。」
「ハッッ!このクレナイ、身命を賭してお役目、努めさせていただきます。」
女の子はそう答えると、来た時と同じようにシュン、と頭上に飛び上がり、ガササ、と小さな葉擦れの音を残してどこかへ消えてしまった。
に…忍者か…!
そしてなんなんだ。
この頼もしすぎる組織力は。
さっきのクレナイちゃん?も産まれたばかりとは思えぬ。
さまざまな事が頭をよぎるが、とりあえずミカドちゃんを連れて行くわけにはいかない。
「ミカドちゃん、考え直そう?そんな事をしたら、ミカドちゃんも追われる身になるんだよ?リグロさんもマーヤさんも悲しむよ?」
私はなんとかミカドちゃんを引き留めようと、再度言ってみる。
ミカドちゃんは少し寂しそうな顔になった。
「たしかに、オフクロに心配かけるのは、俺としても本意じゃねぇが……。」
「そうだよ!」
ミカドちゃんの心が揺れたのを感じて声を大きくする。
しかし、ミカドちゃんは、強い目で私をジッと見据えた。
「オトコには、やらなきゃならねぇ時がある!きっと、オフクロもわかってくれるぜ!!」
拳を胸の前で握りながら、強く宣言されて。
………ダメだ。
これ、拒否しても、巻いて逃げても食らいついてくるヤツだ。
私は深くため息をついた。
お読みくださりありがとうございます。