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ユグドラシルの伴侶として、新たな種を作るために花になる。
ユージルに言われたその言葉の意味は、とんでもないものだった。
ユージルはあの後、私を外に連れ出した。
どういう事か、説明をすると。
「斗季子。俺は、俺の本体は世界樹だって、知ってるよね?」
ユージルに聞かれて、「ああ、そういえば」と思い返す。
ユージルは、初めて会った時から今のユージルで、私と同じように人の形をしていて、私と同じように、話もしていて。
だから今ひとつピンとこない感じだ。
「……うん。まあ。」
私は曖昧に返事をした。
「この姿は、いわば、かりそめのもの。斗季子とこの世界を廻るために斗季子に合わせた姿なんだよ。」
なんと言っていいかわからず、じっとユージルを見る私にユージルは話を続けた。
「新たなユグドラシルの種。それは俺の本来の姿である世界樹に花を咲かせ、その後に出来る。斗季子は俺と一緒になり、ユグドラシルの花となる。」
あまりにもあんまりな話に頭がついていかない。
ちょっと待て。
私が花にって、文字通り?
比喩的な表現でなく?
「いやいやいや、あり得ないって。」
私は手をパタパタと振って笑った。
そんな荒唐無稽な話、あり得るわけが……って、あり得るの?
私がハハハ、と乾いた笑いを漏らしている間も、ユージルの顔は真剣そのものだ。
「………嘘だよね?」
ゴクリと唾を飲み込んで、聞き返す。
「………。」
ユージルは沈黙してしまったが、それがかえって肯定だということを表していた。
「え……ちょ……待って。頭がついていかない。え?なに、私、花になるの?文字通り、あの、植物的な?」
アワアワしながら聞くと、ユージルは私の手を握った。
背中がゾク、と粟立つ。
今までは、ユージルに手を握ってもらうと、安心感に包まれたのに。
今は、怖い。
柔らかいユージルの手の感触も硬く、節くれだった樹木のそれと錯覚する。
「斗季子が戸惑うのも、仕方ないと思う。怖いよね。ごめん。」
ユージルは目を伏せて謝る。
戸惑う?
あたりまえじゃないか。
そんな、自分が植物的な何かになると言われて、受け入れられるわけがない!
「だけど!これからはずっと一緒にいられるんだ!俺は斗季子と新しい種を作って、新しい世界を産みだせる!斗季子を腕に抱きしめて、ずっとこのユグドラニアを見守っていけるんだ!」
ユージルはとても嬉しそうにそう言って笑う。
いや、笑い事じゃない。
そんな事になったら、私はどうなる?
「ゆっ君。それって、私はどうなるの?植物的なものっていうことは、こうやって話したり、動いたり出来ないってこと?」
低い声で聞いてみれば、ユージルは首を傾げた。
「そうだね。それは出来ないかな。でも、ずっと俺が抱きしめて斗季子を守る。斗季子はもう悲しむことも、泣くことも、何かに怯えることもなくなる。ずっと安らぎの時を過ごせる。」
穏やかに笑って言う。
まだユージルが何を言っているのか、理解が追いつかないけど、これだけはわかる。
アウトだ!!
なんだそれは?!
冗談キツすぎる。
いや、冗談じゃないらしいが!
だからこそ余計にだ!
「………それって、笑うことも、美味しいものを食べることも、ましてや温泉に入ることも出来ないってことだよね?」
「うん、まあ、そうだね。」
「お父さんやお母さん、侑李、それに公爵の皆さんとか、レイドックおじさんとかにも、会えなくなるって、ことだよね?」
「そのかわり、俺がずっと一緒にいる。」
「元の世界に、帰ることは?」
その言葉にユージルは目を見開いた。
「そんな事、考えてたの?」
驚いた、という様子で聞き返される。
「そりゃあそうだよ。私はもともと向こうの人間なんだし。」
そう言うと、ユージルは小さく息をつく。
「斗季子は、もうこの世界に大切なものがたくさんあるじゃない。でも、まだ帰りたいの?」
「それを言われると、確かにその通りなんだけど。でもね、向こうにだってやり残した事はあるし。大学だって、途中。将来のために、経営の勉強をしてたんだよ。」
そうだ。
こっちでだって、日帰り温泉のこととか、あるじゃないか。
「私にはまだまだやりたい事がある。」
きっぱりと言い切ってユージルを見つめる。
ユージルは驚いたように目を見開いたけど、すぐに再びいつもの穏やかな笑顔に戻った。
「それよりも大きな安心と幸せを俺が斗季子にあげる。斗季子、本当の意味で、君はこの世界の女神になるんだ。」
ユージルの握る手が強くなる。
私をみる目に不気味な光が宿る。
得体の知れない威圧が、私を襲う。
そこで私はやっと気がついた。
この人は、人ではないんだ。
わかっているつもりで、私は全然わかってなかった。
私と同じように、話して、歩いて、食事をして、眠る。
そんな人であれば当たり前の事を、一緒にしてきたから、ついつい錯覚していた。気がついていなかった。
「俺は、君を離さないよ。斗季子。」
ユージルの目の光に剣呑なものを感じて、私は手を離そうとした。
しかし、私の手を握るユージルの手は、優しそうにみえてもピクリとも動かない。
まずい。
全身に鳥肌が立つ。
「ゆっ君。いや、ユージル。ごめんなさい、私は花になんてなれない。」
危機的状況だというのに、どうしてもユージルを気遣ってしまうのは、私が《ユグドラシルの愛し子》だからなのか。
こんな時でも、ユージルを悪く思えない。
だけど、当然、花にはなりたくない。
人としての自分じゃなくなるなんて、絶対に嫌だ!
「ユージル、手を、離して。」
言いながら涙が溢れてくる。
罪悪感と申し訳なさでユージルを受け入れそうになる。
人としての私と、愛し子としての私が、私の中で戦っている。
ユージルはそれを見越しているのか、穏やかな微笑みを浮かべたまま、私をただ見つめていた。
私が、落ちるのを待っているように。
このままじゃ、ダメだ!
私は視線を下げて歯を食いしばった。
負けるものか。
抗ってやる。
大きく、息を吸う。
そして。
「侑李ーーーー!!!」
力の限り叫んだ。
「侑李!!侑李ーー!!」
私の悲鳴は建物の中の侑李に届いたらしい。
やがて焦った様子で侑李が駆け出してきた。
その隣にはお父さんの姿もある。
「ねーちゃん?デカい声出して、いったい……「犬になれ!!」……!!!」
無意識に侑李に向けて手をかざし、そう叫ぶと、私の手のひらから金色に光る何かが侑李に向かう。
侑李にその光が届くと。
「わおぉおおおん!!」
侑李はハイデルトで見た、巨大な犬へと姿を変えた。
「なっ………?!天狼?!」
隣でお父さんが驚愕の声を出した。
「斗季子、抗うつもり?」
ユージルは低い声で言い、握る手の強さをさらに強めた。
「痛っ……!」
とうとう、それは私の手を痛めるまでになり、思わず目を向けると、ユージルの手は徐々にその形を樹木のそれに変化していっている。
まずい、このままじゃ、引きずられてしまう!!
「侑李!!焼き切りなさい!!」
「ぅわん!!」
再び侑李犬に向けて手を向けると、侑李犬の身体がポウ、と光り、その口を大きく開けた。
ボゥゥゥ!!
侑李犬の口から飛び出た青い炎は、ユージルとユージルに繋がれた私の手を包み、ユージルの手が燃え上がる。
「!!!!!」
「あっちぃぃぃ!!!」
当然私の手も燃え上がったが、ユージルの手からは解放された。
ユージルが怯んだ隙に、距離をとる。
「斗季子!!」
その様子にお父さんが焦った声を上げて駆け寄ってきた。
「来ないでお父さん!!」
叫びながら、私は侑李にの首元の毛を掴み、その背中に跨った。
「斗季子?!おまえ、いったい……!!」
「お父さん、ごめんなさい。今は理由を説明している時間がないの。だけど、行かせて。ごめんなさいお父さん。お父さんたちにきっと迷惑をかける。」
私は早口でそう言って、侑李犬の首を撫でる。
「行くよ!侑李!走って!!」
「斗季子?!待て!!」
お父さんの叫びを背中で聞きながら、私と侑李は日帰り温泉を飛び出して行った。
お読み下さりありがとうございました。