7 父、語る。
ユグドラニアと呼ばれるこの世界は、世界の中心に巨大な世界樹が存在している。
世界樹は万物を知るとも言われ、この世界に力を与え、その恩恵で人々は暮らしている。
我がウォードガイア公爵家ではその始祖より世界樹の葉と言われる物が受け継がれてきた。かつては東西南北の各公爵家にひとつずつあったと言われる世界樹の葉だったが、長い歴史の中で失われ、今では北の公爵家である我が家にのみ現存している。
だからといって、その葉の持つ力といえば、ただぼんやりとこの世ならざる世界を気まぐれに映すことのみ。
しかし、その力をかつてない程に引き出せる能力を持つ者が産まれた。
俺である。
ラドクリフ=ウォードガイア。
公爵家嫡男。
いずれはウォードガイア公爵としてオルガスタ領をおさめていく立場にある。
しかし正直言うと、まったく興味が無い。
っていうか、やりたくない。
ウォードガイア公爵家は武の名門貴族で、王家とのつながりも深く、それ故に他の貴族達との関係も難しい。
特に年頃となった俺や弟に向けられてくる秋波は鬱陶しい以外の何者でも無い。
そんな俺の楽しみといえば、世界樹の葉を通じて覗き見る違う世界の光景だった。
そこはこの世界のような身分制度も無く、また魔力の存在しない世界のようで魔獣の類もいないようだった。
人が、己の努力で道を選び、また己の努力で生活を豊かにしていくための工夫や発明をしている世界。
自分の世界との違いに俺はのめり込んだ。
自分の欲しい自由がある世界だ。
そんな中、俺はある女性を知る事となる。
いつものように、世界樹の葉で覗き見していると、じっとこちらを見ている様子に気がついた。
ありえない。
こちらの存在はわからないはずだ。
「……いつもいつも覗き見して!スケベ!」
ムッとした表情でこちらを見る女。
「気付かれてないとでも思った?最初から知ってるわよ。」
嘘だ。ありえない。
しかしその女の言葉は紛れもなく自分に向けられている。
「俺が、見えるのか?」
思わず聞いてみると、女は満足そうに笑った。
「見える、っていうか、感じるってかんじね。なんとなく、この辺?」
そう言って伸ばされた手は自分の肩あたりに触れられたような気がした。
なぜか、あたたかい。
「声も、はっきり聞こえるわけじゃないの。なんとなく、こう言ってるんだろうな!って。」
女はクスクスと面白そうに笑った。
その笑顔は貴族社会の気取り返った令嬢達のものとあまりにも違って。
俺はあっという間に惹かれていった。
それからはカレンと名乗ったその女との逢瀬が何よりの楽しみとなった。
カレンの話は新鮮で面白く、身分に囚われない明け透けな態度に安心を覚えた。
彼女は裏も表もない。
言葉や態度の裏を読む必要もない。
家柄や立場、派閥の事も何も考えず、ただ自分であればいいだけだ。
彼女の口癖になりつつある「めんどくさ!貴族めんどくさ!」という言葉に胸のすく思いだった。
そして、その時は来た。
ある時、カレンは買い物帰りによからぬ者に襲われかけた。
必死で抵抗するカレンにいてもたってもいられず、助けに行けない自分が情けなく、ひたすらに名前を呼び続けるしかない。
平和そうに見えたかの世界にも不埒な者は存在するのだという驚きと、それから彼女を守ってやれないもどかしさ。
何が武の名門だ。
惚れた女ひとり、守れないじゃないか。
惚れた女。
そう。この時にはもう、俺はカレンに心底惚れ込んでいたのだ。
「カレン…!」
「ラド…!」
お互いに手を伸ばす。
届くことのない手を。
しかし。
俺の手が温かいものに触れる。
それが彼女の手だと理解するや否や、強く握りしめた。
そしてまるで何かに引きずられるように俺は狭いトンネルのようなものを抜けた。
「な…!なんだ!」
引き攣ったような男の声が聞こえる。
俺はカレンを腕の中に閉じ込めて周囲に殺気を飛ばす。
「貴様ら、楽に死ねると思うなよ。」
それだけで、男達は腰を抜かし、這いずるように逃げて行く。
追いかけて斬り殺してやろうと立ち上がると、カレンは手を掴み、それを止めた。
「ま….待って待って!それやったらラドが捕まる!」
慌てるカレンに殺気をおさめて、再びしゃがんで視線を合わせる。
「カレン…!」
やっと、この手に触れる事が出来た。
彼女が無事だった事、ようやく現実に会えた事。あらゆる喜びが胸を満たす。
こうして俺は世界を渡り、カレンと共に生きる道を選んだ。
ありがとうございました。