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ニフラ領の渓谷に沸いた温泉は、侑李の魔術と、ラウムさん達の匠の技で、無事に日帰り温泉《竜渓の湯》として完成した。
オルガスタの《朝霧の湯》に比べて、浴槽の数も種類も少ないけど、その分大きな露天風呂があって、総じて大柄な人が多い竜族の人たちもゆったりとくつろいでもらえるだろう。
ちなみに竜化した状態でお風呂に入れるほどの広さは無理だった…。
お食事処とお休み処ももちろん完備。
ただ、食事メニューについては私がここに常駐するわけにもいかないので、竜族独自のものとなる。
シャンプーやボディソープなんかの備品は、定期的に竜族の人が空輸することになった。
温泉が沸いた場所は、元々あまり人が住んでいない地域だったらしいのだけど、今回、日帰り温泉が出来た事で周囲に宿屋を建てる計画も持ち上がり、この場所はこれから目覚ましい発展をしていくだろうと、リグロさんは喜んだ。
そして、竜族の人たちへの日帰り温泉のお披露目の前に、リグロさん達公爵家の面々と、私達、それに工事に関わった人たちへ最終点検も兼ねて開館することになった。
いわゆる、プレオープンだ。
「これはまた…オルガスタのものとはまた趣が違うが、なんとも開放的で気持ちいいのぅ…」
リーズレットさんは顎までお湯に浸かってホゥと息をついた。
広い露天風呂は、学校とかにある、25Mプールほどの大きさがあり、その気になれば水泳大会も開けるだろう。
「…本当ですねぇ。気持ちいいぃぃ。」
私もお湯の中で思いっきり体を伸ばす。
湯量が多いせいか、ふんわりと浮くような感じがしてとてもリラックス出来る。
「本当に、ありがとうございます。ニフラに恵みをもたらせてくれたばかりか、こんなに素敵なものまで…。竜族はユージル様とトキコ姫への感謝を語り継ぐでしょう。」
マーヤさんも温泉に浸かってほんのりと上気した顔で笑顔を見せてくれる。
っていうか、浮いてる。
マーヤさんの豊かなお胸が、ポワンと浮いてる。
まったくけしからん景色!
「それにしても、ユグドラシルの恵みというのはすごいのう。あんなに荒廃していたニフラの地が見る影もないではないか。のう?マーヤ殿。」
リーズレットさんは改めて感心して、マーヤさんに同意を求めた。
マーヤさんも大きく頷く。
「ええ、本当に。まさかこんなに豊かな地になるなんて…。ジーノがエンシェントドラゴンの継承者となり、ニフラは生まれ変わると信じていましたが、ここまで劇的に変わるとは、私もリグロも考えてもみなかったですわ。」
マーヤさんはチャポンとお湯を指で弾いて遊びながら嬉しそうに答えた。
二人はまだ温泉を堪能する様子だったが、私はそろそろのぼせそうなのであがろうかと湯船のヘリに手をかけた。
「………トキコよ。」
お湯から出ようとすると、真剣なリーズレットさんの声に呼び止められて、私は動きを中断して振り返った。
何やら考え込んでいる様子でじっとお湯を凝視している、リーズレットさん。
いつになく、真剣な表情だ。
「ユグドラシルはおぬしの力をもって、恵みを与える事が出来るのじゃな?」
確認するように、神妙に言われて、私は湯船のヘリに腰掛けた。
「私の力かどうかというのは、わかりませんけど、ゆっ君に力を与えるってのは出来るみたいですね。」
先日の、何かがユージルに吸い取られる感覚を思い出しながら、答える。
「うむ。で、じゃ。考えたのじゃが、もしかして、おぬしとユージル様の力で、我がハイデルトにも恵みを与えてもらえたら…」
リーズレットさんの目が光る。
私とマーヤさんの間に緊張が走った。
ゴクリ。
息を飲んでリーズレットさんの言葉を待つ。
「恵みを与えてもらえたら、ハイデルトにも温泉が湧くのではないか?」
私は目を見開いた。
……えっ?!
自然と、口元に指を当ててしまう。
私の温泉愛と、ユグドラシルの恵みの力を合わせた事で、今回ニフラに温泉が湧いたのでは?とユージルも言っていた。
それが、本当にそうなのか、それはわからないけど…。
「……試してみる価値、ありますね。」
私が呟いて思案顔になると、リーズレットさんは目を輝かせてザバァ!とお湯から立ち上がる。
「そうじゃろう?!」
そしてザバザバと私のところへやってきて、ギュ、と私の手を握った。
「トキコよ!頼む!我がハイデルトに共に来てはくれぬか?そして、どうかハイデルトにもユグドラシルの恵みを与えてはくれぬか?!」
キラキラした、というか、ギラギラした目でズイズイと攻めよられ、思わず後ずさってしまった私だが。
ちょっと、素敵なんじゃない?
オルガスタ、ニフラに続いて、リーズレットさんの領土、ハイデルトにも温泉を?
ユグドラニアに、温泉文化が広まってくれたら、素敵じゃない?
私は目が覚めるような思いだった。全身に鳥肌が立つ。
ああ、もしかしたら、私がここに来た理由って、このことだったんじゃ・・・!
「リーズレットさん!!私、やります!!ハイデルトに行かせてください!」
「お父さん、私はリーズレットさんと一緒にハイデルトへ参ります。」
「ちょっと待て。なんだその唐突すぎる話は。」
砦に戻り、客間のリビングで休んでいたお父さんにそういうと、お父さんは眉間に皺を寄せて怪訝な顔になる。
お父さんの隣ではエレンダールさんも手にお茶の入ったカップを持ちながらあんぐりと口を開く。
「斗季子は役目を見つけたのです。ユグドラシルの愛し子として、ハイデルトにも恵みをもたらします。」
胸に手を当てて、楚々として告げる。
ちょっと!今の聖女っぽかった!
お父さんははあああ、と大きくため息をついた。
そして、ギロ、と私の隣で私の言葉に大きくうなずいていたリーズレットさんをにらむ。
「・・・おい、リーズレット。斗季子に何を言った?」
お父さんに鋭く聞かれてリーズレットさんはスッと一歩前に出る。
「妾は我がハイデルトのため、斗季子にユグドラシルの恵みをと頼んだだけじゃ。ニフラはこのように豊かな土地と生まれ変わった。それを目の当たりにした今、我が領にもと考えるのは、領主として当然じゃろう?それにトキコが賛同してくれての。ユグドラシルの愛し子として、立派なものじゃ。」
ふふんと胸を張るリーズレットさんに今度はエレンダールさんが胡乱な眼差しを向ける。
「・・・リーズレット、貴女、ただ温泉に入ってお酒のみたいだけじゃないのかしら?」
エレンダールさんに言われて、リーズレットさんはグ・・と、一瞬気まずそうな顔になる。
エレンダールさんはガタンと立ち上がって、腰に手を当て仁王立ちになる。
「やっぱり!!領土のためとか言って、自分の欲じゃないの!!」
「違う!!た・・確かに、それも、無い、とは言わぬ。じゃが!おぬしも知っておろう!ハイデルトでもユグドラシルの力が弱まっている影響が出ていることを!」
リーズレットさんが言うと、今度はエレンダールさんが口ごもった。
ハイデルトでも、影響が?
初めて聞く話に私は聖女モードを解いてリーズレットさんに向き直った。
「リーズレットさん、それって、どういう?」
首をかしげると、リーズレットさんばかりか、エレンダールさんやお父さんまで困ったような顔になる。
「ハイデルトがドワーフたちが住む地だというのは、知ってるな?」
お父さんに聞かれて頷く。
前に、ヘンリーさんから聞いた話だ。
「ドワーフたちは、手先が器用で力もあり、建築や、鍛冶が得意な者が多い。それもあって、ユグドラニアの武器や防具、それに生活雑貨なんかはハイデルト産のものがほとんどなんだ。」
おお・・・。
まさにファンタジー世界のドワーフそのものだ。
私はお父さんの話に感動を覚える。
「ドワーフの住むハイデルトにはユグドラニアきっての大きな鉱脈があってね。そこでとれる鉱石で、武器やなんかを作って、それを生活の糧に暮らしているのよ。」
エレンダールさんも続けて教えてくれる。
「・・・その大鉱脈から、鉱石が取れなくなった。」
ぼそりとつぶやいたリーズレットさんは、下を向いて、手をにぎりしめた。
「問題は、それだけではないのじゃ。鉱石が取れなくなり、その原因と、新たな鉱脈を探すため、調査に向かったのじゃが、そこで巨大なゴーレムと出くわした。」
悔しそうに、ギリ、と歯を鳴らす。
「これまでも、魔獣に襲われることは度々あったのじゃ。しかし、そのゴーレムは質が違ってな。剣も、魔術も通じぬ。手の打ちようがなかった。おかげで、多くの同胞を失った。」
リーズレットさんの悲痛な様子に、誰もが言葉を継げなくなる。
お父さんも悔しそうに手を組み合わせて眉を寄せ、エレンダールさんはそっと目を伏せる。
リーズレットさん・・・。
いつも明るくて、楽しいリーズレットさんが、こんな大きな悩みを抱えているなんて、全然気が付かなかった。
そしてそれを気が付かせなかったリーズレットさんを尊敬する。
「今は、周囲の小さな鉱脈からとれるわずかな鉱石で食いつないでおる状況なのじゃ。ハイデルトは、疲弊しておる。そんな我が領民に、癒しを与えたいのじゃ。だから。」
リーズレットさんは顔を上げて強い目で私を見た。
「どうか、ハイデルトに、恵みを・・・!!」
そんなの、行くっきゃないよね!!
お読みくださりありがとうございました。