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はるか眼下に広がる、渓谷地帯。
深く大地を切り込むような谷に、空にいくつも浮島が見えた。
重力を無視したその姿に、あらためて元の世界とは違うんだなぁと、じっと眺めてしまう。
吹き抜ける風は鋭く、近づくものを拒むように肌を突き刺す。
《間もなくであるぞ。トキコ姫》
頭の中に直接響くように竜化したリグロさんの声がする。
ジーノ君の式典参加のため、私たちはニフラ領に向かうことになった。
ニフラ領は東の渓谷地帯にあるため、車でも馬車でも行くのが難しく、かといって徒歩で行くというのは私や侑李にはとても厳しい。
では、どうするかと考えていたところ、なんとリグロさんが竜化して、その背中に乗せてくれると言ってくれたのだ。
そんな訳で、私とユージルがリグロさんに、侑李、レンブラント君、ハルディア君がジーノ君に乗って、ニフラ領へ空の旅となったのである。
ちなみにお父さんたちも竜族の人たちが背中に乗せて来てくれるとのことだが、それぞれ領内での仕事があるとかで、少し遅れて来る予定だ。
視線の先には、雄大な渓谷と、その両側に山の連なりが見える。
そして視線の先の方に、舞台のように谷にせり出している崖があり、その崖の上にリグロさんの住むお城はあった。
お城といっても、王都やオルガスタにあるような瀟洒なものではなく、岩造りの、堅牢で、武骨な雰囲気のものだ。
お城、というより砦という感じ。
頂上が平らにならされた崖は、広場のように整えられていて、その奥に砦がそびえ立っている。
手前の広場からは、きっと渓谷全体が見渡せるのだろう。
リグロさんはバサァ!と大きく羽ばたいてその広場に降り立った。
体を伏せて、私達を下ろしてくれる。
「ありがとうございました!リグロさん!」
そっと鱗を撫でてお礼を言うと、リグロさんはぶるりと体を震わせてその姿を人に変えた。
「なんの、我も姫と同道出来て嬉しかったぞ。」
リグロさんは柔らかく笑って頭を撫でてくれる。
相変わらず頼りがいの権化だ!
思わず抱きつきたくなる父っぽさ!
背中に乗せて空を飛んでくれたのもポイント高し!
目を細めてリグロさんの手の感触を楽しんでいると。
「リグロ様。お帰りなさいませ。」
低く、落ち着いた声が砦側から聞こえた。
「イグニスか。うむ、今、帰還したぞ。」
リグロさんがどこかほっとした声色で答えて、私もそちらを見てみると。
………で、でかい。
リグロさんも大概おおきいけど、さらに一回りほども大きく、鮮やかな真紅の髪を短く刈り上げた壮年の男の人がビシリとお辞儀をしている。
まさに軍人!といったその様子に少し緊張していると、リグロさんがそれに気がついて紹介してくれた。
「トキコ姫よ。我が家の家令、イグニスだ。」
リグロさんに言われて、イグニスさんは顔をあげ、ニッコリと微笑んで私を見る。
ニッコリと、微笑んでくれたんだけど……。
…‥はっきり言って、怖い。
いや、こんなことを考えるのは失礼極まりないのだけど、「今からお前を喰う!」と言わんばかりの獰猛な笑顔だ。
思わず後退りそうになって、グッと堪える。
「は…はじめまして。リリアンフィア・斗季子=ウォードガイアといいます。どうぞよろしくお願いします。」
笑顔で言ってお辞儀をすると、イグニスさんはとても興味深そうな顔になって私を覗き込んだ。
凶悪な顔が近づく。
「ひ。」
失礼ながら、思わず声が漏れてしまったけど、イグニスさんは気にした様子もなく、話しはじめた。
「貴女様が愛し子様なのですね。なんとお可愛らしい!マクドウェル家家令、イグニス=レアンドロと申します。」
イグニスさんは「これからお前を八つ裂きにする!」といった風情の笑顔で自己紹介してくれた。
弾んだ声で、歓迎されているのがよくわかる。きっととても優しい人なのだろう。
ただ、とても顔が怖い。
「イグニス、こちらがユグドラシルであらせられる。御名を、ユージル様といわれる。」
続けてリグロさんがユージルを紹介し、イグニスさんはビッと背を伸ばした。
「これは…!ようこそこのニフラへ。御身に拝謁できるとは、夢にも思わぬ栄誉。光栄極まりないことでございます。私はイグニス=レアンドロと申します。」
イグニスさんがユージルに挨拶していると、バサァと翼の音がして、金色に輝く竜が広場に降り立つ。
侑李達も到着したようだ。
その後ろに桃色竜のマーヤさんも見える。
「快適だったー!馬車の旅じゃなくてホント助かった!」
侑李は機嫌良くジーノ君にお礼を言っている。
まさにその通り!
リグロさんとの空の旅は『速い、揺れない、お尻も痛くない』と、とても快適だった。
はげしく同意しながら侑李達を見ていると、リグロさんの家臣達が、広場に集まってきて一斉にひざまづいた。
「ようこそ竜族の地、ニフラへ。この地にユグドラシルをお迎え出来るとは、末代まで語るに値する栄誉。末永く竜族の誉れとさせていただきます。」
臣下の礼をとり、ユージルに恭しく挨拶をする。
「そんなに畏まらないで。俺も斗季子と来られて嬉しい。せっかくだから、楽しんでいきたいんだ。」
ユージルがそういえば、家臣たちは顔を上げて「ハッ!!」と地を揺るがすかのような声で応えた。
「みなさん、お部屋へ案内しますわ。こちらにどうぞ。お父様、お茶の準備を手配してくださる?」
竜化を解いたマーヤさんがにこやかにこちらに来て、イグニスさんの腕にそっと手を添えた。
イグニスさんはそれを嬉しそうに受けながらマーヤさんに頷いて答えた。
………ちょっとまて。
「……おとうさま?」
思わず聞いてしまうと、マーヤさんは笑顔のままイグニスさんを見上げ、イグニスさんもまたマーヤさんと視線を合わせる。
「ええ。イグニスは私の父ですの。どうぞよろしくお願いします。」
嘘!本当に?!
あまりに似ていない2人に驚いていると、イグニスさんは「これから世界を滅ぼす!」という感じの笑顔を見せた。
お読み下さりありがとうございました。