54 父、怒り狂う。
飛び込んできたヘンリーの言葉に、俺は全力で宴会場へ向かった。
バーンと襖を開いて、中に押し入る。
「斗季子!!」
中に向かって叫ぶが、そこに斗季子の姿はなかった。
悔しそうに拳を握り締め、床に視線を落とすエレンダールと、ホロホロと涙を流すマーヤ殿を抱きしめながらも沈痛な表情のリグロ。
床にくず折れるグラニアス。
くちびるを噛み締めるジーノ君。
ゆっくりとエレンダールに向かうと、エレンダールは視線を落としたまま、低く唸った。
「すまない、ラドクリフ。トキコちゃんを守れなかった。」
エレンダールの言葉に頭が真っ白になる。
なにを…言っている…?
呆然とする俺に、今度はリグロが言葉を続けた。
「突然だった。ユグドラシルを名乗る男が現れてな。俺の愛し子を泣かせるなと言って、トキコ姫を連れ去った。あの後、トキコ姫は泣き出してしまってな。転移後、色々な事が重なり過ぎたのだろう。「帰りたい」と…。」
なん…だって…?
その言葉に愕然となる。
俺は、俺はなにをやっていた…?
家族と共にオルガスタに戻り、娘と息子に多大な称号を受け、さらに愛する妻が番だったと、浮かれていたんじゃないのか?
家族の、斗季子の不安も知らず…!
ガターン…!
たまらず、そばの襖に拳を打ち付ける。
襖はいとも簡単に破壊され、四散した。
「ラドクリフ様…ラドクリフ様…!申し訳ありません!!このグラニアスが付いていながら、安安と姫さまを拐かされるなど…!この命をもって償わせていただきた「そんな事をして何になる!!」…ラドクリフ…様…!」
ボタボタと涙を流しながら、今にも首を切り裂こうとするグラニアスを怒鳴りつける。
「おまえたちのせいじゃない。俺のせいだ…!俺が、浮かれていたせいで…!」
足の力が抜ける。
膝をついて、くず折れる。
斗季子…!
どこにいる…!
誰が俺の大切な斗季子を連れ去った!!
「ラドクリフよ。あまり自分を責めるな。今はいかにしてトキコ姫を取り戻すかだ。」
リグロが声をかける。
ああ、そうだ。
必ず、取り戻す。
そして斗季子を拐った奴を八つ裂きにしてやる。それが誰であったとしても!
「リグロ。その男に見覚えは?」
努めて冷静さを保とうとするが、自分の声の低さに驚いてしまう。
まるで獣の唸り声だ。
「いや、初めてだ。恐ろしい程の美貌の男だ。一度会えば忘れられぬ程のな。気がついた時にはその机の上にいて、あっという間に煙のように消えた。そんな術、見たこともない。」
「ユールノアールにもそんなヤツはいない。それにそんな魔術も前代未聞だ。
よくも、かわいいトキコちゃんを…!!」
エレンダールもギリ、と奥歯を噛み締める。
「……ヤツは。」
ボソリとジーノ君が口を開く。
「『俺の愛し子』と、そう言っていました。そして、自分はユグドラシルだとも。それが、もし本当なら、トキコ姫は彼の…!」
そこまで言って、ジーノ君は顔を顰めた。
「ジーノ…。」
そんなジーノ君にマーヤ殿が優しく声をかけた。
「母上。僕は、トキコ姫をお慕いしています。今は何もかも至らない若輩者ですが、エンシェントドラゴンの継承者としても必ずトキコ姫にふさわしい男になってみせます。そのためには、今こんなところで姫を奪われる訳にはいかない!」
キッパリと宣言した息子に対して、リグロもマーヤ殿も悲痛な面持ちの中に誇らしげな感情を見せる。
危機的状況のなか、息子が挫ける事なく決意を言葉にしたことが、嬉しいのだろう。
非常に複雑な気分だが、今は確固たる意志で斗季子を想ってくれた事を嬉しく思う。
そして、そんなジーノ君の言葉に、大人達も奮い立った。
「こうしちゃいられないわ。とにかくトキコちゃんを見つける為に動きましょう。リーズレットにも連絡するわ!」
エレンダールのオネエ口調が戻る。
その目は光を取り戻し、4大公爵最年長としての威厳が見て取れた。
「ニフラより竜騎隊を呼び寄せよう。空からの方が速いやもしれぬ。」
リグロも協力の意を見せた。
「我々も動きますぞ!」
グラニアスがグイと涙を拭って、力強く立ち上がった。
「みんな、頼む…!」
斗季子が拐われてから俺たちは精力的に動いた。
そして今、ウォードガイア公爵家前には、錚々たる面々が集っていた。
オルガスタからはグラニアス率いる狼騎士団の精鋭。彼らは狼化して地上を駆ける。
ニフラからは自ら名乗りをあげ、司令官となったジーノ君が率いる竜騎隊。空からの探索を担う。
ユールノアールからはエレンダール自ら中心に立ち、魔術に優れたエルフ達が魔力の痕跡を追う。
後方支援にはハイデルトよりラウム殿を中心としたドワーフ達。
ちなみに報告を受けて、リーズレットは激昂した。ありえない速さでオルガスタへとやって来て、来るなり俺の胸ぐらを掴み上げたのだ。
「おぬしがおりながら、トキコを拐かされるとは何事じゃ!!」
と燃え上がる赤い眼で詰め寄られた。
ラウム殿がリーズレットを俺から引き離してくれたが、その目は少なくない怒りを含み、「もはやトキコ姫はウォードガイア公の娘、ユグドラシルの愛し子というだけではない。我らドワーフにとっても大切な娘だ。その事、努努お忘れなきよう。」などと言われ、俺はその言葉を甘んじて受けるしかなかった。
もちろん侑李にも連絡をしてある。
相手がユグドラシルを名乗っている事を話すと、侑李とその友人、ハルディア君とレンブラント君はすぐさま王城へ赴いた。アルベルト王太子殿下に事の次第を告げ、王城のユグドラシルに続く祭壇の間を開けるよう、動いているらしい。
このユグドラニアの中心にあるというユグドラシルは、王城の奥にある祭壇の間と繋がっていると言われている。
ただ、それも伝承での話で、実際、ユグドラシルの姿を見たものはいない。
それでも、わずかな望みにかけるため王族しか開けられない祭壇の間を斗季子のために開こうとしてくれている。
4大公爵家と、王家の動きは斗季子がユグドラシルの愛し子であるという事を差し引いても、考えられない程の布陣だった。
今さらながら、自分の娘がみんなから愛されていると知り、ありがたい気持ちでいっぱいになった。
そんな中。
「……ちょーーっと、大袈裟じゃない?」
ひとり、今回の作戦に消極的な者がいた。
誰あろう、斗季子の母親、カレンだ。
「なっ!何言ってんだ!!斗季子が攫われたんだぞ!!」
信じられない、とカレンを見る。
カレンは、うーん、と唸って顔を顰めた。
「帰ってくるような気がするんだけどなぁ。その、連れてったって人も、聞く限り斗季子の事思っての事みたいだし。」
ヘラリ、と笑う。
信じられない。
「そんなの信じられるか!どこのどいつかわからないんだぞ!!」
「だから、ユグドラシルでしょう?愛し子の斗季子に何かするかなぁ?」
「それを信じられるかって言ってるんだ!」
あまりの呑気さに思わず声が大きくなる。
「う〜ん…。」
カレンはやはり歯切れ悪く唸っている。
「…ラドクリフ様。準備が整いました。」
グラニアスに告げられて、足を進める。
「…やっぱり大袈裟だと思うんだけど。」
なおも言い募るカレンを一度振り返り、しかし再び足をすすめた。
その時だった。
辺りが光に包まれたのは。
「!!!みんな、伏せろ!!」
思わず叫んで、カレンのところに戻る。
カレンを庇うように抱き寄せて体をかがめる。
しばらくして、その光が収まった時。
「なんだ…!これは…!」
感じた変化は俺だけでなくその場にいた誰もが思っているようだった。
身体が、軽い。
まるで自分を覆っていた殻が剥がれたかのような感覚。
呼吸がしやすい。
肺の中に清涼な空気が入り込んで、体中に新鮮な空気が行き渡る。
「父上…!」
特に顕著だったのが、ジーノ君だった。
何かに耐えるように胸を押さえ、掠れる声でリグロを呼ぶ。
「ジーノ!ジーノ!!大丈夫か?!」
慌てて駆け寄るリグロの目の前でそれは起こった。
「父上…!はな…れ…て…!」
バサァ…!
弾けるように体を広げたジーノ君は、次の瞬間、眩い光と共に、その姿を黄金の竜に変えた。
「な!!…これは!」
リグロの目が驚愕に変わる。
エンシェント、ドラゴン…!
日の光を反射する黄金の鱗。
その大きさは竜化したリグロを凌ぎ、開かれた瞳はルビーのような真紅。
「ああ…そんな!」
リグロが思わず跪き、後を追うように竜族たちが次々と竜化し始める。
そして頭を垂れ、崇めるようにエンシェントドラゴンの周りに侍った。
竜族であれば、抗えない威圧。
それは竜帝リグロさえもそのそばに従えさせた。
そしてそれは、竜族のみならず、他の者たちにも変化をもたらしていた。
リーズレットは茶褐色だった髪が鮮やかな紅色に変わり、エレンダールの髪も緑灰色からエメラルドグリーンへと変化している。
地面からは草花が芽吹き、辺りはあっという間に花畑になった。
「これはいったい…!!」
あまりの事態に皆が皆、動きを止めている。
「だから、大袈裟だって言ったのよ。」
ふと、声をかけられて振り返る。
そこにいたのは。
「…カレン?」
肩よりも短かったはずの髪は、地につくほど長くなり、共に年齢を重ねて来たはずのその容貌は出会った時のもの。
もちろん今もカレンにこれでもかと惚れているが、その美しさに心臓が激しく高鳴る。
「斗季子、帰ってくるわよ。」
ニッコリと微笑む、その姿はまさに女神そのものだった。
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