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その日、入学の準備のためお父さんと公爵家に行っていた侑李とお父さんが帰って来ると、私とお母さんは早速ギルドマスターの話をした。
「ああああー。なるほどなぁ。確かにそりゃ、そうなるなー。」
お父さんはそう納得してコホンと咳払いをする。
「いいか?まず、この世界には日本みたいなホスピタリティは無い。」
きっぱりと断言して私とお母さんを見る。
私たちは、なんの事やらと首をかしげた。
「向こうでも日本のおもてなしは優れたものだったんだ。こっちの連中にしてみたら、この旅館のサービスは想像も出来ないものだろう。」
今ひとつわからない。
相変わらず首をかしげる私たちにお父さんは困った顔になった。
「こっちで宿に泊まるってのは、癒しや食事を楽しむ為のものじゃない。あくまで、野宿が避けられて屋根のある場所で眠れる事を目的にしたものだ。だから、そもそも温泉旅館なんてものはない。宿で提供されるのは簡素な寝床と、よくてタライの湯くらいだ。」
お父さんの説明に少々驚く。
それじゃあ非日常を楽しむ為のエステ付きの宿泊プランなんかもないって事?
愕然とする私に構わず、お父さんは話を続けた。
「そもそも、サービスで茶や菓子なんか出さない。コップ一杯の水にも金がかかる。風呂なんてあるのは貴族御用達の高級宿くらいだ。それだってせいぜいユニットバス程度のものにバカ高い金がかかる。」
うちの旅館、温泉入り放題なんですけど!
「当然、石鹸なんかにも金がかかる。いいか?石鹸だぞ?髪も身体も同じ物で洗うんだ。シャンプーもトリートメントもない。ましてや洗顔に特化した物なんてない。」
なん…だと…!
それじゃあ髪がギッシギシだし、顔もパリッパリじゃないか!
「着替えの浴衣なんて、思いつきもしないだろうな。旅で着ていたものをそのまま着続けて、そのままベッドで眠るんだ。風呂なんて普通は入れず、せいぜいタライの湯で濡らした手ぬぐいで手足を拭くくらいだろう。それだって金がかかる。」
「ぎゃああああ!!」
私はとうとう悲鳴をあげた。
聞いてるこっちが痒くなる!
なんて不潔なんだ!
「当然素泊まりだ。食事は宿に併設されていればそこでとったり、あとは外で食べるかだな。もちろん別料金だ。」
それじゃ温泉に入って、ご飯食べて、その後また温泉に入って、起きて温泉に入って、朝ごはん食べて最後に温泉に入ってって出来ないじゃないか!
「それでだいたい、宿代が1,000リル。」
「高すぎる!!!」
「ちなみに貴族御用達の高級宿だと1万リル。風呂代別。」
「ありえない!!」
ようやくギルドマスターのお怒りの理由がわかった。
金貨を叩きつけるはずだ。
私とお母さんはすっかりしょんぼりしてしまった。
確かに料金の見直しが必要だろう。
価値観の違いというものを見せつけられて、どうすればいいのかわからない。
「あなたが初めて旅館に来た時、真っ青になって驚いていた理由がわかったわ…。」
お母さんがポツリとこぼす。
「ようやくわかってもらえたか。あんな事しててしっかり儲けが出ている事に驚愕しかなかった。なんて恵まれた世界だろうと思ったよ。」
お父さんが柔らかく笑ってお母さんの頬を撫でる。
ちょっと。そこのバカップル。
子供の前で桃色空間作るのやめてもらえませんかね?
「こちらの宿泊事情はだいたいわかったけど、じゃあどうしよう?値段を上げるのもなんだか申し訳ない気がして…。」
私が言うと、お父さんはうーんと考えこんでしまう。
「多少は上げる必要はあるだろうな。そうしないと他の宿との兼ね合いもある。」
確かに。
サービスが上で値段が安いとなれば、当然客足はこちらに向くだろう。
そうすると元々の宿屋が困る事になる。
「幸いっていうのもおかしな話だが、ここは領都から距離がある。領都内で泊まりたいやつは一定数いると思うから、料金を高めに設定すれば客が流れすぎる事もないだろう。あとは宣伝は極力しない。そうすれば客足はさらに押さえられると思う。」
なんだか客商売にあるまじき意見だけど、その方向で行くのがいいのだろう。
「だけどさ。なんだかもったいないよな。」
ずーっと黙って私たちのやりとりを聞いていた侑李がふと話し出した。
「父さん、この世界に温泉はないって言ってたよな?せっかく宿ごと転移してきたんだから、たくさんの人に温泉を楽しんでほしいよな。」
実に温泉旅館の息子らしい意見だ。
でもその意見には激しく同意!
私はうーん、と腕を組んで考える。
たくさんの人に、温泉を。
うちの旅館はとても小規模だ。
旅館の泊まり客の人数は限られている。
だとしたら。
「ねえ、日帰り温泉、やってみたら?」
ふと、日本の温泉地でもよくある、お風呂を泊まり客以外にも解放している日帰り温泉が思い浮かぶ。
私が言うと、侑李も明るい顔になる。
「泊まりの料金は高めにするとして、温泉だけ入れる日帰り温泉を安くやるの!うちは今までやってなかったけど、この機会にやってみようよ!」
「でもうちの大浴場、そんなに広くないわよ?客室数が少ないから、大きな浴室も必要なかったし。」
お母さんに言われて、ああそうかーとガックリする。
確かに、ある程度大きいお風呂は必要だよね。
なんとか、なんないかなー。
せっかく異世界に来たんだし、
ここは一つ、魔法とかでさー。
って。
魔法?
私は侑李をじっとりとみつめた。
「え?なに?何その顔。」
私に見つめられて侑李はわずかに体を後ろに引いた。
「いや、ね?大賢者様って、魔法とか使えないのかなーって。そんで、おっきなお風呂とか、作れないかなーと。」
「ちょっと!」
侑李が信じられないと私を見る。
「そんなの、できるわけねぇじゃん!だいたい魔法なんて使ったことないし!」
侑李が無理無理!と両手を振りながら全否定する。
しかし。
「……それ、出来るかもだぞ?」
お父さんがふむ、と顎に手を当てた。
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