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ザアァァァ……。
湯船からこぼれ落ちるお湯。
あたりは湯気が立ち込め、周りの空気も温めている。
ボコボコと、ジェットバスが音を立てる。
湯船のユージルは、だんだんとその表情を穏やかなものに変えていっていた。
しかし、まだ目は開かない。
私達への攻撃はすっかり止み、さらには黒い樹木もその色を健康的な茶色に変え、灰色の葉はハラハラと落ち、代わりに新緑が芽生え始めていた。
日の光さえも差し込んできた。
終わった。
まだユージルが目覚めてみないとなんともいえないけど、もう大丈夫な気がする。
ザッパァァァァ!!
「ふぅう!気持ちいいわねぇぇ!!」
ユージルの隣でヴィヴィアンがお湯から顔を上げた。
「そこ!湯船に顔はつけない!」
私はビシ!と指を指して注意した。
「ちょっとトキコちゃん!ボディソープ持ってきて!」
エレンダールさんが手拭いを手に声をかける。
「ここに洗い場はありません!下の大浴場に行ってください!」
「だって、大浴場ボロボロになってるじゃないの!」
「トキコよ。ここにシャワーを設置する事は出来るかの?」
「リーズレットさんは建築技術があるだけにやっかいですね?!」
変に魔改造されたらどうしよう!
ユージルの目覚めを待つ事しばし。
最初はみんな固唾を飲んでその時を待っていたのだけど、そのうちにみんな、手持ち無沙汰になってしまったようだ。
まず、ヴィヴィアンが「ユージルの入ってるこの温泉、特別気持ち良さそうよね?」などと言い出し。
そのあとリーズレットさんが「激しい戦闘で、すっかりホコリまみれじゃ。温泉で癒されたいのぅ。」などと言い出し。
「「トキコ(リリアンフィア)ちゃん、ここはひとつ、妾達も、入ってしまおう(入っちゃいましょう)」」と声を揃えた。
それで、この有様だ。
こうなったら早めにユージルに目を覚ましてほしい。
自由すぎる大人達がこれ以上暴れないうちに!
しかしユージルは穏やかな微笑みを浮かべながらゆったりと湯船につかり、未だ起きる気配がない。
くっそぉぉ。
バチクソイケメンだな!
「はっ!いかんいかん!お岩がうつった!」
そう思ってペチペチと自分で頬を叩く。
「………ん……」
今、何か聞こえた。
小さな声に耳を傾け、視線を向けると、ユージルの瞼がかすかに動いている。
目が覚めた?
じっと見守っていると、その瞼がゆっくりと開いた。
黄金の、瞳だ。
さっきまでの沼色じゃなく。
その瞳はとても澄んでいて、まったく毒気がない。
私はそっとユージルに近づいて、その様子を伺う。
ユージルも私の存在に気がついたのか、私をじっと見つめた。
その視線に、妙な欲望は感じられなかった。
湯船に手を添え、声をかけてみる。
「ユージ……「……おねぇちゃん、だれ?」……は?」
開口一番にユージルから発せられた言葉に、思わずポカンと口が開く。
じっと見つめる私を、じっと見返すユージル。
その瞳が、ウルウルと濡れ出した。
「おねえちゃん、だれ?ここはどこ?」
その声は、震えを伴っていて。
まずい!泣きそうだ!
そう思う間もなく。
「ふ……ふぇぇぇええ!」
ユージルはまるで小さな子供のように泣き出した。
ユージルを、湯船から出して、バスタオルで包み、なだめる事しばし。
途中、ヴィヴィアンがなだめようと近づいてギャン泣きされたりしたが、なんとか泣きやませることに成功。
しかしユージルは泣き疲れたのか、眠ってしまった。
今は私の膝を枕にしてスヨスヨと寝息を立てている。
どうやら見た目は大人、頭脳は子供状態のようで、非常に困惑する。
「どうしてこんな事に?」
私を取り囲むように円状に座り、この状況についてみんなで考察する。
「そうねぇ。でも、とりあえずユージル様がこれ以上私達に何かする事はなさそうね。」
エレンダールさんは私達の安全について結論付けた。
「まるで子供じゃ。これではトキコをどうこうするという事も出来まい。」
リーズレットさんもエレンダールさんに同意する。
「まさに子供よ!見た感じ、大人だけど、子供と同程度の力しか感じられないわ。世界樹としての力も、すごく弱まっているわね。」
ヴィヴィアンがシナっと横座りで、指先を頬に添えて言う。
どうも、ユージルは今までのことをすっかり忘れてしまっている様子だった。
少ししたら、何か思い出したりするのだろうか?
私がうーん、と考えていると、同じくうーん、と考えていた侑李が目を閉じて思案している姿勢のまま、話し始める。
ちなみにユージルが大人しくなってから犬化は解いてもらっている。
「……ねーちゃん。俺としては、ユージルが気になるのもわかるけど、ねーちゃんは大切な事を忘れてると思う。」
神妙に言われて、侑李に視線が集まった。
「な……なによ。」
ゴクリと喉を鳴らしてから、恐る恐る聞いてみれば、侑李はギン、と私に強い目を向けた。
「お父さんとお母さんだよ!!あの2人、どうなったんだ?!」
!!!
侑李の言葉で立ち上がる。
ゴン!と音を立ててユージルの頭が床に落ちた。
「ちょっと!」
「大丈夫か?すごい音じゃったぞ?!」
エレンダールさんとリーズレットさんが慌ててユージルの頭を見出したが、ちょっと気にしてる余裕ない!
「た……大変だぁ!!」
私は大慌てで風呂桶階段を駆け降りて行った。
「お父さん!」
階段を降りると、お父さんが倒れていた。
樹木化された体は元に戻り、元のお父さんの姿だったけど、体中に傷が見える。
お父さん……!
その事に青ざめていると、後から追いかけて来てくれたエレンダールさんが駆け寄り、癒しの魔術をかけ始める。
お父さんの体は薄ぼんやりと光り、徐々に傷が塞がれていった。
「…‥ダメだわ。傷は塞がったけど、意識が戻らない。」
エレンダールさんも悲痛な声を出す。
私はお父さんに駆け寄り、体に手を当てた。
「お父さん!お父さん!!目を覚まして!斗季子だよ!帰ってきたよ!」
ユサユサと揺さぶってみるが、お父さんからの反応はなかった。
嘘。
せっかくここまで来たのに!
お願い、お願いだから、目を覚まして!
「お父さん!!」
どばしゃーーん!!
私の声とともにお父さんに降り注ぐ大量のお湯。
「うおおおっ?!?!」
お湯を浴びせられると同時に、お父さんの声がして、お父さんが体を起こす。
気がついた?!
「お父さん!!よかった!!」
「??……と……斗季子……ゲフっ!ゴホッ!」
お湯を吸い込んでしまったのか、お父さんが盛大にむせこんだが、私はお父さんに飛び付いた。
「いったい…‥これは……エレンダール?」
戸惑うお父さんの視線が、エレンダールさんを捉える。
「………よかったわ、ラドクリフ。」
安堵したようなエレンダールさんの声に、若干のお怒りを感じて振り返る。
エレンダールさんは頭からポタポタと水滴を垂らしていた。
おおう。
エレンダールさんにもお湯をぶっかけてしまったようだ。
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