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「んー、やっぱり加護はなさそう」
温泉に手を差し入れて、クルクルとかき混ぜる。
只今、ニフラの『竜渓の湯』である。
ミカドちゃん達ハコネ隊に先行で偵察をしてもらい、そのあと、侑李犬に辺りを警戒してもらい、リーズレットさん達アリマ隊の護衛を受けつつ、手拭いバリアを張りながらやってきたというのに、何故か特に誰かに会う事もなく、スルスルとここまでこれてしまった。
リーズレットさんや侑李は、
「絶対おかしい!こちらの動きを察知して、泳がせて罠に嵌めようとしてるんじゃ?」的な事を言っていたけど、
ミカドちゃんは、
「それなら罠に嵌る前に撤退するだけだ。逆にその状況を利用してやろうぜ!」
と、剛毅なことを言った。
私としては、こんなところでグズグズしているつもりはないし、かといってここまで来て何もしないで帰るというのもなんだかもったいない気がして、ミカドちゃんの案を採用する事にした。
「トキコよ、今までの事を考えると、ここでおぬしが温泉に加護を与えれば、ニフラも温泉神の土地となるはずじゃ。出来そうかの?」
リーズレットさんは周囲を警戒しながら私を促す。
「はい!」
私は答えて、差し込んでいる手に意識を集中させる。
どうか、ニフラの人たちを……
私がそう祈って、目を閉じた時。
「ミカド!!!」
突然響く声。
私はびっくりして手を引っ込め、リーズレットさんや侑李達は、ザッと警戒態勢になる。
そんな殺気の充満する中、声の主は迷う事なくミカドちゃんに駆け寄っていった。
「ああ、ミカド……!心配したのですよ。」
涙ながらにミカドちゃんを抱きしめているのは。
「……オフクロ。」
マーヤさんだった。
マーヤさんは涙を流して息子との再会を喜んだ。
ミカドちゃんも照れくさそうにしながらも、とても嬉しそう。
うんうん、ミカドちゃん、まだ小さい子供だもんね。
お母さんに会えて、嬉しいよね!
そして。
パァン!
「いっってぇぇぇ!!」
ミカドちゃんの絶叫が響き渡る。
「まったく!こんなに母に心配をかけて!」
パァァン!
マーヤさんの手が容赦なくミカドちゃんのお尻に振り下ろされる。
「いってぇぇぇ!!悪かった!悪かったよ!オフクロ!」
ミカドちゃんが涙目で謝って、マーヤさんはようやくミカドちゃんを解放した。
ミカドちゃんのかわいいお尻が赤く腫れている。
「皆様、ミカドがご面倒をおかけしました。」
マーヤさんはそう言って私たちに深々と頭を下げた。
「マーヤさん!頭をあげてください!こちらこそすみませんでした。勝手にミカドちゃんを連れて行ったりして……!」
私は慌てて謝るが、マーヤさんは首を振った。
「いいえ、きっとミカドがわがままを言っての事でしょう。」
そう言って優しい微笑みを見せるマーヤさん。
やっぱりマーヤさんの母性は素晴らしい。
なんて癒されるんだろう。
しかし、思わずホッとしてしまった私とは違い、リーズレットさんは険しい顔をマーヤさんに向けていた。
警戒を解く事なく、じっとマーヤさんを見据えている。
「マーヤ殿、我らはある事情でニフラに赴いた。事によれば、竜族と敵対するやもしれぬ事情じゃ。聞けばこの地にユグドラシルの手の者である土神が来ているとのこと。そなた、土神の命によりここに現れたのか?」
リーズレットさんの低い問いかけに、マーヤさんは目を伏せた。
「……土神様より、私も少し事情を伺いました。トキコ姫がユージル様から逃亡されたと。」
マーヤさんも声を低くして答える。
しかし、マーヤさんは顔を上げると、真剣な顔で私を見る。
「トキコ姫、私はユグドラニアに産まれたものとして、ユージル様には従わなければならないのでしょう。ですが今は、本当にそれで良いのか、迷いが生じているのです。」
マーヤさんの声は沈んでいた。
その様子に、私とリーズレットさんは顔を見合わせた。
「…‥何か、あったのかの?」
リーズレットさんの問いかけに、マーヤさんは困ったような顔を見せる。
「リグロが、土神様に囚われました。」
「!!!」
「なっ……!どういうことじゃ?!」
私もリーズレットさんも息を飲み、ミカドちゃんの表情が固まる。
「……オヤジ……!」
唸るように呟くミカドちゃん。
その背中にそっと手を当てれば、少し震えているようだ。
「それで、マーヤ殿は?自由に動いて大丈夫なのか?」
リーズレットさんの問いに、マーヤさんは小さくうなずく。
「私のことは、何も出来ない竜族の姫とでも思っているのでしょう。そして私もまた、そのように振る舞っています。ですが、リグロは、土神にトキコ姫をとらえるようにと命じられたのです。しかしリグロはそれに異を唱えました。トキコ姫が逃げたのには、何か訳があるはずだと。トキコ姫の話も聞きたいと。」
マーヤさんの話に私は目を見開いてしまう。
そんな。
リグロさん、私のために……!
「それからはあっという間でした。土神はその御力を持ってリグロの動きを封じたのです。リグロは……石化されました。」
マーヤさんの話にシン、と静まり返る。
「なんということじゃ……!」
「石化したって……!!オヤジは?!オヤジは大丈夫なのか?!まさか?!」
ミカドちゃんがマーヤさんに詰め寄る。
マーヤさんはミカドちゃんの肩に手を置いてそれを諌めた。
「落ち着きなさい。ミカド。父上は大丈夫です。強靭な竜帝ともあろうもの、そのくらいで何かあるはずもありません。ただ……」
マーヤさんはミカドちゃんの肩をさする手を止めて、再び目を伏せる。
「神の手によってなされた事です。それを解くことが出来るのも、また神しかおりません。」
健気に涙を堪えて、悲しげにため息を吐くマーヤさん。
そのすぐそばで、じっとりと私に集まる、リーズレットさんとミカドちゃんと、侑李の視線。
「え?まさか?」
嫌な予感がしてジリ、と後退る私。
「神の御術は神のみにしか解けない、か。その通りじゃな。」
リーズレットさんが神妙な顔でうなずく。
「ねーちゃん、リグロさんにはお世話になったよな?ねーちゃんも『お父さんみたい!』とかって懐いてたじゃねぇか。」
諭し出す侑李。
「姐御!!頼む!!どうか、どうかオヤジを助けてくれ!!」
半泣きで懇願するミカドちゃん。
周りの反応に、マーヤさんは目を瞬く。
「トキコ姫?それは、どういう……?」
「マーヤよ、驚くでないぞ?このトキコはな、今や《ユグドラシルの愛し子》というだけではない。もっと尊い存在なのじゃ。」
リーズレットさんは何故か胸を張る。
ちょっとリーズレットさん?
なんでリーズレットさんがそんなに自慢げなの?
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