プロローグ②
「誰?」
そうつぶやいたら、謎の美少女さんは眉尻を下げて悲しそうな顔をして、
「覚えて……ない?」
と、不安そうに訊ねてきた。
うーん……、覚えてないかなんて聞かれても、こんな美人な知り合いはいないはずだ。それどころか、女の子と会話したのも、事務的なものとお義母さんを抜いたらだいぶ久しぶりなのに……。
美少女さんの方へ目をやり、その美貌をよく観察してみる。美少女さんは、やはり、美少女だった。
肩のあたりで切り揃えられた茶髪。目は大きくてクリクリしていて、猫のような目をしてるが、どちらかと言えば、全体的には犬のような印象を受ける。笑顔なんかが似合いそうだ。
僕がなかなか反応を示さないからか、美少女さんはより一層悲しげな顔になり、その端正な顔立ちにはどんどん影がさしていく。
……困った。そんな悲しそうな顔をされると、罪悪感が湧いてきてしまう……。
何を言われてもこの子のことを覚えてない僕にはただ見てることしかできないのに。
美少女さんの顔が曇っているのをオロオロしながら眺めていると、
「そっか……そうだよね」
と、悲しそうな微笑みをたたえて美少女さんは呟いた。
どうやら、色々と整理がついたらしい。良かった良かった。
体感時間的にそろそろ遅刻しそうな気がしたので、特に面白みのない景色でも眺めながら学校に行こうと思い至り、足を一歩前へ踏み出そうとした瞬間、美少女さんはさっきまでの悲劇のどん底みたいな笑顔や悲しげな微笑みとは正反対の、眩しいくらいに満面の笑みをその綺麗な顔に浮かべていった。
「ねえ、一緒に学校行かない?」
その笑顔はとても輝いていて、僕は予想通りだなと思った。そして、彼女の申し出に対して、少しだけ面倒くさいと思った。
◇
僕と美少女さんは、雑談を交わし寒風に吹かれながら、学校までの道のりを歩いた。
最初、僕が口下手すぎて会話が途切れ途切れになり、いずれ二人とも喋らなくなり気まずい空気が流れる……。と言う事態を想定し危惧していたけど、そこに関してはなんの問題も無かった。
なにせ、相手の方からバンバン話題を振ってくれて、僕はただただ振られた話に対して適当に頷いてるだけで良かったのだ。
おかげで、いつもは一人でつまらない景色を眺めながら歩く通学路も、いつもより少しだけ楽しく感じられた。
校門を潜り、二人で足早に階段を駆け上がる。美少女さんは同級生らしく、クラスは僕の隣だった。
美少女さんと別れて、僕も自分の教室へ向かう。
教室の扉を開けても、誰も僕に近寄ってはこない。
当たり前だ。僕はいわゆる「ぼっち」と言うやつで、クラス中はもちろん、学校中どこを探しても僕の友達なんてものは存在しない。
よく会話をする人たちも親密度は知り合いレベルで止まっている。
窓際にある自分の席に着き、読書でもしようかと思い鞄を開けようとすると、二人の男子生徒が近づいてきた。
一人は、クラスの男子の中では少しだけ長い髪に童顔と言った、子供っぽい風貌をしていている。いつもは、少年の様なあどけない爽やかな笑みを浮かべているが、今その顔に張り付いている表情は真剣そのものだ。
もう一人は、一人目とは対照的にクールで大人っぽい印象を受ける背の高い男子だ。いつもはその印象通りクールで落ち着いた表情をしている……が、なぜか今は一人目同様、とても真剣な顔をしている。
名前は、子供っぽい方を鈴木くん、クールな方を水野くんと言って、二人は僕が会話できる数少ない、と言うより、唯一無二の知り合いと言っても過言ではない。なぜなら、この学校で僕の知り合いと呼べる人はこの二人だけだからだ。
いつもは、こんな朝から僕の机に向かってくるなんてことはなく、二人で駄弁っているかみんなで駄弁っているかのどちらなのだが、今日は朝から二人揃って押しかけてきている。
顔も、真剣味満点の顔をしていて、今にも僕を問い詰めてきそうな雰囲気を感じる。
一体どうしたんだろうかと考えていると、案の定二人は詰め寄ってきた。
「おい、お前が朝一緒にとうこうしてたのって、山田だよな!?」
と、水野くんが聞いてきた。
? 誰だヤマダって。そんなハテナが僕の顔に溢れていたのだろう。 水野くんが説明してくれた。
「お前がさっきまで一緒に居た美人だよ」
あー、あの美少女さんそんな名前だったんだ。
どう言う字を書くんだろう? やっぱり、山に田んぼの田なのかな……。
「で、その山田さんがどうしたの?」
「実はな、こ」
「いやいや! なんでもないよ!」
水野くんが何かを説明しようとしたところに、鈴木くんが慌てた様子で割って入る。
水野くんは、喋ろうとしたのを邪魔されて、少しムッと感じで鈴木くんのことを睨んだ。
その視線を受けた鈴木くんは、バツが悪そうに頬をかきながら釈明をした。
「いや……その、お前がスッゲー美人と歩いてたから気になっただけだよ」
とてもそれだけの反応とは思えなかった。しかも、水野くんの言葉を遮ったことへよ理由になっていない。相当動揺している様だ。
僕は、少し興味が湧いたので詳しく聞こうとしたが、丁度担任の先生が教室に入ってきたので、その場はお開きとなった。
先生の話を聞き流しながら窓の外を眺める。
特にこれといって面白いものがあるわけではないけど、暇を潰すのには最適なのだ。
朝礼が終わり、皆授業の準備に取り掛かったり、友達の元へ雑談をしに行ったりと各々の行動を開始する。
僕も授業の準備をしようと思い鞄に手を伸ばそうとして、突然、強烈な眠気に襲われた。
どうしてだろう? 昨日は、特に夜更かしなんかもしてないはずだ。
不思議に思ったけれど、抗えそうでは無かったので、少しだけなら大丈夫だろうと思って僕はその眠気に身を委ねた。
◇
――リーン、リーン。
どこかで、鈴が鳴っている。聞いてると、とても落ちついて、眠くなってくる。
「な……、い…ち……の!」
どこかで、誰かの声がする。鈴の音でかき消されてよく聞こえないけど、とても悲痛な響きのする声だった。
――リーン、リーン。
また鈴が鳴った。今度は、少し近かった。
「…と…にし……っ………の…!」
また、声が聞こえた。今度は少し遠かった。
――リーン、リーン。
鈴が鳴る。今度は、さっきよりも近い場所で鳴る。
段々、意識が薄らいでいく。
「……さ……!」
鈴の音が高くなるごとに、声も小さくなる。
――リーン、リーン。
「………………………い!」
鈴が鳴る位置がどんどん近くなって、意識が薄くなっていき、誰かの声も小さくなる。段々、視界も暗くなってきた。
――リーン、リーン。
耳元で、鈴が鳴る。
声はもう聞こえない。
僕は、真っ暗な世界にいた。
真っ暗な世界で、鈴だけがずっと、耳元で鳴っていた。リーン、リーン。と――