プロローグ
ジリリリ! ジリリリ!
薄暗い部屋に、アラームの音がけたたましく鳴り響く。
朝は嫌いだ。特に目が覚めたすぐ後の、この瞬間が。
何せ、寒いし眠いし、憂鬱だ。それに、これから始まる一日をどう切り抜けようかと考えてしまい、自分がみじめになる。
ただでさえ憂鬱なのに、そのせいで更に憂鬱になってそのまま布団に引きこもりたくなってしまう。
でも、それはだめだ。そんなことをしたら、お父さんとお義母さんに顔向けできない。
仕方なく体を起こし、リビングのある一階へと向かう。
食卓においてある袋から食パンを一枚取り出し、それをトースターに突っ込む。
寝起きの脳を覚醒させるために洗面所に行き顔を洗い、歯を磨き制服に着替えて身支度を済ませ、パンが焼けるのを待つ。
両親が出張に行って今日でちょうど一か月。一人での生活にもいい加減慣れた。最初は、一人で起きられか心配だったけど、早寝早起きを心がけたら普通に起きられるようになったし、生活費は仕送りしてくれるし、料理だって、この一か月でかなり上達した。今では、一人暮らしを優雅に満喫しているくらいだ。
テレビをつけ、番組をたらいまわししているとトースターからチン! という音が聞こえた。
トースターからトーストを取り出しそれを食べ終えると、僕は家を出た。
……寒い。
つい昨日までは長袖じゃなくてもいいんじゃないかというくらい暖かかったのに、今日から十二月ということで地球も気合を入れたのか、外は寒かった。
普通、こういうのは段階を踏んで寒くなっていくものじゃないのか。
起きてからずっと下がり気味な気分がさらに下降する。乾いた風が肌を撫でる度、皮膚が切り裂かれるみたいで痛い。
それにしても、いつも思うのだけれど、この家から学校までの通学路は、もう少し面白みがあってもいいと思う。
通学路なんかに面白みを求めるのもどうかと思うが、それにしたって娯楽が少ないと思う。
家から学校まで約十分。その間、コンビニ一つない。そもそも、まともな娯楽施設が駅前まで行かないと一つもない。
こんなことなら、家が近いからなんて理由で公立を選ばずに、頑張って私立を受験すればよかった。そうすれば、電車通学になって、もう少し楽しみの幅も広がっただろうに。
ほかの人はきっと今頃、友達や恋人なんかと楽しく登校しているのだろう。
僕には友達も恋人もいない。正確には、友達はいる。まあそれも、ほとんど知り合いレベルなのであまり変わらないが。
別に、僕は友達なんて必要じゃないし要らないからいいんだけど。それに、僕は別に人と話すのが苦手というわけじゃない。だから友達なんて作ろうと思えばいくらでも作れるのだ。
なんてうだうだ考えながら歩いていると、路地裏から、一匹の猫が飛び出してきた。小さい、三毛猫だった。
この辺では、野良猫は片っ端から保健所に連れて行かれてしまうので、猫は珍しかった。
僕は好奇心に従ってその猫に近づいてみた。その猫は人に慣れているのか、僕が近づいても逃げるそぶりは見せなかった。それどころか、座って、まるで撫でてみろと言わんばかりに、その頭を突き出してきた。僕は苦笑し、しゃがみ込んだ。
頭を撫でようとして、顎の下から撫でないといけないと思い出して、おそるおそる顎下に手を伸ばし、そっと撫でてみた。すると、猫ののどからゴロゴロと音が聞こえた。どうやら、喜んでくれているらしい。
僕は、なんだかそのことが嬉しくて、夢中になって顎を撫でた。
撫でる度に猫がゴロゴロとのどを鳴らすのがかわいらしい。
我ながらちょろいと思うのだが、猫を撫でていると、つい先ほどまで胸の中をのたくっていた憂鬱が晴れて、なんだか今日はいいことがある気がした。
でもそれも仕方ないと思う。だって、猫なんてほとんど見たことが無いのだから。そりゃあちょっとくらい気分も上がるさ。
しばらく撫でていると、不意に三毛猫のオスは珍しいという話を思い出して、確かめてみたくなった。
逃げられないように慎重に猫の背中に手をやり、親指をのばし胴体をホールド、そして、これまた慎重に持ち上げた。
お腹を覗くと、下のほうに、男である証があった。
これは本当にいいことがあるかもなと思っていると、突然指の付け根あたりにざらりと、紙やすりを優しくこすりつけられたような感触が走った。思わず猫から手を放してしまう。
どうやら、猫が手を舐めたらしい。
猫は、いきなり落とされたことに驚いたのか、そそくさとどこかへ去って行ってしまった。
「なにしてんの」
呆然としていると、背後から笑いをこらえるような声が聞こえた。
まさか見られていたとは思わなかったので、驚いて振り返ると、そこには、明るい茶髪を肩の高さで切りそろえて、見慣れた制服に身を包んだ、美少女が――。
……ん? あれ? 美少女? んー、僕の知り合いにこんなかわいい子はいなかったはずだ。
どこかで会ったっけ? 思い出そうと彼女の顔を凝視してみる。
「? どうしたの?」
だめだ。思い出せない。というか記憶にない。間違いなく初対面だ。
なのに向こうは、まるで百年来の親友を見るような目で僕のことを見てくる。
僕は訳が分からず、思わずつぶやいてしまった。
「誰?」と。




