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8

 翌日、本当にオルキスはやってきた。

 手紙の整理やドレスの確認など適当なでまかせだったが、来てしまったからにはやったフリでもしておかなければならない。

 手伝うと言っていたオルキスに本当に手伝わせるわけにはいかないので応接室に押し込んでおいて、エルーシアは自室でしばらく時間を潰した。


「お待たせ」

「終わった?」

「ええ、なんとか」


 じゃあ行こうかと手を差し出され、それはやはり無視をして玄関に向かう。

 これは昨日の礼として付き合うだけだ。

 加えて気になっていた超有名カフェに行けると言うのだから、この好機を逃したくないだけでもある。

 それ以外の理由はないのだ。



 喧騒の中に行き交う人々、急に眼の前に飛び出してくる子どもたち、溢れかえる香辛料や果物の匂い、通りすがりに寄越される視線――ここは王都の中心から外れたところにある市場の、そのど真ん中である。

 件のカフェからはやや離れている。

 

「……王都を案内って、ここ?」

「そう」


 あっけらかんと言うオルキスの服装が、道理でいつもより地味だと思った。

 身分が身分だけに普段からやや王族らしさすら感じるような服を着ていたから地味に思うだけで、今日は多くの貴族や裕福な平民が着るそれと大して変わらない。

 だからあまり気にしていなかったのだが、こういうことだったとは。

 この程度の服装であれば、こうして市場にやってきてもそこまで浮くことはない。


 貴族だってたまには街や市場を歩いて、買い物をすることだってある。

 通りすがりの市民がこちらを見てくるのは貴族が珍しいのではなく、オルキスの顔がいいからだろう。

 女はもちろん、男ですら思わず二度見したくなる美貌だ。


「君はもしかしたら、こういうところも好きかなと思って」

「好きじゃなかったらどうするつもりだったの?」


 この問いかけにオルキスは答えなかった。

 代わりに、時が巻き戻ってからよく見せるようになった笑顔を向けてきた。


 顔は以前のエルーシアが最期に見たときとほぼ変わりないが、性格は変わったようだ。

 以前のエルーシアはオルキスに対してここまで人間味を感じたことはなかった。

 逆にエルーシアは服も化粧も性格も変わっているはずだ。

 それなのになぜ、こんなに見透かされたような視線を寄越されるのだろうか。


「……好きよ。というか、一度も来たことはないけど、来てみたいなと思っていたの」


 今のオルキスが知りようもないことだが、以前のエルーシアは王都を馬車で移動する際、時々通りかかる市場を馬車の中からよく眺めていたものだ。

 気にはなっていたが、行ってみたいなどと口にしたことはない。


「賑やかですごく美味しそうな匂いがしてて、楽しそう」

「良かった。この後ちゃんとカフェに行くから、食べ物は控えて小物とかを見」

「何言ってるの。今日は食べたいものたくさん食べるわ。まずは……あっ、あの揚げものから行きましょう!」


 王都の市場に来るなんてめったにない機会だ。

 家族や使用人の誰に頼んでも連れてきてはくれないだろうし、一人で来るにはまだ準備が足りていなかったところだ。

 オルキスがこのために服装を変えたということは、おそらく市場に来たのも初めてではないということだ。

 そう踏んで、エルーシアは遠慮なく屋台へ駆け出したのだった。



 カフェに移動するまでの数時間、エルーシアは市場を目一杯楽しんだ。

 砂糖をまぶした揚げパンに、串に刺した果物に飴をまとわせたもの、肉と野菜と店主の特製ソースを挟んだ薄焼きパン、鶏と牛の串焼き、バナナと牛乳のジュース、油で揚げて塩と香草をふりかけた芋、甘く煮た豆入りの蒸しパン。

 それらを全て腹に収め、最近流行っているらしい柄の布も何種類か購入し、そしてカフェでお目当ての紅茶とふわふわのシフォンケーキ、おまけにフルーツタルトを注文して、これもまた綺麗に完食した。

 流石に、コルセットで締め上げた腹部が少々きつい。 


「満足」

「それは何より」


 エルーシアは決して無理をしたわけではなくて、食べようと思えば普段からこのくらいは食べられる。

 令嬢としてはまったくもって褒められた量ではないので、普段はここまで食べることはない。

 大食いの一部始終を見て婚約解消に前向きになってくれたらと思ったのだが、向かいに座るオルキスは涼しい顔をしていた。


「見ていて気持ちのいい食べっぷりだった」

「コルセットがなければもっと食べていたわ。どれも美味しかった」

「楽しんでもらえたみたいで良かったよ」


 なんだか悔しいが、オルキスの言う通り今日は大いに楽しんだ。

 美味しいものを食べたいだけ食べることは滅多にやらないし、賑わう市場をじっくり見て回ることができた上に、簡単に予約の取れないカフェにまで来られたのだ。


 エルーシアがどれだけ好き放題に振る舞ってもオルキスは相変わらずだ。

 時間が巻き戻ってからというもの、何をしようがずっと、オルキスはエルーシアの婚約者であり続けた。

 貴族の中で最も位の高い大公家の跡取りに不敬とも取れる態度を取り、令嬢らしからず馬や魔獣に跨がり、森では木に登り川では魚を釣ってその場で食し、オルキスの何倍も物を食べて平気な顔をしている、そんなエルーシアの。


「でも流石にこれだけ食べたら、明日から運動しないとね……」


 カップに残った紅茶を飲みながら、独り言のつもりだった。

 カフェの喧騒でかき消えるものと思っていたそれを、オルキスはしっかり聞き止めていたようだ。


「じゃあ明日、一緒に運動しに行こう」

「はい!?」

「在学中に見つけたところなんだけど、馬で行けるいい場所を知ってる。道中、乗馬してても楽じゃないからそれなりに運動になると思うよ。見晴らしもいいし、遠乗り気分にどう?」

「で、でも……」

「それと」


 昨日のデビュタントでの礼としてなら、もうとっくに事足りているだろう。

 非常に意地の悪い言い方をするならば、オルキスの希望通り王都を案内させてあげたのだから。


 実際のところ、それを補って有り余るほどエルーシアは多くのものを与えられている。

 今この瞬間も、差し出された紙袋に目を丸くした。


「お土産。ご家族にはカップケーキ、使用人たちにはクッキーの詰め合わせ」

「え、いや、ちょっと」


 カフェの代金は宣言通りだが、先に行った市場での飲食や布代ですら、あっという間にオルキスに支払われていた。

 婚約者や恋人同士であれば、男性側が女性側に金銭を支払わせないのは一般的だ。

 だがエルーシアはオルキスとの婚約を解消したいと思っている。

 道中馬でも楽じゃなくてそれなりに運動になる場所、というのは非常に興味深かったが、金銭にしても好意のようなものにしても、これ以上は受け取ることができない。

 本当に婚約を解消したいと思っているなら、オルキスに対して曖昧な態度を取るべきではない。

 今まで以上に冷たくする必要がある。


「せっかくだけど、お土産は結構よ。ヴァロア家の皆様で召し上がって。それに、遠乗りも遠慮するわ」

「遠慮しなくていいのに」

「今日はもう十分に良くしてもらったから」


 そもそも、どうしてオルキスはここまでエルーシアにこだわっているのだろうか。

 オルキスには自分のことを「田舎娘だからふさわしくない」などと言ったことがあるが、実のところアルハン領はそれなりに栄えているし、並の伯爵や侯爵より財力もある。

 とは言えヴァロア家ほどではないので、エルーシアの持参金目当てで、ということはありえないだろう。

 侍らせておきたい程の美人ではないし、オルキスもそういう趣向のある人間ではない。

 

 唯一考えられるのは、アルハン領で捕獲、調教される魔獣だろうか。

 それらを軍へ卸すのもアルハン家の役目なので、軍と縁の深いヴァロア家がそこに目を付けているのだとしたら、納得できなくもない。

 エルーシアが婚約解消を望んでいる今、オルキスが魔獣のために必死になって引き留めようとしている、ということだ。


「いらない物を押し付けるつもりはないけど……本当に遠慮しないで。今までずっと、したくてもできなかったことを過去の分までやってるだけだ」

「何よ、それ。在学中のことを言ってるの?」


 時が遡って、婚約を解消したいとオルキスに聞かれてしまってからこうなった。

 それまではエルーシアから好意を寄せていたので、オルキスは何もしなくても良かっただけだ。


「今日はもうすぐ日が暮れる……帰ろうか」

「……うん」


 懲りずに差し出される手が、本当にそんな思惑を持っているのだとしても。

 悲しむ権利は、エルーシアにはない。

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