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 オルキスは宣言通り、こまめにエルーシアの元へやってきた。

 あれからもう一年近く経とうとしているのに、二週間に一度の訪問をし続けている。

 年に三回も会えればいい方だった以前と比べると、劇的な数字の変化となる。


 オルキスの住む王都からこのアルハン領まで、馬車で三日か四日の距離がある。

 途中で馬を交換しながら自分で馬を駆ることができるなら二日目の昼には辿り着けるが、いずれにせよ近いと言えるものではない。

 そんなところからやってくるオルキスをとんぼ返りさせるわけにもいかず、大抵はアルハン家にて一泊していく。

 そしてまた時間をかけて帰っていく。

 

 対するエルーシアはというと、そんな風にしてやってくるオルキスに会うのは二回に一回というところだった。

 もちろん来れば顔くらいは見せて挨拶をするが、そうそう頻繁に来られてもこちらの都合がある、と言ってエルーシアは自分のやりたいことを優先させていた。


 これには家族も使用人も焦った。

 相手は王家に連なる大公家の跡取りだ。

 伯爵位のアルハン家から見れば、格上も格上の相手である。

 そんな相手を足蹴にし過ぎであり、振る舞いが自由過ぎた。


 しかも、エルーシアはオルキス相手に敬語を使うこともやめた。


「あらオルキス、また来たの?」


 女性用の乗馬服に身を包み、長い髪をポニーテールにしたエルーシアが、アルハン家に到着したばかりのオルキスの前に出てきた。

 オルキスが来たから出迎えたのではなく、エルーシアが邸宅を出るのとたまたま間が被っただけである。


 あの日からエルーシアは髪を下ろすのをやめて、毎日全て結い上げている。

 普段着も、リボンやレースをふんだんに使ったふわふわのドレスは衣装部屋の奥の方にしまって、もっと簡素で動きやすいものにした。

 最近は馬に乗るのが楽しくて、今日のように乗馬服でいることも多い。

 家の中で詩を書いたり、楽器を弾いたり、刺繍をしたり、そういうことも嫌いではなかったがあまりやらなくなった。

 代わりに馬に乗って走り回り、走り回った先にある川や湖で釣りをしたり、木登りをしたりして過ごしている。


 全て、今まで考えていた「オルキスが好きそうな女の子像」と真逆のものだ。

 かつては「オルキスが好きそうな女の子像」の通りに行動していたが、全部やめて真逆に行動してみたら、思っていた以上に毎日がものすごく楽しい。

 オルキスに会えたら嬉しい、手紙が来たら嬉しい、オルキスのことを想っている時間が幸せ、なんて考えていたあの頃が嘘のようだ。

 エルーシアの人生は、オルキスがいなくたってこんなに楽しいのだ。


「疲れたでしょう、ゆっくり休んで。私は出かけてくるわ」


 言いながら、到着したばかりのオルキスの脇を通り過ぎた。

 全てはオルキスとの婚約解消のため、エルーシアの平和な未来のためだ。

 婚約解消してくれないのならオルキスに嫌われるまで、という考えの元、無礼とも取れる振る舞いを徹底していた。


 ――さぁオルキス、こんな女と婚約を続けるの?


「僕も一緒に行く」

「えっ」


 返ってきた言葉に、エルーシアは思わず立ち止まった。

 今回馬車ではなく、馬に乗って来たらしい。

 オルキスの背後には、本人やその護衛が乗ってきたと思われる馬を、アルハン家の使用人が厩に連れて行こうとしている様子が伺える。


「一緒に行ってはいけない用事だった?」

「いえ。あ、いや、はい」


 ただ一人で馬を駆けたいだけだったので、オルキスが一緒に来ても問題はない。

 素直に頷いてしまった直後、嘘を付いたが既に手遅れだった。


「じゃあ行こうか」

「で、でも、オルキスも馬も疲れてるでしょ?」

「休憩しながら来たんだから、大丈夫だよ」


 そう言うと、オルキスはエルーシアに手を差し出す。

 婚約者として社交の場に出る時、いつもこうしてエスコートされていた。


「……」


 当たり前のように差し出された手は無視して、エルーシアは一人で玄関を出た。

 オルキスがその後ろを黙ってついてくる気配があるが、どんな表情をしているのだろう。



 二人で無言のまま駆けて、アルハン邸の裏をしばらく行ったところにある小川で馬を降りた。

 アルハン家の子どもたちが代々遊び場としてきた開けたところで、エルーシアも子供のころ兄たちに連れられてよく来ていた場所だ。

 オルキスの婚約者となってからはずっと来ていなかったが、時間が巻き戻ってからは足を運ぶことが多い。


「お腹空いてない?」

「お腹?」


 鞍にくくりつけていた荷物を解きながらエルーシアが聞いた。

 あまりにも脈絡のない質問に、オルキスが僅かに首を傾げる。


 エルーシアが取り出したのは、折りたたみ式の小さな釣り竿だ。

 釣り竿を伸ばして、続いて手に取った小さな箱から餌となる虫を摘んで針につける。

 生きた虫を素手で触ったエルーシアを、果たしてオルキスが好ましく思うだろうか。


 魚の住処になりそうな岩場に針を投げて、足元に落ちている石や枝で簡単に竿掛けを作る。

 食いつくのを待つ間に再び荷物を探り、マッチと古紙、小枝や枯れ葉を集めて火を付けた。

 そうこうしているうちに一匹目の魚が釣れて、同様に荷物から取り出した小刀や串や塩などで下処理をする。

 次いで釣れた二匹目の魚も手際よく処理すると、あっという間に焼き魚が出来上がった。


「どうぞ、召し上がって。美味しいわよ」


 終始呆然としていたオルキスに焼き魚を押し付ける。

 エルーシアは一人で適当な岩に腰掛けて、さっそく一口頬張った。

 その隣にオルキスも座り、しばらく魚を眺めた後にかじりついた。


「美味しい」

「でしょ」


 食べ終わった後は木に登った。

 今日はせっかくの機会なので、とにかくエルーシアに幻滅してもらおうと思っていた。

 素手で虫や魚を掴み、木登りまでする令嬢は、未来の大公夫人にはふさわしくないだろう。

 オルキスも何度か枝を掴み損ねながらも、エルーシアを追って同じ枝に登ってきた。


 万が一落ちたとしても大事になるような高さの木ではないが、ここから見える景色はなかなかいい。

 魚を釣った川が見渡せて、特に早朝ここに来ると、登ってくる太陽の光に反射して川全体が輝くのだ。


「木登り、上手いんだね」

「まあね」

「あまり無茶して、怪我しないようにね」


 それはまるで、これからも登ってもいいと言っているようで。

 思わず横に座るオルキスを振り返った。


「ねぇどうして」


 婚約解消に頷いてくれないの。

 そう言いかけて、しかし言葉は最後まで出てこなかった。


「その目、どうしたの?」


 エルーシアの知る限り、オルキスの瞳は両目とも深い青色だ。

 時が遡ってからオルキスと会う機会が増えたが、顔はろくに見ようとしていなかった。

 だから、全く気が付かなかった。


 エルーシアから見て左、オルキスの右目の色が――変わっている。


「バレた?」

「バレたって、貴方ね……」


 遠くから見ただけでは、前髪もかかるので一見して分からないかもしれない。

 しかし、近くで見れば左右の色の違いは分かる。

 右目の色が、左目に比べて明らかに薄くなっていた。


「怪我、したの?」

「大丈夫だよ」

「真面目に答えて。ちゃんと見えてるの?」

「……いや、あんまり」


 追求を逃れるように顔を逸らしたオルキスを許さず、手首を掴んでこちらに引き寄せた。


「あんまり?」

「ごめん。全く見えてない」


 オルキスは観念したようにこちらを向いて、右目の視力が全く無いことを告げた。

 左目はなんともないので日常生活に問題はないが、距離感が掴みにくいことはあるという。

 だからこの木に登る時、枝を掴み損ねていたのだ。


「怪我ではないよ。痛みもないし、心配いらない」

「心配なんて……」

「心配してくれたんじゃないんだ?」


 なぜか嬉しそうに微笑むオルキスに、今度はエルーシアが顔を背ける番だった。

 同じように手首を引かれるが、頑として振り向かない。

 横に座った相手に手首を引かれたって、顔の向きは変わらないのだ。


「視力なんてなくても大したことないよ。君がいてくれたら」


 掴んだままのエルーシアの手首を持ち上げて、手の甲に口づけする。

 とんでもないことを言ってとんでもないことをしたオルキスを置き去りにして、エルーシアは地面へ飛び降りたのだった。

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