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 それから数日寝込んだエルーシアは、すっかり良くなった身体を伸ばしてあくびをした。

 顔を洗ってから普段着に着替えて、髪を整えるために鏡台の前に座る。

 モニカがエルーシアの髪を梳りながら、「今日はどんな風に結いましょうか?」と聞いた。


「今日は髪の毛、全部上げてほしいわ」

「全部? 結い上げるのですか?」

「そう。今日は下ろしたくない気分なの」

「珍しいこともあるのですねぇ」


 独り言のように呟きながらも、モニカは手際よく三つ編みを作ってリボンを結び、シニヨンヘアに仕上げた。


「似合っておいでですよ」

「ありがとう」


 合わせ鏡で仕上がりを確認する。

 いつも隠れている首が見えた瞬間、少し肌寒いような気がした。

 病み上がりなのだから、やっぱりいつものようにハーフアップにして首元を温めておけばよかったとも一瞬考えたが、髪型も非常にささやかながらエルーシアの決意の一つだ。


 エルーシアと言えば、髪型は必ず下ろしているかハーフアップだった。

 首が見えるように、全て結い上げてしまうことはない。

 理由は簡単で、オルキスがこういう髪型の女の子のほうが好きだと、エルーシアが考えていたから。

 オルキス自身口数が少なくて静かな性格だったので、エルーシアもそれに合わせてなるべく大人しく見えるように振る舞っており、服装や髪型もその一環だった。

 

 その結果が三年後の斬首刑なので、全ては無駄な努力だった。

 ならば今度は全て逆にしてみるのも悪くないと、一人で大泣きしたあの夜に考えたのだ。



「お父様。少しお話ししたいことがあるのですが、お時間いただけますか?」


 朝食の後、朝の珈琲を飲んでいる父に声をかけた。

 母は趣味のガーデニングのために早々に外に出たようだし、二人の兄もそれぞれ部屋に戻ったので、ダイニングには父とエルーシアの二人しかいない。

 父はいつも新聞を読みながら珈琲を飲んでいることが多いので、エルーシアはその時間を狙って声をかけた。

 ちなみに、エルーシアだけでなく家族や使用人も、父に用事のある時はこの時間を利用することが多い。


「どうした?」

「実は、折り入ってお願いがあって……」


 自分から声をかけておきながら、読んでいた新聞を置いた父に改まって聞かれると言い辛い。

 しかし言わなければ何も始まらない。

 三年後の死を回避するため、エルーシアは意を決して口を開いた。


「オ、オ、オルキス様との、婚約を、解消したいんです!」


 ぽかんとした父の顔に、静まり返る室内。

 エルーシアは自分の心臓の音を感じながら、父の次の言葉を待った。


 オルキスがエルーシアのことを信じてくれなかった。

 そのオルキスの態度は、エルーシアを失意のどん底に落とした。

 この時代のオルキスの何が悪いと言うこともないが、できることなら今後一生関わらずに過ごしていきたい。

 そのためにはまず、婚約を解消しなければならない。


 大公公子であるオルキスであれば、エルーシアがいなくなったとしても婚約相手に困ることはあり得ないだろう。

 そもそも大公家と辺境伯家では家格も不釣り合いで、なぜ婚約できたのかが分からない。

 きっと政治的な思惑があったのだろう。

 エルーシアとしても以前であればそれは本当に嬉しいことだったのだけれど、今となっては一刻も早く解消してしまいたい関係だった。


「勝手なことを言って本当にごめんなさい。迷惑をかけているとも思うんだけど……でも……お父様?」


 父は何も言わず、エルーシアを見ているだけだった。

 その様子に違和感を覚える。

 エルーシアを見ていると思っていたが、その視線は更に向こう側に向けられてはいないだろうか。

 エルーシアの背後には、この部屋唯一の扉がある。


「……そういうことは、せっかくだから当人同士で決めたらどうだ」


 言いにくそうに咳払いをしてから視線をそらした父を尻目に、エルーシアは背後を振り向いた。

 そこに立っている人物を見て、三年前の過去に遡った以上の衝撃を受けた気がした。

 こちらを見ている深い青の瞳、濃紺の髪、最期に見た記憶より幼く見えるが、整った綺麗な顔立ち。


「オルキス様……?」


 間違いない。

 オルキス・ヴァロア。

 エルーシアの婚約者。

 間違いなく、オルキスその人だ。


「え? 何でここに? だってわたし、お断りした……」


 間違いなくオルキスではあるが、ここにはいないはずの人間だ。

 ここから馬車で三日も四日もかかるような首都に住んでいて、エルーシアへの見舞いの件も断ったはずだ。

 父以上に驚いたような顔をしているオルキスから視線を外して、父に向き直った。


「お断りしたはずでは!?」

「お前が回復するまで待つと仰ってな」

「な、なぜ……」

「なぜって、いつも会えるのを喜んでいたじゃないか」


 大公家の跡取りに「ここにいる」と言われれば、伯爵位である父も断り辛いだろう。

 そうでなくとも、父は本当にエルーシアが喜ぶと思って滞在を許可したに違いない。


「……エルーシア」


 扉の前に立っていただけのオルキスが、ゆっくりとこちらに歩いてきた。

 オルキスに直接手を下された訳でもないのに、死ぬ直前の記憶が頭に流れ込んでくる。


「エルーシア、会いたかった……」

「……」

 

 わたしは会いたくなかった、などとは言えず、エルーシアは黙っているしかなかった。

 会いたかったなんて、以前は言われた記憶もないのになぜ今になって。


「体調は?」

「もう、いいです」

「良かった……本当に、良かった」


 風邪くらいで大げさだ。

 以前はエルーシアが風邪を引いた時、見舞う手紙や花はもらっても、こうして来たことはなかった。

 そもそも住んでいる場所が遠すぎるから、仕方のないことではあったが。


 近くもなければ遠くもない距離を開けたまま、オルキスは言った。


「断られたのに、黙って来てごめん。エルーシアにどうしても会いたかった」

「なぜですか?」


 エルーシアの問には、僅かに笑ったような曖昧な顔だけで答えた。

 ちなみにオルキスは基本的に無表情でいることが多いので、こんな微笑程度の笑顔でもエルーシアにとっては珍しい。

 以前のエルーシアであれば、オルキスの笑顔を見られたことに大喜びしていただろう。


「それで、さっきのことなんだけど」

「撤回するつもりはございませんわ」

「……僕のことが、嫌い?」


 心臓を針で刺されたような、そんな胸の痛みを手で抑え込んだ。

 すぐに嫌いになれたなら、どれだけ良かったか。 


「き、嫌いとか……そういうことでは」

「ならどうして?」

「わたしのような田舎娘、大公家にふさわしくないです」

「そんなことない。お願いだから、婚約は解消しないで」


 お願いも何も、決定権はエルーシアどころか、アルハン家にもない。

 家格はもとより、今現在オルキスに瑕疵や非があって婚約解消を申し出る訳ではないからだ。

 はたから見れば急にエルーシアが婚約を解消すると、ただわがままを言っているだけに過ぎない。


「気に入らないことがあれば言って、直すから。今までよりもっと君に会いに来るよ。寂しい思いもさせないから、だから……お願いだ、エルーシア」


 なぜ、こんなに必死なのだろう。

 このままでは話は進まない。

 そう判断したエルーシアは――逃げることにした。


「……もう、部屋に戻ります。王都までお気をつけて」


 オルキスがいつからここに滞在していたのかは知らないが、そう長いこと王都を離れることもできないはずだ。

 客人を置いて自分だけ部屋を後にするなどあり得ないことだが、それでエルーシアを嫌ってくれればいいという期待も込めて、扉に向かって足を進めた。

 そんなエルーシアの背中に、オルキスの声がかかる。


「エルーシア、また会いに来るから」


 死ぬ前も、時間が巻き戻ってからも、散々泣いていたというのに。

 目尻に滲んだ涙が見られないよう後ろ手に扉を閉めて、オルキスの元を後にした。

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