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 ルズベリー子爵家で行われている夜会に、大公家の継嗣が来ている。

 家格を考えればまたとないこの機会、ディアナは気合を入れて臨んでいた。


 既に婚約者がいようと、それが自分の従姉妹だろうと関係ない。

 幼い頃からの婚約者が長じて各々の意思で別の相手と恋をして、元の相手との婚約関係を解消するのは珍しいことではない。


 エルーシアとオルキスも、婚約関係となったのはほんの子供の頃のことだったと聞いている。

 その頃からお互いに恋愛感情があったのか、そこまではディアナには分からないが、親同士の決めた婚約でその可能性は低いと考えていいだろう。

 この二人の間には、つけ入る隙があると思っていた。


(だけど……)


 口元を隠す扇の下で、ディアナは口元を歪めた。

 もちろん、目は笑ったままだが。


(全然こちらを見ないじゃない)


 もちろん、全く見ないわけではない。

 話している相手を全く見ないというのは失礼になるので、最低限の視線は寄越している。

 しかしそれはディアナの期待を裏切るものだった。


(エルーシアばかり見て……)


 エルーシアでいいなら、ディアナでもいいはずだ。

 財力のある辺境伯家とその分家である子爵家では当然違うだろうが、従姉妹なのでそこまで血が離れているわけでもない。


 それに、いざとなればどこかの養子になって身分を手に入れればいいのだ。

 ルズベリー家に未練はないし、大公家との繋がりを得られるならば、ディアナを養子にしたがる貴族は多くいるだろう。


(エルーシアよりも私の方が、大公家の夫人にふさわしいわ)


 社交的で、賢くて、美しく、その美貌に媚びない努力もしてきたのだから。

 オルキスさえこちらを見てくれたら、エルーシアさえいなければ――しかし。


「ディアナさん、乗馬がお好きなんですね。私もなんです。王都から気軽に行けるおすすめのコースを教えてもらえませんか?」

「喜んでお教えしますわ。とっても綺麗な湖があるのよ。それにしても、エルーシアさんが乗馬好きなんて意外だわ」

「自分でも驚いてるの。小さい頃は全くそんな感じじゃなかったでしょう?」


 ディアナはなんとなく、鼻を摘まれたような気分になっていた。

 デビュタントで再会した時から感じていたが、今のエルーシアは幼い頃に会った時の印象とかけ離れている。

 子供時代に会った時は乗馬になんて露程も興味がなくて、内気で何を考えているかも分からず、ディアナやモーリアンとの会話が弾んだこともなかった。

 本家の娘なので蔑ろにするわけにもいかなかったが、ディアナは当時、エルーシアのことが嫌いだった。


「そんな感じも何も。最後に会った時なんか、俺達が乗ってきた馬車の馬を見て泣いてたじゃないか。覚えてるか?」

「覚えてるわ。今では馬も魔獣もかわいいんだけど、もっと早くそれに気づいていたらと思うと……」

「だからあの時言ったじゃないか。馬は怖くない、可愛いだろ、って」

「モーリアン兄さんの言う通りだって気付くまでに数年かかりました。あの頃は本当に本当に怖かったのよ」

「人間に比べて体が大きいから、仕方ないですわ。あぁ、またアルハン領に行きたい。王都とは違って空気が澄んでいて、馬で走ったら気持ちいいでしょうね」

「いつでも遊びに来てください。私たち、従兄妹ですもの。歓迎するわ」


 ディアナとモーリアンと会話が続いて、しかもにっこり笑いかける。

 いつも心ここにあらずか、おどおど困ったような様子のことが多くて、この従姉妹の笑顔というものをあまり見たことがない。

 エルーシアの興味と言えば婚約者であるオルキスのことだけで、オルキスの名前が出た時だけ花が咲いたように感情豊かになるのだ。


 その様子を見る度に、ディアナの胸の中に子供ながら黒いものが広がった。

 本家の娘はずるい、立場が逆だったら、と。


(でも何だか変ね)


 今のエルーシアは、オルキスに興味がないように見える。

 オルキスはというとあからさまにエルーシアばかり見ているのに、エルーシアはそれに気付いているのかいないのか、オルキスを見ようとはしていない。


「ちょっと暑くなってきてしまったから、バルコニーで涼んでくるわ」


 しかも、オルキスがたまたま夜会に来ていた学友と少し離れたところで話し込んでいる、このタイミングであっという間に姿を消してしまった

 あれだけ婚約者にしか興味がなくて世間知らずだった本家の娘も、四年も経てば変わるのだろうか。



「はぁ……」


 偶然にもオルキスが学友に声をかけられた、その好機を逃さずにエルーシアはバルコニーへやってきた。

 ルズベリー兄妹とは過不足なく話すことができただろうか。

 時間が許せば帰るまでにもう一度くらいは話しておきたいが、とにかく今は少し休みたかった。

 なにせ、オルキスがようやくエルーシアから離れたのだ。

 ここで会えるとは思っていなかった、とオルキスに声をかけてくれた学友様々である。


 あの時、本当は誰が大公の背を押し、エルーシアに罪を被せたのか、ルズベリー兄妹が怪しいというだけで真犯人は分かっていない。

 エルーシアの立ち回り次第ではこの先もずっと分からないままかもしれないが、それではまたいつか別の機会に同じようなことが起きるかもしれない。


 今度は絶対に死なないし、大公も死なせない。

 そうは思っていても、結局エルーシアに何ができているのだろうか。


 確かにエルーシアは変わった。

 それに影響されてか周りの人間も変わったし、何よりオルキスだって変わった。

 しかしこの婚約が未だ有効のままであるように、死ぬ運命を回避できなかったとしたら。


「止め、止め。もっと楽しいことを考えなきゃ」


 そう、この先の明るい未来のことを。

 死なずに済むとしたら、例えばきちんと相思相愛になれる恋愛をしてみるのもいいかもしれない。

 貴族子女として、どうせいつかは誰かと結婚しなければならないのだ。

 しかしエルーシアは、正直なところ恋愛にも結婚にも興味を失っていた。

 人を好きになってもろくなことにならないと、身をもって体験してしまったからだ。


 そうとなると、結婚しなくても良い方法を考えなければならない。

 アルハン家の爵位は兄が継ぐので、家を出ても生活していける道が必要だ。

 どこかの貴族に雇われて、侍女にでもなれないだろうか。

 将来生まれる令嬢付きの侍女になれたら、一生をその令嬢に捧げて、嫁入りが他国だろうがどこだろうが、大公家か王家以外なら付いて行ける。

 落ち着いたらすぐに、就職についての対策を始めなければならないだろう。


「――おや?」


 なんとなく明るい未来が想像できて、気分も上向きになっていたところ、エルーシア一人だったバルコニーに客がやってきた。

 くすんだ金髪に人好きするような笑顔を湛えた、年の頃はモーリアンと同じかそれ以上の男性だった。


「これは失礼しました。先客がいらっしゃったとは知らずに」

「いいえ、どうかお気になさらず。私はそろそろ戻ろうかと思っていたところですから」

「そうでしたか。夜会を楽しんで」

「ありがとうございます。あなたも」


 そんなに広くはないバルコニーだ。

 入れ違いに室内へ戻ろうとしたすれ違いざま、その男性に呼び止められた。

 

「お待ち下さい、ご令嬢」

「何か?」

「髪に花びらが付いてますよ。失礼でなければ、お取りしても?」


 庭に面したバルコニーからは、白い花を咲かせる木がよく見える。

 夜風に乗ってちらほら舞っている花びらの一つが、エルーシアの髪に付いていたらしい。

 自分ではどこに付いているか分からず、花びらが付いていると分かったまま室内に戻るのも少し気が引けた。


「お願いできますか?」

「喜んで。それでは……」


 背の高いその人が少し腰を屈めて、エルーシアの頭に手を伸ばす。

 その手が髪に触れるか触れないかという時、静かに別の声がかかった。


「――何をしている?」


 振り向けば、今も前も見たことのない、明らかに怒気を孕んだ顔をしたオルキスが立っていた。

本日もう1話投稿予定です!

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