第2話 いきなりの告白 ― 風璃サイド
わたしは今日、奏くんに告白をする。
遠くの大学へ入学した奏くんを追いかけるため、彼の大学に程近い高校に第一志望を変更した。
当時のわたしの偏差値では少し厳しい進学校だった。でもわたしは死に物狂いで勉強し、無事に合格した。自分で言うのも恥ずかしいけど、愛のなせる業だと思う。
同居することにも成功し、ついに計画は最終段階。
そう。今日、家族の一線を越える。
そろそろ奏くんが帰ってくる時間だ。
わたしは洗面台の鏡に自分を映し、入念に最終チェックをした。
下手にメイクなどしたら警戒心を抱かせてしまうかもしれない。しかしすっぴんでは心許ないので色つきリップクリームを塗る。前髪もベストポジションでしっかり固めた。
顔を右に振り、左に振り、様々な角度からチェック。いー、と歯をむき出しにして、食べかすなどがついていないことも確認する。
――よし、そろそろ……。
リビングにもどり、ソファに座る。何食わぬ顔で奏くんを迎えるため、わたしはスマホをいじるふりをした。アプリを開いたり閉じたりするだけ。ニュースを落ち着いて閲覧するような余裕はない。頭のなかはこのあとの告白のことだけで占められている。
玄関のほうからかちゃっと音がした。
ばくん、と心臓が跳ねる。リビングへ足音が近づいてくるにつれ、わたしの鼓動は激しくなる。
ドアが開いて、奏くんがおずおずと入ってきた。
「た、ただいま」
わたしはいま気づいたみたいな顔で彼のほうを見た。
「おかえり、奏くん」
奏くんが帰ってきた。その事実だけで胸が幸福感で満たされる。
だって一年間、奏くんのいない実家でひたすら勉強に取り組む日々を過ごしていたのだ。毎日、決まった時刻に彼の顔を拝めるだけで御の字である。
――はあ……、幸せ……。
「今日の夕食はカレーだから。レトルトだけど……」
奏くんがそわそわとした様子で言った。
枯渇した『奏くん分』を補充するために凝視しすぎていたようだ。わたしは顔をそむける。
「そう」
「いま夕飯を用意するから」
さて、告白のタイミングはいつにしよう。こういう日常的な瞬間に告白するのもサプライズが効いていてよいかもしれない。
――よし。
気持ちを落ち着けるために大きく深呼吸をする。
「ぅぁ……!」
いままさに声をかけようとした瞬間、奏くんが変なうめき声をあげた。蓋の開いた炊飯器を見おろし、呆然としている。
そばに行って見てみると、米が炊けていないだけだった。よくあるミスだ。
なのに彼は、
「すまんすまんすまんすまん!」
と、わたしに怪我でも負わせたかのように必死で許しを乞う。
「べつに」
大したことじゃない。
「レトルトのご飯、買ってくるから!」
「パンでいい」
「パンは今朝ので最後……」
「パスタ、あったよね」
鍋に水を入れて火にかける。戸棚のパスタを探していると、ボン! と音がしてびくりと振りかえる。
レンジを開けた奏くんがへなへなとしゃがみこんだ。温める時間が長すぎて具材が爆発したのだろう。
彼は怯えたような顔でわたしのほうを見た。
――なにその悪戯が見つかった犬みたいな情けない顔……! ちょっともうほんと、キュン死しちゃうからやめて……!
かわいさのあまり身体がぷるぷる震えそうになるのをわたしは必死で堪えた。
カレーパスタはまあまあおいしかった。でもやっぱり、ベストマッチはライスだけど。
「風璃。そろそろお風呂にお湯が溜まったはずだから、ちょっと見てきてくれるか?」
食器を洗っていた奏くんが言った。「うん」と返事をして、風呂場へ向かう。
――なかなかタイミングがない……。
いや、あったといえばあったけど、わたしが奏くんの観察だけで満足してしまって機会を逸してしまった。
――夜、寝る前くらいがベストかな。
あとは寝るだけのタイミングのほうが落ち着いて話もできるだろう。
風呂場のドアを開ける。
浴槽は空だった。蛇口から流れだした水は、そのまま排水溝へと吸いこまれていた。どうやら栓がちゃんと閉まっていなかったらしい。
「まったくもう……」
腕をまくり、しっかりと栓を閉める。浴槽に水が溜まりはじめたのを見届けてから、リビングへともどった。
「お湯、溜まってなかったけど」
「え!?」
「栓が少しずれてた」
ばたばたと風呂場に行こうとした奏くんを手で制した。
「もう直したから」
「ほんとごめん……」
しゅんと肩を落とす。
――はあ、もう……! ふだんは狼みたいな顔をしてるのに、どうしてそんなチワワみたいになっちゃうの! 撫でたくなっちゃうでしょうが……!
思わずにやにやしそうになる。
しかし今日は告白をする日。ここでゆるゆるの表情を見せて雰囲気まで弛緩してしまっては台なしだ。わたしは表情筋に力をこめた。
「こ、これから気をつける。うっかり忘れないようにやるべきことをリストにして、毎朝指さし確認を――」
必死で言い訳をする奏くん。
「べつにそこまでしなくても」
「でも、呆れただろ、俺のこと……」
「全然」
むしろミスでしょげる奏くんをたくさん堪能できて大変にありがたかった。
奏くんが顔をあげた。
向かいあって見つめあう。
告白にはもってこいの距離感。
――いま、かな。
そうと決めたとたん心臓が激しく踊りだす。
わたしは動揺を悟られないよう顔をそむけた。
「奏くんのうちに押しかけてきたのはわたしだし。失敗は誰にでもあるし」
「風璃……」
「わたしのために頑張ってくれる奏くんが、昔から――」
しっかりと奏くんを見つめる。
「昔から――」
震えそうになるのどに力をこめて、なんとか言葉を搾りだす。
「好き」
言った。ついに言った。
「……え?」
「好きなの」
二年前のあのときに芽生えて、いままでずっと育んできた彼への想いを、わたしはついに言葉にできたのだ。
「風璃が、俺のことを……?」
信じられない、といった顔をする。
それはそうだろう。仮にもわたしは義妹だ。でももう、兄と妹の関係では嫌なのだ。
「う、嘘だろ……」
「嘘じゃない。迷惑かもしれない。でも、わたしは――」
「や――」
奏くんは両方の拳を突きあげて絶叫した。
「やっ……たあああああああ!!」
「……え?」
――……『やったー』?
「マジで!? マジで俺のこと好きなの!?」
「え? あ、うん。そうだけど……」
「よっしゃー!!!!」
奏くんは喜びを爆発させる。
わたしの告白を喜んでくれている。
よかった。奏くんが嬉しそうだとわたしも嬉しい。でもこのリアクションは思ってたのとだいぶん違う。
「いやあ、俺さあ。てっきり風璃に嫌われてるのかと思ってた……」
「え、ええ!? まさか、嫌ってなんかない」
「そうなの? でもなんかほら、よく俺のことにらんでたから」
「にらんでない」
「さっきもほら、カレーを爆発させたときとか」
「あれは……違う。そういうんじゃなくて、か――」
『かわいかったから見てただけ』
なんて言えるわけもない。
「ただ見てただけ。わたし、目が吊りあがってるから」
「じゃあ俺と一緒だ」
嬉しそうに言う。
「やっぱり兄妹だな。一緒にいると似てくるっていうか」
「……」
――……なるほど。
納得した。奏くんはわたしの告白を受けいれたわけではない。
『妹が自分を嫌っているというのは勘違いだったと喜んでいる』のだ。
――この……、天然の唐変木の朴念仁……!
奏くんはわたしを愛してはいる。でもわたしが欲しいのはそっちの愛情ではない。
しかし大喜びしている彼に、いまのは恋の告白なのだと水を差すなんて、かわいそうすぎてできるはずもなく。
わたしは奥歯をぎりっと噛みしめ、奏くんをにらみつけた。
奏くんはへらっと笑った。
「それもにらんでるわけではないんだよな?」
「これはにらんでるの!」
「ええ……?」
「もう!」
恥ずかしいやら悔しいやら腹立たしいやらでいたたまれなくなり、隣の部屋へ逃げこもうとしたところ、奏くんに呼びとめられた。
「あ、そうだ、風璃。ついでだからさ、『奏くん』ってやめて『兄さん』って呼んでくれない?」
「は?」
「いや、『兄ちゃん』でも『お兄』でもいいけどさ。いや、むしろお兄がいいな。よし、お兄で」
なんてでれでれした顔で言う。
――この期に及んで……!
むかむかが臨界点に達した。
「絶対に嫌! 奏くんは奏くん!」
「な、なんで」
『兄さん』なんて呼んだら、彼が本当に『兄さん』になってしまう。だからわたしは絶対に『奏くん』と呼びつづける。
そう、これは――。
「わたしのポリシー!」
引き戸を閉めて、しゃがみこんだ。
「はあ……」
告白はうまくいかなかった。でもべつに振られたわけではない。
――そう、眼中になかっただけ。
「はああああ……」
自分で考えておいて自分でヘコむ。しかしそのおかげで方針が決まった。
告白は拙速だった。まず奏くんに、わたしを妹ではなく恋愛対象として認識させなければ話が始まらない。
「よし」
わたしは机に向かい、奏くんを落とすための具体策を練りはじめた。
ネットで調べてみると、出会ってから交際に至るまでの期間は概ね三ヶ月前後を上限として、それ以降は極端に減っている。心理学的、あるいは生物学的な理由があるのかもしれない。
今日は四月十日。三ヶ月後は七月十日。その約一週間後からは夏休みに入る。そうなればふたりで実家に帰ることになり、恋愛関係に移行するためのチャンスはしばらくなくなってしまう。
――リミットは終業式。
終業式の日までに、奏くんと家族の一線を越える。『義妹』ではなく『恋人』になるのだ。
――まずは奏くんの気持ちを探らないと。
わたしはスマホのメモアプリを立ちあげて、計画を練りはじめた。