一週間
「くうわぁ〜」
ハクタの口から気持ちよさそうな声が出る。思わず、抑えられなかったという感じだ。
今、ハクタは風呂に肩までどっぷりと使っていた。ガブリルがハクタの注文に応じて創ってくれたのだ。
足を大きく広げても余裕のある大浴場だ。
天界には夜も昼も、太陽も月もないらしい。来た時と一部として変わらない美しい景色が、世界一杯に広がっていた。
ーーこんなに豪勢な露天風呂も、そうそう入れんもんじゃないぜ
「くうはぁ〜」
再び、ため息が出る。
訓練が終わったのは、ハクタが身体を上下左右四つに分断された時だった。
実際に訓練中に肉体が死んだのは初めてだったので、かなり動揺したが、直ぐにガブリルが再生してくれた。
今のハクタの身体には筋肉痛や疲労感こそあるものの、傷やその跡などは全くない。
筋肉痛が新たな力を生み出し、疲労感は自分の努力値だと思えば、多少あった方が頑張ったと実感を持てる。
「くうはぁ〜」
何度目か分からない感嘆の息をつき、時は緩やかに流れていく。
訓練二日目。
ガブリルによる実戦形式は前日よりも苛烈差を増していた。
「はぁぁぁぁぁーーー!!!」
気合いの一撃は、いとも簡単に槍に受け止められる。そのまま強引に上半身で押し込もうとするハクタ。だが、
「常に全身を使えと言ったはずだ」
神の蹴りが腹に入る。重い一発だ。
思わず膝を折りそうになるが、堪えて距離を直ぐにとる。
三日目。
「上半身と下半身が動きがバラバラだから威力が出ない」
ガブリルが教えてくれる。
「腰の回転を利用してもっと威力のある一撃を繰り出せ」
「おう」
ハクタは言われたことをまるで乾いたスポンジが水を吸い込むように吸収する。
その成長の速さは、尋常ではない。
ーー死が、ここまで人間を変えるのか
ガブリルはチラリと思い、ハクタを鍛える。
四日目。
「はぁぁぁぁ!!!」
ハクタの鋭い踏み込みからの連撃がガブリルを襲う。その速さは、文字通り目にも止まらない。
だが、
「一昨日言ったはずだ。全身を使えと。」
ガブリルがハクタの動きを読んで顔面に肘打ちを狙う。
ガブリルは確実に決まったと思った。だが、
「覚えているさ」
ハクタはそれを魔法で防御。足を相手の股の下に入れ、膝の裏をすくうようにする。
ガブリルは直ぐに足を逆に絡め取り、倒そうとするが。
ーーこいつ、いつの間にそこまで身体が強くなった?
ハクタの体幹は全くぶれることがない。
「ーーはぁ!」
超至近距離から、ハクタが魔法で攻撃。同時に放たれた十二発の弾丸が神の肢体を穿たんとする。
ガブリルは、ギリギリで回避する。しかし、そこで見せた隙を、ハクタは見逃さなかった。
予備動作の省略した、より速さを求めた剣の一撃を、足に突貫させる。
一番反応の遅れる部分へのハクタの最速の一撃を、神は避けられない。
ドガッと鈍い音が鳴り、ガブリルの右太股にアダ グロサが突き立った。
世界の全てが一瞬止まったかのような静寂が二人を包む。
やがて、
「ーー今のは、速かった」
ガブリルが、アダ グロサの柄を握ったまま膠着状態のハクタの、その右手を包むようにして剣を太股からゆっくりと引き抜く。
神の顔には、やられた屈辱感も、痛みに悶える歪んだ感情も見られない。それだけ見れば、攻撃が決まったことなど信じられない。
だが、ハクタの手にある純黒の剣の身に、赤い一筋の滝が流れているのが、成功を伝えていた。
この日、少年は、手加減をしていたとは言え、神に一撃を入れた。
五日目。
「相手に防ぎきれない攻撃を。何があろうとも崩せない防御を。予測できない動きを。常に相手を圧倒しろ」
ガブリルの訓練は、さらに苛烈になっていた。
前日に一矢報いたのが嘘のように、相も変わらずフルボッコのハクタ。
だが、その目には消えることなき勝利への渇望が燃え盛り、魔法、剣技、体術、自分の出せる全力でぶつかって行く。
「今日はここまでだ」
ガブリルがそう言った時は、ハクタの体感時間はまだ二時間程度だった。
「まだ早いんじゃねぇか?俺はもっとできるんだが」
「貴様の集中力が上がっているからそう思うだけで、実際は今日は十二時間訓練している。」
「マジか」
そう言えば、日が経つ事に、訓練時間が短くなっている気がしていた。
「今は感じずとも、肉体に確かに疲労は蓄積されている。休養も大切な訓練の一つだ。」
そう言ってガブリルは掻き消え、一人残ったハクタは用意していた着替えを抱えて癒しのお風呂へと向かっていく。
六日目。
「今日も一日頑張ったぜぇい」
とろけそうな声を出して、ハクタが浴槽に浸かる。今日の訓練は、一時間程度にしか感じなかった。
「これも、明日で終わりかぁ」
どこまでも続く絶景を見ながら、ハクタは独りごちる。
毎日毎日、死んで全くおかしくないーーというか死んでなきゃおかしいーーような傷を負って修行してきた。
実際に死んでしまったことも7、8回あったが。
「明後日、街に戻る……」
あの化け物に、
ーー俺は、勝てるのか?
顔を覗かせた弱気を、ハクタは振り払う。
ーーやるしかねぇんだよ
強く握った拳は、この一週間で戦士のそれになっていた。
ーーとりあえず、明日の訓練でもう一発神様に噛ますことを目標に、頑張ろう。
七日目の訓練のみを残して、ハクタは少し感傷的になっていた。
そして、七日目。
いつも通りに用意された朝食を一人で食べ、十分ほど歩いて修行場へ行く。ある程度神殿から離れていないと神殿が壊れるかもしれないからだ。
到着すると、ガブリルがそこにはいる。ハクタが一つ礼をして、アダ グロサを顕現させ、修行が始まる。
「もっと早く弾道を見切れ」
ガブリルの声が、地の爆ぜる轟音の中に凛と響く。
相対するハクタのガブリルの距離は十メートルほど。そこからガブリルが、魔法でハクタを攻撃しているのだ。
角度四十五度位から、流星の如き光線が幾数も襲いかかる。瀑布の量を持ってハクタを滅ぼさんとするそれは、視界一杯を白一色にした。
ハクタも負けじと、そのトレードマークの黒い魔力で防御。圧倒的物量に、極々小さな隙を見つけては、正確な魔法弾で迎撃する。
それは、縫い針の小さな穴を撃ち抜くような精密さを持ってガブリルに急進する。
「甘い」
ガブリルは、ハクタの攻撃をいとも簡単に防ぎ、攻撃は途切れることなく続く。
三十分後には、二人の闘いは肉弾戦に変わる。
やはり押されるのはハクタ。だが、初日にまざまざと見せつけられた力の差は感じない。
ハクタはガブリルの懐に入り、超接近戦を挑む。
ガブリルはスピードのある相手である。あの巨体で加速の付いた状態で安易に距離を取れば逆に戦況は悪化することを学んでいたからだ。
肩と肩とが触れ合う至近距離で、視認不可の攻防が繰り広げられる。
ハクタは、剣を振るう腕を緩めることなく、魔法弾による追撃をする。威力、正確さ、量の全てが格段に成長したそれは、神をもってして対応に苦戦する。
ーー本当に、貴様は強くなったな
ガブリルが心の中でのみハクタを讃え。
魔法弾を全てさらに強力な魔法で押しつぶし、そのままハクタを吹き飛ばす。
「よく頑張ったな」
ガブリルがハクタを見る。
十分前、左腕の肘より先を魔法で消し飛ばされ、五分前に左足を切り裂かれた。その後も魔法で必死の足掻きを見せたハクタだったが、あっさりと肉体を塵にされ、ガブリルの魔法により、復活したところだ。
「これから、最後の訓練に入る」
「なんでも来いや」
ハクタが強気に言い放つ。先程のことに関してもそうだが、この一週間の間尋常ではない傷を負い続け、まともな神経なら壊れてしまうほどの痛みを覚えた人間とは思えない態度だ。
そんなハクタをじっと見つめるガブリル。
「……で、なんだよ最終訓練とやらは?」
焦れたように、ハクタが問いかけた。
なおもハクタを見るガブリル。その視線は、ハクタの奥底のまたその奥底まで見透かそうとしているかのようだ。
「おーーい?」
ハクタの間延びした声と、目の前で振られた手で、ガブリルがようやく口を開いた。
「最終訓練の内容は、我々三神との同時戦闘だ」
「……はっ?」
「最終くん……」
「いや、それは聞こえたけどさ」
ーー神三人と、同時の戦闘?
ハクタの顔が苦しげに歪む。
まぁそれも当然のこと。
一対一でもまだ勝ちらしい勝ちを手にしたことがないのだ。
それをいきなり三対一。
ーーどうやったら、勝てる?
直ぐに思考を勝利へと切り替えるハクタ。そこには、一片の諦観もない。自分が絶対に勝つ、という覇気が漲っていた。
それを見て、ガブリルは思う。
やはり、この少年は強いと。
(この一週間、死が救済になるほどの痛みを叩き込まれて、それでも闘いに行くその精神。壊れては治し、壊れては治しを繰り返し手に入れた約半分が神のものと等しい強靭な肉体。)
ーーあとは、技術を見せてもらおう
ガブリルは、自分が鍛え上げた少年の真価を、期待していた。
次回更新は、明日の夜十九時です
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