天界
ーーふっと目が覚める。
まだ頭にはもやがかかり、状況が掴めない。
ーーー俺は誰で、ここはどこで、なんでここに居る?
生前の癖だったのだろうか。無意識に右手で頭を搔こうとする。が、そこで気づく。
動く右手も、触れる頭も、ないことに。
「…」
あまりにも不自然な状況に、息を一つ吐き出して落ち着こうとする。だが、やはり吐く息を溜める肉体は、ない。
なんで、なんで
ーーー何も、ないんだ?
ここに来て、ようやく理解する。今の自分ーーその言い方が正しいかは分からないがーーには、肉体が存在しないことに。
ここには、物事を考える意識がある。なのに、それを包むものは何もないのだ。
やがて意識は、断片的な何かが自分に流れ込んでくるのを感じた。
ピッケル。壁。血。狂乱の声。苦痛。
その中で。
一際強く自分に強く訴えかけてくるものがあった。
それは、美しい金髪の少女が、自分に微笑む映像だった。
傍から見れば、とても幸せそうな一枚の絵だ。だが、意識にとっては、何か強烈なものを呼び起こされるものだった。
これがきっかけとなったのだろうか。意識は、だんだんと自我を強めていく。
ーー俺はシンザキハクタで、あの少女はレア。俺は異世界に来て……
死んだ。
ここまで考えが及んだ時。
何かに呼ばれた気がした。それに答えるように、意識は自分が浮上する感覚を覚える。
自分が動き、初めてこの世界に意識を向けた。何もない真っ白な場所。音も匂いも、何もない無の世界だ。
その無に自分も溶けてしまいそうだ。
意識は再びその自我を手放し、頭はもやがかる。
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「っうっ……?」
ハクタはゆっくりと目を開ける。仰向けに体は寝かされていた。
ーー俺は、たしか、あの場で殺されたはず
だとしたらここは死後の世界だろうか?
体を起こす。今気がついたが、全裸だった。その素肌には、血も傷もない。
ーーかなり残酷に切り裂かれた記憶があるんだがな
辺りを大きく見渡す。
その景色は、まさに天界そのものだった。
黄金の空に見守られる大地は、どこまでも続く雲海。距離にして百メートル程遠くに、神殿のような巨大な建物がある。ここから見るに、建築物の類は、それだけのようだ。
ハクタはとりあえずその神殿に向かう。レアやあの化け物じみた男がどうなったかは気になるが、まずは自分の状況把握が優先だ。
「にしても凄いな……」
神殿に到着し、首をほとんど九十度にして見上げる。巨大な三本の柱が入口となっていて、権威のある石像が壁に並んでいる。
伝説に聞く、オリュンポスの神殿のようだ。
「失礼しまぁす」
中に誰かいるかは分からないが、とりあえず一声かけて入家して行く。
神殿の内側も、まさに神殿然としていた。年季のありそうな石造りの建物。ハクタが一歩歩く度にヒタヒタと足音が響く。大理石なのだろうか、素足にひんやりとして気持ちがいい。
やがて。
ハクタは神に会った。
誰に言われた訳ではないが、一目で彼らは神だと分かる。
ふとした瞬間に、目の前に三人が現れたのだ。さっきまで確かにいなかったのに、瞬きした間にでも顕現したのだろうか。
三人の姿形は非常に非常に似ていた。
二メートルほどの長身。その肉体は、純白の教服の上からでも引き締まっているのが分かる。顔立ちは非常に中性的で、美しい。背中からは巨大な翼が生えている。
ハクタは、神々を呆然として見つめる。
そして、神の一人が口を開いた。
「天界へ、ようこそ。歓迎しよう」
それは、異世界召喚から僅か三時間でハクタが命を散らしたことを告げる言葉だった。
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「我の名はミカル」
「我の名はラファル」
「我の名はガブリル」
それぞれが名乗る。似ていると言ったが、髪の毛の色で簡単に判別が出来る。ミカルは赤、ラファルは青、ガブリルは緑色だ。
神様の名前ってのはどこの世界でも似るものなのかな、と思いながら、ハクタも自己紹介をする。
「シンザキハクタです。……僕は、死んだんですよね?」
「「「そうだ」」」
三神が答える。
「天界と言いましたけど、まぁ何聞けばいいか分からないほどになんにも分からないので一から説明して貰えると助かるんですけど」
「我々の名を聞いても驚かない態度、天界について何も分からないという言葉から察するに、君は他の世界の住人か?」
ハクタの発言をあっさりと無視し、ガブリルが質問してくる。
だが、その言葉は、的を射るどころかど真ん中をぶち抜いて吹き飛ばす程に的確な推測だった。
咄嗟のことに、ハクタは驚いたように目を見開き、口をパクパクとする。
「ふむ。やはり召喚者か。どうりで記録がろくにないわけだ。」
「き、記録?」
自分のことにも関わらず、話が自分を置いて進んでいくことに、一言申さなければ、と慌てて
「何が起きているんですか?記録って?一から説明してください」
とハクタが口を挟む。
今度はミカルが口を開き、
「無論、そのつもりだ。そもそも、君を起こしたのはそのためだからな」
と言う。
「この世界について知識が乏しい召喚者のお前には少し大変かもしれないが、しっかりと聞いておけよ。我々神は同じ話を二度するのは嫌いだ」
ラファルが横柄な口調でハクタに釘を刺し、「この世界」とやらの仕組みについて話し出す。
「ここ、天界は一言で言えば死者のその後を決める場だ」
「人が死ぬと、ここに魂がやってくる」
「そして、我々が、その人間が楽園パラディソスか地獄タハタルスどちらに行くかを裁くのだ」
なるほど。さしずめここは最後の審判と言ったところか。
「さて、ここから本題だ」
「君は、普通に行けば大罪人としてタハタルスに送られる」
「だが、君は普通ではなかった」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
慌ててハクタは話を止める。
「俺が大罪人だって?なんかそんな酷い事俺したか?」
敬語も忘れて必死に神に問いかける。気分は冤罪で死刑を命じられる被告人である。
だが、三神は全く当然と言った態度で、
「あるとも」
と言った。
「君の大罪」
「それは」
「約五万人に及ぶ無害の人々を、死に導いたことだ」
ーー……なんだって?
「俺が、俺が人を殺したってのか?」
ハクタの顔は困惑と怒りに震え、青ざめていた。
そんなハクタのことなど構わずに、神は無表情で話を続ける。
「直接君が手を下した訳では無い」
「君はあの結界を破り」
「教会を無防備にした」
「そして、何も出来ずに死んだ」
「自分の身に襲いくる痛みと恐怖の前に、諦めを持ってな」
「その結果」
「教会は襲われた」
「無論、街の住人に抗う力はない」
「女子供区別なく全員が悪夢の中で命を凄惨に奪い去られた」
ハクタは最初は呆然とした表情で話を聞いていた。だが、神々が一声発する度、現実を認識し、真っ青になっていく。
「君は、可能性のない闘いに無理矢理五万人を巻き込んだ」
「戦いの最中、自分で諦め、全てを投げ出した」
「自分の行動の意味も分からない無知」
「可能性を捨て、痛覚と恐怖に屈服し、諦める弱さ」
「その結果、助かるはずのものを全て叩き壊した罪」
「「「我々三神は、ここに置いて、貴様の地獄行きを宣言する」」」
反論の余地のない完璧な根拠。その全てが事実であり、ハクタに反論の根拠はない。
顔は青を通り越し真っ白だ。だが、それは地獄行きを宣告されたからではない。
自分の犯した、大罪の重さに押しつぶされているからだ。
レアが、命を賭けて守ろうとしたものーー否、護れたものを、自分は全て叩き壊したのだ。
「くっぅそ」
吐き気と頭痛がハクタを襲う。激しい感情に揺さぶられ、世界がグルグルと回る。
「「「だが、君は特別。故に、まだ話は終わらない」」」
ハッと顔を上げる。神の表情からは、それが良い知らせか悪い知らせかも分からない。
「それは、それはなんだ」
口ごもりながら慌てて聞く。半ばヤケクソだ。既に失意の奥底ーー自業自得だがーーに落ち、これ以上に失望することなどないと思った。
「我々は常に裁く人間の生涯全てを視て判決を下す」
「だが、今回君の人生で我々が確認できたのは、君がこちら側の世界に来てからの約三時間のみ」
「これだけでは、とても公平とは言えない」
「そこで」
「我々は、君に、地獄行きとは別の道を二つ用意した」
ハクタは声を出さずに、軽く頷いて先を促す。
「一つ目の道は」
「君が、今回のような召喚ではなく、この世界ついての基本知識を抱えてもう一度やり直す道」
「この場合、一度目の生や天界での記憶等は全て消去させてもらう」
「二つ目の道は」
「君が、この世界で新しく生を受けて、赤子として人生をやり直す道」
「この場合も同様、記憶は全てリセットされ、ありふれたこの世界の赤子として誕生する」
「「「なお、どちらの場合に置いても、今回の一連の騒動は、次の人生の死後の判決には影響しないこととする」」」
ハクタは呆然として話を聞く。
どちらの道を選んでも、自分の罪は問われず、その事で気を病むことも無くなる。ここだけ聞けば、十分すぎる待遇だ。
だが、
ーーーそれで、本当にいいのか?
脳裏には、生前の記憶が、絵となって花びらのように舞い散る。
元の世界のことも、ここの世界のことも、全てハクタの生きた印であり、
「……そう簡単に捨てていいものじゃねぇよな」
自分が馬鹿なことをしようとしているのは分かっている。それでも、ここでリセットするのはその自分自身が許せなかった。
ハクタは目を閉じ、一つ大きく深呼吸する。自分の下した判断に、後悔はあろうとも未練はないことを確かめて、目を開く。
黙って答えを待っていた神々は、開かれたその瞳に宿る強い光に、少し意外そうな顔をした。
「俺が選ぶ道は、どっちでもない。もう一つ、新しい道を提案させて貰いたい」
ゆっくりと、一言一言を噛み締めるようにして口にする。
神々は軽く眉をひそめ、
「言ってみろ」
とぞんざいな口調で言う。
「俺は、生前の記憶を持って、この世界の基礎知識を抱えて、もう一度あの街からやり直したい」
一気に言った。言い終えたあと、体が緩むのを感じて、初めて自分が緊張していたことに気づく。
それを聞いた神々は、呆れたような顔をして、
「無論可能だが、きさまは自分の言っていることが分かっているのか?それでは、貴様の地獄行きは確実のものになるぞ」
と言ったのだった。
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