水行
「貴様が転移魔術を取得すればいい」
ミカルが受ける。
「そんな簡単に出来るようになるものなのか?」
「五年はかかると思った方がいい。今の貴様の魔力では、とても魔法陣を展開しきれない」
「五年……」
五年。神はそう言った。
永い間生きてきた存在にとっては、わずかな時間かもしれない。だが、人間であり、今までの人生が十六年のハクタにとっては、それは長すぎた。
特に、一時ではあるが、戻れるという喜びと希望を見つけたあとだ。ショックもあった。
「本当に、俺が転移魔術を覚えるしかないのか?」
別の道があることを、半ば祈るような口調で問い返す。必要があるなら勿論挑戦するが、本心としては早く元の世界に戻りたかった。
「今の我々の世界では、それしか方法はない。貴様の世界を知る人間が貴様しかいないからな。」
投げかけられた疑問に対して、今度は、ラファルが受けた。ごく簡単に、だからこそ、それしかないことが分かる説明だった。
ふぅー、と大きくため息をつきながら、ハクタは空を見上げた。皮肉な程青々としたそれに、思わず歪んだ笑みが出る。
「ったく。こっちに来てから思い通りに物事が進んだことがねぇな。」
苦々しげに、舌打ちがでた。
「俺は、転移魔術を覚えたい。だから、ーーもう一回、力を貸してくれないか?」
引き締まった表情。鋭い目。それらが堅い決意を示す。軽く唇を舌で舐め、緊張も察せられた。
強くなりたいと願い、苛烈を極めた修行の道中に見せた厳しく凛々しい強い表情が、そこには垣間見えた。
「いいだろう。だが、先に言っておく。心身ともに相当の負荷がかかる訓練から入るぞ」
「心配するなって。昔から慎重なタイプで、安請け合いして失敗、とかは踏んだことないタチなんだ」
軽い口調で、会話は結ばれた。
「先程言った通り、貴様には魔力量が足りていない。そこで、訓練でそれを伸ばしてから、転移魔術の詠唱などを教える」
「することは単純。水行だ」
「水行?」
あまり考えてなかった言葉に、ハクタは疑問を呈す。
「我々が、滝を創る。貴様は、起床一番にそれに打たれろ。」
「これも、忘れるな」
そう言ってガブリルが渡してきたのは、意味のなさない文字の羅列が綴られた紙切れだ。
「それは、集中力を限界まで上げる術式と、魔力を大量消費する術式とを組み合わせたものだ。詠み上げながら、滝に打たれろ」
「分かった。でも、なんで滝なんだ?」
「轟音に包まれることで他の入る余地のない空間になる。肌を強く叩きつけ続けることもまたそうだ。何より、水というものは、生命の奥深くに繋がるエネルギーだからな」
「分かるような分からないようなだが、とりあえず朝起きたらこれを滝の中で詠めばいいんだな。時間はどのくらいやればいい?」
「最初のうちは、すぐに魔力切れして気絶するだろうから、そうなるまでやれ。」
「サラッと恐ろしいこと言うなよ……」
気軽に出した質問の答えは、思ったよりも厳しかった。牽制替わりに出したパンチに、思いがけないクロスカウンターを決められた気分だ。
「貴様が倒れたら、我々の誰かが回収して、ここで休ませる。あと」
ここで、ミカルが言葉を切った。そして、ハクタの左腕を指さす。
「それは、どうする?一応、貴様の義手はここにあるが」
「黒魔が使えなくなった今、それ付けても動かせないんだよなぁ。」
「再生なら、可能だが」
端的なガブリルの提案に、ハクタは首を振った。
「左腕殺られたのも、元はと言えば俺の弱さが原因だ。それを人に再生してもらうってのはちょっとな。残しておくよ。無いものを残すってのも、変な話だけどな」
遠くを見つめ、薄く笑いながら言葉を紡ぐ。
「魔力の使用無しでも思い通りに動く義手も用意できるが」
「嬉しいけど、気持ちだけで充分だ。そのうち自分で再生してやるさーーありがとな」
ハクタは、ずっと隻腕を差し出す。それを、ガブリルが強く握った。
次の日の朝。ハクタは滝に向かって一人歩いていた。寝食を過ごす神殿の近くだと音がうるさすぎるので、遠くに設置したのだ。
到着し、裸になる。誰も見ていないことを分かっていても、心細いし気恥ずかしい。
ドドドッという轟音を立て、水煙を上げる水壁に、割って入る。肌を強く冷たく打ち込まれ、鼓膜を激しく殴打された。
確かに、他の何者も邪魔の出来ない世界だ。あらゆるものを跳ね除け、全てを自分の中に閉じこめる。
ハクタは、巨大な肉食獣に呑まれ、その胃袋にいるかのような錯覚を覚えた。
気を取り直し、手元の紙を強く握り直す。濡れて読めなくなっては元も子も無いので、ビニール袋のようなもので包装してきた。自分の体で覆い隠すようにして、流水で詠めなくなるのを防ぐ。
「補陀等米肌真紀埜湯譽……」
やはり、ちんぷんかんぷんな内容だ。前の世界の、南無阿弥陀仏のような感じなのだろうか。
そうして読み続けていること約十分。ハクタは寒さに歯の根が噛み合わなくなり、発音がままならなくなってきた。全身が鈍く痛み、肌が赤くなっている。
神の言う通りに集中出来ない自分に苛立ちを覚えたその時。
ーー意識が、ふっと遠のいた。
肌を打ち付ける水流が、全身を震わせる冷たさが、鼓膜を叩く轟音が、網膜に写る光が、どんどんと小さく、か細く、弱くなっていく。
あらゆる感覚が失われ、全身の力が抜けていく。ハクタの体は傾いで、ゆっくりと倒れていくが、その事に気が付かない。
そして、ベチャッという音を立てて倒れた時には、完全に気絶していた。




