魔法
ーー今なんつった?
ハクタは目をしばたく。
ものは試しと、ハクタは日本語で、
「今なんて言いましたか?」
なんて尋ねてみる。
しかし、彼女はやはり日本語が分からないらしい。小首を傾げながら、
「jnsstsm?ーーtu)matpmus」
と困惑して呟いている。
その間の、首を少し左に傾けながら右手中指で顎の細い線をなぞるしぐさはもうそれは可愛いくて仕方ない。
ハクタは、自分の置かれている状況など再び頭から吹き飛び、見惚れてしまった。
そんなボケっとしている冴えない男を脇に置き、思考を巡らせていた彼女は、思案顔を笑顔に変えた。そして、
「jumteaga」
やはり分からない言葉でハクタに話しかけて、何度もさっきまでいた街と自分とハクタとを指さす。
最初は何がしたいのかが分からなかったハクタだが、
ーーもしかして、街まで送ってくれるのか?
そう思いいたり、彼女、自分、街の方向と順番に指さす。
ハクタの考えは正しかったらしい。彼女は嬉しそうに笑い、
「wuovuinslumpod!」
やはり理解不能の言葉を口にしながら、ハクタの右手をとる。
ーーーーー!!!!!!
女の子と、それも超絶美少女と、手を繋いでるよ!今、繋いでるよ!
ハクタのとろけそうな程のにへらァという顔を見て彼女は非常に不思議そうな顔をする。ハクタは、いかんこんなんでは、と、気を引き締め、
「とりあえず自己紹介でもするか」
と呟き、
「ハクタ」
と自分を指さしながら言う。無論、この間握られた右手は離さない。
彼女は、それが彼の名前だと分かったらしい。ニコリと笑い、
「レア」
と、今度は自分の胸に空いている方の腕をおき、名乗ったのであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーー落ち着け俺落ち着け俺。手を繋いで歩くだけで 緊張なんてしてたら、ただのニートコミュ障童貞だぞ
ただいまハクタは、人生で初めて親戚以外の女の子と手を繋いでいた。それも、肩を並べて歩きながらである。
レアに握られた右手に先導されながら、小一時間前に進んできた道のりを逆戻りしているハクタ。彼女と一緒だと、まるで別の景色にみえてくるんだから不思議で仕方ない。
欲を言うならば、丸く卵を持つようにしているレアの手が、恋人繋ぎのように指を絡めたものになったら最高なのだが、無論そんな度胸はハクタにはない。
そうこうしているうちに、荒涼としていた景色は、再び賑わいと華やかさを持った街へと変わっていく。
どこかにアーチのようなものがあって、そこから街が始まるような造りではなく、自然と賑わっていき中心に向かってどんどんそれが増していくのがこの街のようだ。
「agm@tm"t,ptmudef!」
そんな歩く二人に、野太い声がかかる。そっちに目をやれば、青果市場のような店のなかに、売り物に囲まれるようにして、ごっつい男が立っていた。
「tJntmnvntw」
レアもニコリと笑って声を返す。よく笑う人だ、とハクタは思った。
店の親父には家族がいたらしい。奥に向かって大きな声で何かを言うと、妻らしき人と娘のような女の子が出てきた。年は10歳程だろうか。
「t'pda@mjnd」
やはりレアが何か話しかける。二人も言葉を返してきたところで、女の子は後ろで手を繋がれて立っているハクタに気づいたようだ。大きな目できょろっとこちらを見て指さし、何事かを問う。
それに対して、レアも優しく答えてあげている。
ーーーにしても、意思疎通不可ってのは、いかがなものなんですかねぇ
数々の創作物に手を出してきたハクタだが、意思疎通不可は初めて見たかもしれない。大抵何故か通じているものだ。
思えば、初期設定があまり恵まれてなかったかもしれない。革命的力があったわけでもないし、驚異的な武器などの特殊装備もない。
ーー召喚者に会ったなら、思い切り文句を言ってやりたいもんだ
そんなことをぼんやりと考えながら、家族とレアの団欒を一歩引いて見ていたハクタ。軽く伸びをしようとしたその時。
ーーー爆音が響いた。
ーズドゴォーン!
凄まじい爆音が街を駆け抜けていく。音源の方向は、いまさっきまでいた城壁。街の人々が、一斉にそちらを見ると、天まで届くかのような土煙がもうもうと立ち込めていた。そして、
ーヒュゥルル
嫌な風切り音と共に、城壁だったのであろう巨大な石が飛んできた。ちょうどハクタ達の所へと飛んでくるそれは、間違いなく人を潰すには十分な質量がある。
ーーヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい
ハクタは焦りに焦り、パニックへと陥っていく。脳が正常に働かず、飛んでくる死が分かっているのに体は熱く冷えて動かない。
もうダメかと思ったその時、
「djtmetpkx!」
隣で壮麗な声が生まれ、それに呼応するかのように、一瞬で半透明な水晶の壁が目の前に現れる。それは、レアやハクタ、青果市場の家族たちを護る傘のようになり、飛んでくる石を防ごうとその体を煌めかせた。
ガギィン!!
硬くて重い鉄どうしがぶつかりあったような音がし、空気が震える。石の砲弾は水晶の傘の上で一泊起き、ドォンという音ともに地に転がった。
ハクタはこの光景を、尻もちをついてわなわなと震えながら見ていた。それもそうだろう。紙一重で命拾いしたのだ。
青果市場の家族たちも、最悪の事態を想定していたのだろう。顔を真っ青にしながら、ガクブルと震えていた。少女に至っては、顔が涙でグチャグチャだ。顔を恐怖に引き攣らせながらも、家族に覆いかぶさるように身を呈して守ろうとした父親は漢の中の漢だ。
周りの人々も、道の真ん中にドカンと転がっている巨石に呆然とした目線を向けている。
街中に騒然とした空気がのしかかる中、それを振り払うかのように、一人の少女が声を上げた。
レアだ。
両手を前に突き出した姿勢のまま、肩で息をしている彼女は、人々皆に届くように凛と澄んだ声を響かせる。
その姿勢から察するに、先程の水晶の盾を創り出したのはレアなのだろう。いわゆる、魔法というやつだ。
しかし、ハクタには、初めて魔法を見た感動を味わう余裕はなかった。未だ全身の震えは引かず、体には力が入らずに立ち上がれない。
「j'wtpgjoyrk!」
余程信頼があるのだろうか。レアが一声あげる度に、人々は動揺が薄まっていくのが目に見て取れる。やがて、彼らは街の奥の方へと駆け足で向かい始めた。
ハクタは、皆が動き出しても、力なく首を折り座り込んでいた。この現実が、自分のものだと認識出来ないのだ。悪い夢でも見ている気分だった。
そんな彼の顔前に、白く細い手が差し伸べられる。その手の先を目で辿ると、そこにはレアが。ニッコリと笑い、何かを優しく言ってくれる。
その手をおずおずと握り立ち上がるハクタ。レアは彼の肩を軽くたたき、皆の後を追うように、駆け足で行く。
ーーーまるで、妖精か天使のようだ。
ハクタは一泊起き、慌てて彼女を追って走って行った。
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ーーすっすっはっはっすっすっはっはっ
ウォーキングよりは早く、ランニングよりは遅いペースでハクタは走っていた。背筋はピンと伸び、呼吸も安定している。この程度のペースなら、周りを見る余裕もある。
前の方では、街の住人が同じ方向へ一斉に向かい始めた為だろう。軽く渋滞になっているが、パニックにはなっていない。恐らく、後ろで声を上げ続けるレアのおかげだ。
左右を見れば、街への被害は特に確認されない。この街を襲ったのは今のところあの巨石の一撃のみなのだろう。
ーーそれにしても、なんであんなもんが飛んでくるんだ?
ペースと呼吸を保ったまま、ハクタは思考の海へと沈んでゆく。
あの岩は材質や質感的には城壁のそれと似通っていた。そこから考えると、何者かに城壁をぶち破られて、その破片が飛んできたと思われる。しかし、あの城壁をそんなに思い切り壊すことなど、常識的に考えれば、不可能だ。
ーーだいたい、仮にそんなことになったとして、何故誰も街に状況報告に来ない?
何らかの仲間内の事故で近くの石だか建物だかが吹っ飛び、今はその対応に右往左往していると、考えたい。
しかし、そう考えるには無理があった。第一、そんな事故があったなら、むしろ誰かしらは状況報告に来る。だが現実、誰も来ていない。このことから考えうるのは、
ーー城壁は破られ、戦闘状態。しかも、一人もこちらに来れないほどに追い込まれている可能性大。
それがハクタの出した結論だった。その方が、今ひたすらに街の奥へと皆が行く理由としても違和感がない。
この時点でハクタは、自分の出した結論とはいえ、現実味を帯びて、自我に迫ってくるような代物ではないと思っていた。心のどこかでは訳もなく大丈夫だと思っていたのだ。しかし、かつて失敗した多くの人々同様、
ーーーその期待は裏切られ、近い未来激しく後悔することになる。
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