結末
戦いの形成は、タナトスに傾きつつあった。
互いに睨み合う中で、初撃を放ったのはタナトス。その左腕の恐らく個性であろう黒い霧のような炎のような揺らめくもので、上からハクタに襲いかかったのだ。
ハクタは瞬時に回避ーーしようとした。だが、黒い霧は、空中で魔物が口を開けるように、ぶわりと大きく広がったのだ。
逃がさない、と言うかのように形を自由自在に変えてハクタに迫るそれは、まるでスライムのようだ。
「くそっ!」
ハクタは悪態をつきながら、地を駆ける。さっきまでいた地面は黒靄が押しつぶし、四方八方から超速でハクタを狙ってくる。
ハクタは魔法弾で霧に風穴を開け、剣で切り裂く。だが、吹き飛んだ所から再び魔手は再生し、ハクタを襲う。
当たれば即死であろう黒炎は、圧倒的物量でハクタに迫る。その形はぶつかり合うギリギリで変わり、とてつもなくやりづらい。
黒い悪夢は無限に増殖しているわけではない。恐らく使用上限があるのであろう。タナトスもハクタと付かず離れずの間合いを保つようにしている。
だが、ハクタには分かっていた。タナトスの限界が来る前に、自分の体力の限界が来ることを。
故に、ハクタは賭けに出る。
タナトスに向かって突っ込んだのだ。
当然、タナトスに近づけば近づくほど魔手の量は多くなる。ハクタの背後から、首を貫くように鋭い一撃がくりだされた。ハクタは、それを振り向くこともなく黒盾で防御。黒が黒を防ぎ、黒が黒を吹き飛ばす攻防戦が続く。
初めの勢いに任せて、ハクタはグングンとタナトスとの距離を詰めていく。タナトスは変わらぬ無表情。一歩も引くことなく、左腕を突き出して黒い魔物を噴射。物量に物量を重ね、ハクタを押し潰そうとする。
ハクタの姿はもう見えない。幾つもの黒い黒い霧がハクタを繭のように包み込んでいるからだ。内側から弾けるように黒炎が飛び散ったり、魔法弾が次から次へと黒いベールをぶち破ることで、生きていることが分かる。
「こんなもん量が多いだけだろうがぁよぉぉ!!」
ハクタが咆哮し、横薙ぎ一閃。黒い監獄は剣の猛烈な風圧で歪み消し飛ぶ。
タナトスは予想外のことに反応が遅れる。まさか、あれだけの量を一振で全て吹き飛ばせるとは考えいなかったのだ。
ハクタは貴重な一瞬の隙を逃さない。異次元の速さでタナトスの前に現れたと思った時には、剣を袈裟に振り下ろしている。
タナトスは咄嗟に後ろに飛び退いて回避。ハクタは踏み込んだ足でさらに加速して、猛然と迫る。
タナトスの左手側にぶれながらハクタは現れる。タナトスは、左腕の魔手で叩き潰そうと上から攻撃。
だが、信じられないことが起こる。黒に確かに押しつぶされたハクタは、そのまま霧が消えるようにいなくなっている。
ハクタは、急激な加速と減速を繰り返すことで、いくつもの残影を創り、タナトスの目を欺いたのだ。
なら本体はというと。
「ーー死ね」
四方を警戒するタナトスの、無防備な上空から落ちてきたのはハクタ。大地を叩き折るように剣を振り下ろす。
タナトスは転がるようにして回避。地面はハクタの有り余る破壊力に放射状に割れて沈没する。
ハクタは間髪を入れず、タナトスの右手側から攻める。タナトスは右手から風の魔法で迎撃を試みるが、ハクタは分かっているかのように盾で跳ね返す。
ハクタは気がついていた。タナトスの風の魔法は、常に手のひらから発射されていた事を。ハクタのように、全身からにょきにょきと出せる訳では無いことを。
どこから来るか分かっている攻撃など、どれほど至近距離で出されようとも全く怖くない。
タナトスは完全に体制を崩された。ハクタは神速で、足元から脇の下を狙い、タナトスをすくい上げるように剣を振り上げる。
左腕の個性ももう間に合わない。今度こそ殺ったとハクタは思った。
だが、そう思った時は大抵倒せないのが世の常。この時もまた然りだった。
タナトスは、剣から逃げるように、空へ飛び出したのだ。そしてそのまま空中に浮く。
「ちっ。てめぇ、飛べんのかよ」
舌打ちをして、苦々しい表情で、首を上に曲げて唸るハクタ。その体位とバランスの取り方からみて、風が出るのは掌だけではなさそうだ。恐らく、足の裏だろう。
一筋縄で片が付くほど甘い相手ではないのは分かっていた。それでも、こうも何度も奥の手を出されては、悪態のひとつもつきたくなる。
タナトスは上空から洪水のように黒霧を放出する。途中で何股にも別れ、流星のように次々に大地を抉っていく光線を、ハクタは隙間を縫うようにしてかいくぐる。
ここに来て、タナトスの攻撃は激しさを増した。出てくる黒いものの単純物量が大幅に上がったのだ。
ハクタは避けて防いで転がって、すぐ隣で手招きする『死』から逃げ続ける。今の今まで居た場所は直ぐに黒い濁流に呑まれ、行こうと思った位置は既に陥没している。
どこかのタイミングでハクタも空中に飛び出さなくては、ジリ貧になるのは必死。だが、タナトスはその刹那も許さない。
ハクタはどうするかと思考を走らせる。脳は高速であらゆる可能性を検討し、最も有力な一手を探す。
そうして導き出した答えは、力ずくで空に上がり、どうにかする、というアバウトなものだった。
ハクタは、もはや数え切れないほどの本数になった、大地を爆ぜさせる黒い流れ星の一本に狙いを定める。それが獲物を捕らえようと大地に衝突した瞬間、ハクタは魔手をその主に向かって駆け上がり始めたのだ。
「うぉぉぉ!!」
叫び、大きな歩幅でグングンと角度四十五度の急坂を登る。タナトスは、愚行に走る標的を押し潰そうと、駆け上がられている腕の形を丸く変える。ハクタはその内側に閉じ込められる一歩手前で空へ飛び出す。
黒い稲妻が、四方八方から一斉に空中のハクタを狙う。ハクタは、ガブリルと戦った時のように、一時的な足場を連続で生成し、素早くそこを跳ね回る。
しつこく追いかけてくるものは全て魔法で吹き飛ばし、目の前に現れる黒壁は一刀両断。
まるで重力を操っているかのように自由自在に移動するハクタを、タナトスは捕まえられない。
なかなかつかない決着に焦れたのか、タナトスは一気に勝負をつけにくる。あっちでもこっちでもハクタを追い回していた黒い魔手の全てを、自分の元に集結させたのだ。そして、それを一気にハクタに向かって発射する。
その余りの大きさに、避けられないとハクタは判断する。即席の足場で踏ん張りしっかりと力を貯め、剣を真っ直ぐに構え、矢のように鋭く超速で突っ込んでいく。
敵の強大な黒と、ハクタの小さな黒がぶつかり、小さい方が大きい方を穿って突入する。アツアツのバターにナイフを入れた時のように、ハクタのアダ グロサは滑らかに敵を斬り裂いていく。
ハクタを囲む黒い海は、意志を持ってハクタに襲いかかるが、ターゲットの常軌を逸した速さに、攻撃が間に合わない。
そうしている間約十秒。ハクタの視界が急に開ける。黒い深淵を貫通したのだ。
「今度こそ、逃がさねぇぞ」
タナトスは逃げようとするが、進もうと思ったその目の前にハクタが回り込む。タナトスは咄嗟に左手を使おうとするが、その左腕の手首をハクタが素早く握り、握力で力任せに骨や筋を破壊する。
ハクタは、タナトスに抵抗する時間を与えずに、地面に投げ下ろす。ビュオッと激しい風が鳴き、ドゴォンという音が続く。そして、タナトスは地下十メートル近くまで埋没した。
クレーターの中心でそれでも気を失わないタナトスを、ハクタは上空から勢いを付けて思い切り串刺しにする。腹で地面に縫い止められたタナトスは、ゴボッと大量の血を吐き出したのを最後に、首の力がカクンと抜けた。
勝負ありだ。勝者は、ハクタである。
ハクタは、自分の頬が緩むのを自覚した。どうやら、相当緊張していたらしい。意識していなかったが、かなり汗もかいている。額から、ツーと水滴が頬を伝って滑り落ちた。それを、腕で少し乱暴に拭き取る。
「……勝った、つもりか?」
街に帰ろうとするハクタの背中に、タナトスの声がかかる。
ハクタは、まだ息があるのかと驚きながら、聞き返す。
「どういう意味だ?」
「この街には、あと、半時間で、三十万の傀儡兵士が、くる。感情が、無く、死も、恐れぬ。ボクを殺しても、意味なんてない。」
タナトスは途切れ途切れに、言葉を発する。
ハクタは、頭を殴られたような衝撃を受ける。タナトスに飛びかかり、激しく揺さぶりながら「どういうことだ!」と問いただそうとする。
しかし。
「……きみは、負けた、ってことさ」
タナトスは酷く満足気な顔でこれだけポツリと言い残し、死んだ。
ハクタはもう命のない敵を呆然と見下ろす。だが、念の為、小さな魔力砲で木っ端微塵にしてから、ぐっと口を噛んで、いつもの連続ジャンプで城壁の上に行く。
城壁の天井に当たる部分は強風が吹き荒れていた。油断していると足元をすくわれそうだ。最も、そこに立つ少年に、恐れの色は皆無だが。
ハクタは、じっと目をこらす。
そして、見つけてしまった。
およそ街から十五キロ先。かなりのペースでこちらに向かって一直線で進撃している軍隊を。目視で確認する限り、その数およそ三十万。速さ的には、今いる城壁にたどり着くまで三十分という所か。
「……くっそそおおおぉぉぉお!!!!」
ハクタの、血が滲むような絶叫が、虚しく響いた。
次回更新は明日の十九時。
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