5.「あそこはヤバい。ヤバいのよ」
「ところで、その卒塔婆島なんだけど、なにかと謎の多い島なんだよね。それでもって、とびっきり薄気味悪いところなんだ、これが」
梅野が例の下卑た笑い声をまじえながら言うと、
「ウメよ、その話はよそうや」と、岡添が梅野をにらみながらぴしゃりと言った。「不帰浜の由来だけで充分じゃねえか。卒塔婆島はやめとこう。度がすぎる」
「やっぱり、触れちゃいけないか。だよね――」
梅野は、ふくらんでいた風船がしぼんでいくような様子で下を向き、口をつぐんだ。
「なぜやめさせる? 卒塔婆島だと。これまた、ソソる名前だ。なにかあるな。ぜひとも聞かせてくれ」
反対に、粂田のなかで異様なまでの好奇心が一気にふくらんだ。
故人の追善供養のために墓に立てる木板が林立した島。
怪奇趣味であり、シュールな絵が思い描かれた。あたかも銛を突き立てられた子鯨さながらの外観。島名からしてキナ臭い。岡添を熱っぽくにらんだ。
「よせ、俊郎。越えちゃなんねえ一線ってもんがある」と、謝花がなんの感情もまじえず割って入った。「おまえらも、いくら酒が入ってるからって、島のことは口にすべきじゃない」
「謝花さん、あんたまでどうしたってんだ。卒塔婆島ってなんだ。なんでそんなに話を逸らす」と、アフロヘアーは食いさがった。「勝手に卒塔婆がポコポコ立つもんか。誰かが船で運び、おっ立ててるに決まってら。四六時中、監視していりゃ、すぐわかることだ。なにが謎なもんか」
「そりゃ、卒塔婆じたいは誰かが立ててるにはちがいないけど。なんの理由があるにせよ」と、梅野は粂田の迫力に気圧され、姿勢を正しながらしぼり出した。「でもあの島は、得体の知れないものが出ちゃうらしいのよね。――そう、出ちゃうの。それで地元漁師でさえ近づきたがらない。もう、岡やんみたいな、『板子一枚、下は地獄』なんか、ものともしないベテラン漁師でも、嫌がるほどだから。鯨の座礁の件といい、なにかと縁起のいい場所ではないの。あそこはヤバい。ヤバいのよ」
そこまで言うと、となりの岡添は梅野の頭を小突いた。
梅野は顔をくしゃくしゃにして、また下を向いた。まるで教師に叱られた不出来な生徒のようだ。
岡添は仏頂面で、ドラム缶に新たな薪を放りこみ、ひと息にグラスの焼酎を飲み干した。
「出る」粂田は梅野をにらみつけながら、「コレが?」と言って、右手をだらりとさげるポーズをした。
観念したように岡添が深いため息をついた。グラスのなかの液体を見つめ、
「……なんと言っていいか、わからん。人間でないことはたしかだ。つまり、そうとってもらってかまわない。夜、けったいなものが現れるようなんだ。その……あまりに直視しがたいモノだから、目撃したとしても、その内容をしゃべったところで信じてもらえんだろう。いまじゃみんなに伝わり、誰も近寄らなくなった。漁から帰るのが遅くなった場合でも、あのへんは避けて通るにかぎる。昔からなんだ」
「見たのか、あんた自身は?」
「おれはない」真っ向から見すえられ、岡添はあわてて首をふったが、眼が泳いでいた。「昼間は、見た目こそ気色悪い場所だが――そりゃ、墓場みたいに卒塔婆だらけなんだからな――、人畜無害な島にすぎん。けど、夜ともなれば話は別だ。暗くなると、島の様子がガラリと変わる。異様な空気が漂い、異様な声がする。そして異様なモノが出る。おれはじっさいに見たわけじゃない。知り合いが――つまりその、おれを一人前の漁師に育ててくれた伯父貴が――、あまりに、みんなが怖がるものだから、ためしに一夜を明かしてやると言い出したことがあった。酒が入り、気が大きくなってた。あれがそもそも、まちがいだった」
と、岡添は片手で頭を抱えた。
そのままガサガサと乾いた音を立ててまぶたをこすり、深いため息をついた。こめかみに太い血管が浮かび、内側に寄生生物がもぐりこんでいるみたいに、ビクッビクッと動いた。
「……明くる朝、迎えに島へ行くと、当時、五十代前半だった伯父貴は、一夜にして白髪の老人に変わり果てていた。それからというもの、すっかり心を病んじまった。正気じゃなくなったんだ。正気じゃなくなるほどの体験って、いったいなんだ? そのあと、浜田市の総合病院の精神科に入れた。隔離と言った方が正しいかもしれん。なにかを見たことはまちがいねえ。どんなに問いつめても伯父貴の奴、口を割らなかった。しきりにあいつらが襲ってくると譫言をくり返すだけで、あいつらとはなにを指すのか、皆目見当もつかん。その伯父貴も去年、胃癌で逝っちまった。これで死人に口なしだ」
謝花が咳払いし、
「なんにせよ、卒塔婆島だけは近づいちゃなんねえんだ。昔から地元の人間はそうしてきた。雀の涙の額にせよ、国民年金もらえるまで長生きしたけりゃ、なおさらな」と、頬を痙攣させながらむっつり顔で言い、焼酎をあおり、控えめとは言いがたいおくびを漏らしたあと、そばのコンテナに音をたてて置いた。
「おもしれえ」と、粂田は犬歯をむき出しにして笑った。アフロのなかの一対の眼が爛々と輝いていた。「謝花のじいさんをも震えあがらせるほどの奇怪な島か。不帰浜にそんな秘密があったなんて初耳だ。ワクワクしてきたぜ。――どうだ。ひとつ、おれも度胸試しに、そこでひと晩明かしてやろうじゃねえか」と、アロハシャツの胸もとを親指で指した。赤いハイビスカスをあしらったシャツは、場ちがいに映った。
「おいおい、なにを言い出すかと思ったら」岡添の狼狽ぶりは劇的といえた。注いだばかりのグラスの中身を、おおかたこぼしてしまったのだ。「バカ言っちゃいけねえよ、兄さん。さっきも言ったろ。あそこだけは特別なんだ。若い衆が、そのへんの墓場や廃墟へ行くのとはわけがちがう。まさか、いい年こいて肝試しだなんて」
謝花が焚火に薪を足した。きらめくような火の粉が舞いあがった。
「おまえはなにも知らんからだ。昔から不帰浜の漁師は、いくら絶好の漁場だからって、泣瀬には近寄らんかったもんだ。あそこはそっとしておくにかぎる。ましてや卒塔婆島にあがり、ひと晩すごすだと? 愚かにもほどがある。現に、岡坊の伯父の例があるってのに、正気じゃない」
「だったら、おれが無事、一夜を明かした第一号になってやろうってんの」と、風呂あがりみたいな顔で、晴れやかに宣言した。「おれが島の秘密を暴いてやろう。くだらねえ迷信を破ってやる。そうすりゃ、今後、卒塔婆島も恐れずにすむし、泣瀬とやらの近くで漁するのも解禁になるってもんだ。そうとも、おれを漁師にしてくれたら、そこいらでバンバン魚を獲ってやる」
そう言ったとたん、しかつめらしい顔をしていた岡添はにんまりと唇を吊りあげた。まるで、そうこなくちゃ、と言わんばかりに。
「あれほど警告したのに、あきれた野郎だな。命知らずにもほどがある。どうしてもやるってか?」
「善は急げだ。いまから出かけようぜ。あんたもたらふく酒が入ってるだろうが、船を出せ。海上保安庁がどうした。かまうもんか」
「いまから? ちょっと急すぎやしないんじゃない?」
と、梅野が刺身を口にふくんだまま言った。
「どいつもこいつも雁首そろえて、ブルてんじゃねえよ。早いとこ行こうぜ。おれの気が変わらないうちに。そうしておれの肝っ玉の太さを証明してやっからよ。イモ引いて(怖気づいて)なるもんか」粂田はそう言って立ちあがり、雪駄を突っかけた。かなり酒が入っているはずだが、ふらつきもしない。「そういや、漁協の組合員になるには、どういった条件を満たせばいいんだ?」
岡添も立ちあがり、腰に手を当て、上体を反らした。気味が悪いほど音が鳴った。
「ずいぶんと気が早いな。ま、こんな流れだ。――とりあえず漁師の乗組員として実績を重ねること。とり組み方しだいだが、数年かかると思っとけ。漁師仲間なんかの推薦で准組合員にあがり、さらに数年を経て正組合員に昇格する」
「なるほど、度胸が認められりゃあ、一気にステップアップできそうだ。なんせ、漁師たる者、『板子一枚、下は地獄』なんだろ?」と、巨大なアフロのなかの眼が光った。「さ、つれてってくれや。空威張りじゃないことを証明してやるぜい」
「伯父貴のこともあり、経験上、おれはなんとしてもとめるべきなんだが」岡添はあご髭を撫でながら言った。「おまえさんがそこまで挑戦したいと言うのなら島までつれてってやろう。ひとつ、そのクソ度胸とやらを見せてもらおうか。……いや、もしかしたら、おまえさんなら卒塔婆島で一夜をすごし、おれたちの鼻を明かしてみせるかもしれん。そうすりゃ、死んだ伯父貴も浮かばれるかもな」
粂田は謝花老人を見おろした。
老人はいつの間にか酔いつぶれて、よだれを流し、大の字にひっくり返っていた。なにやら寝言を言っていた。
粂田はしゃがみ、老人の口もとに耳を近づけた。
「どうなっても知らんぞ。ただで済むもんか――」
岡添は眼をまるくして、「ダメだ、こりゃ」と、言った。「謝花じいは脱落だ。置いていこう」
「だな。つれていけば、阻止されかねないから」
梅野は自身の上着を老人の胸にかけてやった。
「お年召されてるんだから、風邪こじらせちゃったらたいへんなことになるよ」
こうして三人は漁港からしずかに立ち去り、岡添の船に乗りこんだ。




