3.「たしかに縁起のいい漁村の名ではないかもな」
酒盛りは十八時からはじまり、二十一時にまでおよんだ。
あらかた近況報告を交わし終えると、漁師たちは酔いがまわったせいもあって話題は無軌道に、目まぐるしく変わり、あらぬ方向へと逸れていった。粂田はタバコをくわえると、ジッポーで火をつけて吹かした。
「ところでおまえさん、水死体のことをなんで土座衛門っていうか、知ってるか?」と、岡添が鎌をかけてきた。
「いや……。土座衛門って漁師言葉なのか。そっちの方が驚きだ」粂田は半身をのり出した。
「溺死体はメタンガスがたまって、パンパンにふくらむ。まさに土座衛門って昔の相撲取りに似てたことから、その名が定着したそうだ」
「なるほど」
「長い航海の途中、死人が出たら水葬が行われるんだ。文字どおり、死人を海に沈めて弔う。水葬を行うにあたり、船員たちは遺族のために写真を撮り、遺髪など遺品になりそうなものを保管してから、死人を棺に入れて海に放つ。ただし、死人が浮かびあがってこないよう、棺桶に重石を入れることが習慣になっている。死者を敬い、丁重に行われる最後の別れだが、海底が砂地だと重石を入れた棺が突き刺さってることが多いんだ。そんなのに出くわしたスキューバダイバーは、いい気はしねえだろうな」
「おかしなもんで、嫁にウソをついたり、隠しごとしたりすると、必ずといっていいほど翌日は漁にめぐまれないっていうよね」と、梅野は赤ら顔で言った。
「嫁の機嫌をそこねるような日があるものなら、めっきりダメともいうな」
「幸いにして、おれは独身だ。漁獲量の安定供給は約束されたようなものだな」粂田は刺身に舌鼓を打ちながら自虐的に笑った。
「いずれいい人を紹介してやるって。しばらく辛抱してくれや」
梅野がヒヒヒと、下品な笑い声を立てた。
「嫁以外の女とナニした夢を見ると、次の日の海は決まって時化になるから、そんな夢を見たときは注意しろっていうんだ。なんでだろね」
「女のアソコといえば、高知県の土佐清水じゃ、『漁マイリ』ってのがある。カツオの一本釣り漁の嫁たちは、夫たちが海へ出払っているあいだ、大漁を祈願して神社に参拝するのがそれだ。このとき、嫁たちは神さまに向かって着物の裾をめくり、下着をつけていない股ぐらを見せるんだとか。こうすることで、神さまは喜んでくれ、彼女らの願いをかなえ、大漁にしてくれると信じられているそうな」
「わしらの親父がよく言ったのは」と、謝花が割って入った。「船から金属類を海に落っことすことや、弁当の梅干の種を捨てることを、ひどく嫌ったもんだ。若造のころうっかり捨ててしまい、先輩漁師にこっぴどく叱られたことがある」
「落とすとどうなる?」
「これも海が荒れると言われた。昔のご先祖さまは、梅干しや桃の種のなかに霊力が宿ってると信じていたそうだ。たとえ小さな種であっても、発芽してグングン成長していくところが神秘的に見えたんだろう」
「金物の霊力については、おれの伯父貴もうるさいほど言ってたな」と、岡添が眼を潤ませて言った。「なんでも、日本神話におけるヤマタノオロチの尻尾から草薙の剣が出てきたように、金物のもつ霊力は蛇体そのものと、日本古来の信仰が根っこにあったとか。だからそういった力を秘めた品物を落っことすことは、海が荒れる原因になるとして忌み嫌われたらしい」
ビールの空き缶が山積みとなり、酒瓶が次々封切られるようになると、しだいに話題はなぜか怪談へと移っていった。
「長崎では夜の浜辺で、沖合をじっと見つめている女が出るらしい。どうしたのかと声をかけると、パッとふり向き、耳をつんざくような声をあげて長い髪を巻きつけてくるんだとか。それで生血を吸われるとかいうそうだ」
岡添の情報網の広さには舌を巻かずにはいられない。かなりアルコールが入っているにもかかわらず、顔は赤いものの舌はよくまわり、話の内容は支離滅裂ではない。
「怖い怖い怖い……。まるで吸血鬼じゃないの。そんなことってあるの。きっと作り話だよね?」と、梅野は我が身を抱きながら言った。
「磯女のことか」と、謝花は鼻で笑いながら言った。「九州で、昔から伝わる怪談の一種だ」
「現れるのは盆の時期や大晦日が多く、呼びとめられて近づくものなら命を取られるとかいうらしい。だから長崎では海岸を歩くときゃあ、どんなに相手が美人だって、近づいてはならねえしきたりがあるそうだ」
「そう言われたって、おれは一発、ひっかかちゃうかも」
謝花老人が肩を揺らして笑った。
「話半分聞いた方がいいぞ、ウメ。磯女は上半身はふつうの人間で、べっぴんだが、下半分は幽霊みたいに透けているとかいうらしい。全身が水びたしで、髪は地べたにつくほど長い。海辺に一人で立っており、通った人間に、『魚をくれ』とねだるそうだ。気前よくくれてやると、磯女に取って食われるとかいったもんだ」
「あそー、それって、都市伝説みたいなもんだよね、ね、ね?」
「それはそうと、不帰浜には海女さんはいねえが、海女の多い三重の志摩あたりでも、おかしな言い伝えがある」と、岡添は声をひそめて言った。「海は豊かな幸を与えてくれる反面、天気によっては急に荒れ狂い、人食い鮫だって現れる死と隣り合わせの世界だ。そんな生と死の境界線だからこそ、おかしなものも現れるのかもしれん。――曇った日の海で、海女が一人で鮑採りをしてると、海の底で自分とソックリな姿の海女と出会うことがある。息継ぎするのに水面にあがり、あたりを見まわすのだが、誰もいない。そいつの正体は、トモカヅキと呼ばれる妖怪だと言われている。トモカヅキが現れると、手を伸ばして鮑を差し出してくるとか、手招きして、いい漁場へと誘ってくるともいう。もしも鮑をもらったり、そいつのあとについていったりすると、結果的に、潜水時間が長くなるわけだから、命を落としてしまうと言われている」
謝花が腕組みしたまま、
「だから海女たちは、手ぬぐいや鮑おこしって道具に、まじないを書いてるわけだ。格子状や星型のな」と、言った。
「このまじないこそ、『ドーマン』『セーマン』の印だ。陰陽師の安倍晴明で知られる星型のセーマンは、一筆書きで元の位置にもどるから、魔物がつけこむ余地がないと信じられた。同時に、一筆書きで元の場所にもどることは、つまり、『ぶじにもどって来られるように』との祈りをこめたとか」
岡添はとても酒が入ってるとは思えないような、達者な口ぶりだ。ときおり、舌を湿すように焼酎をあおった。それが呼び水となってさらに饒舌になった。
「へえ。まるでドッペルゲンガーみたいだな」と、粂田は眼をまるくした。
「トモカヅキとは、『同一の潜水者』という意味で、『かづく』とは『潜水すること(潜く)』を表す方言だとされている。昔は海女の亡霊ではないかとも言われていたが、これは医学的に見て、過酷で長時間の海中作業による疲れの蓄積や、低体温症による譫妄ではないか、というのがじっさいのところだろう。だから海女のあいだで、トモカヅキと出会った者は、大事をとって、すぐ仕事を休むのを常としたそうだ。潜ってると、つい、鮑を獲るのに夢中になりがちだからな」
「なるほど。幻覚が見えたりするのが、疲労のバロメータになるわけね」と、梅野は快活に笑った。「おれもパチンコに行きたくなったら、美津子にトモカヅキが見えたから仕事、控えるってウソつこっと」
「そんなの通用するか!」と、岡添が言うと、一同、爆笑した。
粂田は気持ちがなごんでいた。
若者のあいだで流行する荒唐無稽な怪談話には鼻にもかけない方だったが、焚火だけが光源のうらぶれた港では、この手の話は真に迫る説得力を感じ、思わず聞き入ってしまうのだった。
話の腰を折るつもりではなかったが、粂田はある疑問をぶつけることにした。
「……そういやこの漁村、不帰浜って、ずいぶん変わった名前だとまえから思ってたんだ。だって、行った者が帰ってこないって嫌な名前じゃないか。なにかいわくでもあるのか?」
「いわく――」岡添はグラスを持ったまま、氷像のように固まった。ドラム缶の焚火の炎を見つめたまま、まばたきもせず、「長年ここで暮らしてると、別だんふしぎとも思わなくなっちまったが、なるほどよそから来た人間にゃあ、引っかかるもんを感じるかもしれんな」
「素朴な疑問だ。不帰浜――。お世辞にも愉快な名前でもないだろ」
「そうか。俊郎に由来を話したことがなかったな」と、前かがみの謝花が沈んだ口ぶりで言った。
「たしかに縁起のいい漁村の名ではないかもな。『出漁した者、行ったきり帰ってこない』となると」眼のまえのドラム缶に薪を追加しながら岡添は言った。夢のように火の粉が舞いあがり、夢のように消えた。「よかろう。不帰浜と呼ばれるようになった経緯を聞かせてやるか。おまえさんもここの一員となるわけだから、たしかに知っておく必要はある。……それはこんな話だ」




