20.「どうりで卜部の奴、このご時世でも羽振りがいいわけだ」
いずれにせよ、ここ不帰浜と掠里も例外ではなく、ナガレボトケを海で拾っては漁師自身の自宅裏にひそかに祀ったりして、個人的に豊漁を祈願する者は少なくなかった。
が、時代が変遷するにつれ、倫理的な面から問題視されていったのは当然のことであろう。
外部にもれ、野蛮な行いだと、後ろ指さす者も現れたとしても、致し方のないことだった。いろんな圧力が入った。――現在ではほぼ皆無にひとしいにちがいない。
かつて富を独占する漁師ほど、じつは何体ものナガレボトケを隠し持っていたりしたものだ。
決定的なできごとに発展したのは、文禄元(一五九二)年、掠里出身の権力者の溺死体を、不帰浜の網元、儀兵衛が隠していたことが発覚。いさかいが生じたからだった。
はじめは疑いをかけられていただけにすぎなかった。
が、深夜、掠里の人間が儀兵衛の屋敷の敷地内に忍び込み、ナガレボトケを盗み出してから事態は悪化した。
掠里出身の溺死体である証拠をつかんだ。それを境に、ことあるごとに衝突するようになった。
ナガレボトケは船乗りにとって不幸な死であり、本来は供養してやるのが人道的といえた。その見返りとして豊漁を期待するのが通例だった。
ところが、不帰浜と掠里ではその習いが異なった。
溺死体を供養するどころか、豊漁の道具として使役させていたのだ。つまり、そこに安らかな眠りはなく、死してなおも労働させられたといってもよい。
重ねて言うように、ナガレボトケはエビスと同義である。エビスと同じ霊力をもつのであれば、いっそナガレボトケごと不漁の船に乗せて運気をあげ、大漁を願った。
恐るべきことに二村では、埋葬していた漂流死体の遺骨――場合によっては腐敗し、まだ白骨化になっていないものまでを船にのせて出漁した歴史があった。
儀兵衛の船に当たりが来なくなり、これはただごとではないと思い調べたところ、案の定ナガレボトケのいくつかが盗まれたうえ、船の帆柱に埋めこんでいた船霊であるサイコロや女ものの櫛、髪の毛の束まで持ち出されていのが明らかになった。
船霊は替わりを新調すれば解決するとして、これ以上のナガレボトケを失うわけにはいかない。
ナガレボトケは異界から神がよこした霊威の結晶であり、ありがたい寄り神である。
海上に漂っていたとしても、なかなかめぐり会えるものではなく、早い者勝ちなのだ。
いくら権力ある網元であっても、秘密裏に先を越されてしまえば、どうすることもできない。たとえ仲間内であろうともだ。
そんな事件を機に、残りのナガレボトケを隠蔽すべく、当時から座頭鯨の座礁伝説が生まれて間もない、いわくつきの卒塔婆島に移したのだ。
これも深夜、掠里の眼をあざむいて移設がおこなわれた。
卒塔婆島なら、当時から漁師は気味悪がって近づきたがらない。絶好の隠し場所といえた。
儀兵衛は祭礼と称して、ときおり島へ上陸し、豊漁を祈願した。
さらに新たな卒塔婆を立て、ますます気味が悪くなるよう演出するほどの念の入れようだった。
まさか、地元の人々が恐れるこの島に、エビスが隠されてあるとは夢にも思うまい。
卒塔婆は現在でも儀兵衛の末裔が定期的に立てているという。家伝に、豊漁を祈願しに島へ渡り、卒塔婆を立てて擬装しろと残されているほどなのだ。
「なーるほど、どうりで卜部の奴、このご時世でも羽振りがいいわけだ」と、岡添は得心したように言った。卜部は不帰浜漁業組合をも牛耳る網元であり、儀兵衛の末裔にあたった。「ときおり、奴の船が、夜、人目を忍んで出ていくのはそれだったんだな。いくら理由を聞いても、すっとぼけて怪しいと思ってたんだ。てっきり、泣瀬の秘密の漁場でもあって、網入れてたのかと思いきや、奴め、おれたちに内緒で、卒塔婆をおっ立てに行ってたわけか。さんざん島にゃ、鯨の怨念やらナニかが出るとかどうとかでおどかしてたが、それもこれも、おれたちさえ近づけさせないためのハッタリだったってか。――これは、してやられたな」と言い、額を叩いた。
「まさかそんな秘密があったなんて」と、梅野が女々しく泣き顔になって言った。「身内もだましてたなんて、いくらなんでもひどすぎるんじゃないの? やけに卜部ちゃんの船だけ、獲物を独占してたと思ったら、そんなカラクリがあったなんて……。っていうか、ナガレボトケそのものは知ってたけど、そんなにも効果があるもんなのかな。しょせん水死体は水死体じゃない。そんなの祀ったからって、なんで大漁になるの。科学的根拠なんてないでしょ?」
「迷信ならいいが」と言って、謝花はため息をついた。「どれほどの昔かは知らん。ある日、沖縄の方から巫女さん連中が船で逃げてきて、島に置き去りにして見殺しにした。そんな遺体さえもナガレボトケとして祀った負の歴史もあったらしい。なんと自前でエビスを作ってしまったってことだ。効果のない迷信なら、いずれバカバカしくなってやめちまうだろうが、代々続けてきたんだ。――効果があろうがあるまいが、ご先祖たちは信じて続けた。漁師として生きてくってことは必死なんだ。なにかにすがらなきゃならないほど。そこに科学が入り込む余地はないんだろう」
「盲目的に信じてきた信仰ってわけ。先輩がたは、なんともはや……」
「底引き網を曳いてる連中が、古い時代の人の頭蓋骨を拾いあげた日から、やけに大漁が続いたのを間近で見たぜ。それのおこぼれをもらおうと、仲間の船がハイエナみたいに尻についてまわったもんだ。ありゃ、ふしぎなもんだな。なにかご利益があるとしか思えん」
梅野が思い出したように手をあげた。
「そういや、巫女さんを殺して祀ったって話、聞いたことがある。神社の社務所に保管してる古文書にのってるって、神主が酒の席で言ってたっけ」
「巫女さんについては、おれも小耳にはさんだことがあったが――まさか島に置き去りにしたなんてね」岡添がうつむいて、首をふった。「それにしてもわからん。いったい、この兄さんは島でどんな体験をしたってんだ? おまけに全身煤だらけで、火傷もしてる。なにを思って、島を燃やそうとしたのか。夜中になにかを見たにちげえねえが」
謝花が焼け野原となった卒塔婆島の頂上をながめながら、
「長年、ナガレボトケをこき使った罰が当たったのかもな。墓地同然だった静かな場所に土足であがり込んだんだ。安らかに眠ってた仏も怒るってもんだ。それに、おまえらの悪戯も度がすぎた」
「結局、墓場だったってことか、ここは」
「怖い怖い怖い……。とにかく、早いとこ、ずらかりましょうよ。この兄さんを病院へつれていくべきだと思うんだけど」
粂田は心ここにあらずの状態から回復しそうもない。ぼんやりと虚ろな眼つきで、口は半開きのままだ。爆発したような髪の毛は滑稽だったが、誰も笑おうとはしなかった。
「なら、撤収するか。島の秘密を知ったことだし、おれもひとつ、お利巧さんになった。ウメに五万取られたのは痛い授業料になっちまったが」と、岡添が粂田の肩を抱いて立ちあがった。粂田はなすがままだ。「この分だと、兄さんも精神科にあずけないといけないかもな。さすがに申し訳ないことしちまった。まだ若いんだから、治療しだいで回復してくれればいいが」
「時が解決してくれるのを待つしかあるまい」と、謝花が声を落として言った。




