1.不帰浜漁港での歓迎会
靄のない冴えた四月の夜空に、コンパスでキリリと描いたかのような満月が浮かんでいた。
沖合のはるか向こうにだけ黒雲が広がり、鱗のような不吉な襞が幾重にもうねっていた。
手前には痩せた岬がせり出し、突端には魚介類供養塔とおぼしい石塔が斜めに突き刺さっていた。
不帰浜漁港は墓場のように人気がなくなっていた。
眠気を誘う潮騒。
ドラム缶の焚火から、ときおり薪の爆ぜる音が重なり、思わず飛びあがりそうになる。
即席のバーベキューコンロでは一夜干しのスルメイカが炙られ、香ばしい薫りをのぼらせ、Uの字にそり返っていた。
大皿には、いかにも漁師の手によって切られた肉厚のハマチの刺身がたっぷり盛られ、かたわらには缶ビールがピラミッド状に山積みになっており、清酒や焼酎のカラフルな一升瓶が彩りをそえていた。
はじけるような豪快な笑いが起こった。不帰浜で漁師歴の長い岡添と梅野が、なにやら猥談を交わしたのだ。すでに缶ビールが数本空になって握りつぶされ、ほどよくできあがっていた。
「まったく女癖の悪い星のもとに生まれたもんだな、ウメよ。いいかげん丸くならねえと、また美津子にどやされっぞ。いくら気の長い女でも、こんどばかりは最後通告をうけてもしょうがねえ」と、岡添がしゃがれた声で言った。
隣りの梅野が腰の低いコヨーテのように下卑た様子で、ヒヒヒという笑い声で答え、
「こればっかりは治おんねえよのよ。ガキの時分、盲腸で入院してたころから若い看護婦さんに添い寝してもらってたもの。それでもって、手とナニも出しちゃう」
「あきれた奴め。タケ坊んとこの息子にオカマ掘られて入院してたときだって、見舞いにきてた潤ちゃんも引っ張りこんでたろ。婦長とはおない年なんだ。洗いざらい全部聞いたぞ」
「あ痛」と、梅野が顔を引きつらせた。「いやー、岡やんの情報網には、頭あがんないな。……でもそれって、いまでいうコンブなんとか違反じゃないの?」
「それを言うなら、コンプライアンス違反だろ。塩昆布じゃあるめえし」
「あらー、無知さらしちゃったよ」
またもや爆笑が沸きおこった。
年かさの岡添は地元では網元につぐ老練な漁師で、身長は一九〇を超えるほどの大柄の男だ。
頭頂部は剥げあがり、横の生え残った毛は白いものが目立った。現役でありながら漁業組合員の幹部役員であり、近海で定置網漁をするかたわら、海苔の養殖と忙しい毎日を送っているとのことだ。
ときおり粂田を真っ向から見すえる眼は鋭く、出自を探るような警戒の色か、光りの加減で小動物を哀れむような深さも感じられなくもない。どちらとも解釈できる眼つきだった。
かたや梅野は小柄な、脂ののった五十代で、終始、剽軽に笑っているが、これも抜け目ない眼つきをしており、鼻がつぶれ、やや顎がしゃくれているのでふてぶてしい面構えだ。会話の合いの手に死肉を漁る獣じみた笑い声を入れるのが癖らしい。癇に障る声だった。
ハマチの養殖で生計を立てており、下腹が突き出ているものの、養殖場では忍者そこのけに動きまわるらしい。刺身としてふるまわれたものも彼の差し入れだという。粂田が舌鼓を打つたび、「どうよ、うまいだろ?」と、ねちっこいぐらい感想をもとめた。
アフロヘアーの粂田 俊郎は、左横の謝花老人を見た。
謝花は粂田の母方の親戚にあたる人物で、七十半ばをとうに超えていた。
海の男らしい真っ黒に日焼けした無口な人で、焚火の炎を見つめたまま焼酎を舐めるように口にしている。端的に言うなれば、小柄な日本版『老人と海』のサンチャゴ老人といったところか。すっかり背筋がまるくなり、かつての近寄りがたい威厳はなりをひそめている。
かつては肝っ玉の太い漁師だった。盆正月のたびに帰省するたび、出漁した姿こそ目にしたことはなかったが、作業小屋のなかで、日がな一日飽きることなく漁具や網を修繕していたものだ。一見すると節くれだった手は不器用に見えるが、たくみに網を手直ししていく仕事ぶりに見入ったものだ。
もっともそれも遠い昔で、漁師を引退し、いつも港の突堤を陣取り、飽きることなく釣竿をさし出している日々を送っているという。
いずれにせよこの三人は不帰浜というちっぽけなコミュニティに縛られ、幸福か否かどうあれ年相応の、大地に根を張った生き方をしてきた。
それにくらべ、粂田ときたら四十の大台にのるというのに、浮草そのものの流されるがままの人生を送ってきた。
しかもこの男、尻の青いころから、やくざの構成員だったのだ。学生時代から極真空手で鍛えた腕っぷしと強心臓を見こまれ、ふしぎと人望も篤かったこともあり、一時は舎弟頭補佐の地位にまでのぼりつめた。
ところがあるとき、芝崎組の芝崎組長の姐である千景に手を出し、ほどなく密会がバレてしまった。
組長に知られたら、破門どころではすまされない。千景とは早々手を切り、行方をくらませた。顔まで整形をほどこし、生き抜いてきたのだ。
もともと黒人のクォーターで、肌の色こそ日本人のそれながら、彫りの深い顔立ちをしており、おまけに見た目インパクト絶大な、鳥の巣そこのけのアフロヘアーをしていた。上背が異様に高く、脚はさながらカモシカのようにたくましく長かった。ハイビスカスの花柄の入ったアロハシャツにスラックスと雪駄履きでこの宴会に参加していた。
不運が重なるもので、ショットバーのウエイターを解雇されたうえ、粂田が住んでいた都内のアパートが火災にあい、やむなく放浪するはめになった。それで思うところがあり、謝花をたよってこの寂れた漁村を訪ねたのだった。
不帰浜は世帯数が一二〇〇足らずで、人口二九六二人の、ご多分に漏れず過疎高齢化により落ちぶれた小集落にすぎず、おおかたの成人の男が海にくり出し、苦しい生活を強いられていた。富める者は指折りで数えるほどだった。若い世代は都市部へ逃げていき、両親と離別したきり、帰ってこないこともめずらしくなかった。貧しい漁村は人の絆さえ希薄にした。
漁村は確実に死につつあった。
次世代の漁師が加わるのは、よほど奇特な人物じゃないかぎり望むべくもない。なんとか漁師仲間としてねじこんでもらい、ここいらで自身の碇をおろそうかと粂田はかるく考えていた。てっきり、無条件におろせるのではないかと高をくくっていた。
仮に漁師でなくとも、山陰の、都市部から見放された感の飛地であり、ましてや岬に抱かれる形の共同体は、訳ありの者が余生をすごすには適しているように思えた。じっさい山陰自動車道からは集落は見渡せず、国道九号線から分岐したうねうねと続く細道を進まないと到達することはできない。
そんなわけで、謝花老人は漁師のなかでリーダー格である岡添をかき口説き、こうして新参者を紹介し、親睦を深める意味で酒席をもうけたわけだ。
――が、これは生ぬるい歓迎会ではない。新参者を受け入れるか否かの面接であると同時に、不帰浜における暗黙のルールを叩きこむための課外授業でもあったのだ。