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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とある独裁者への断罪

作者: 霧嶺アオ






 ぼくは高いところに立って群衆を見下ろしていた。美しい顔、美しくない顔、壮健な顔、病弱な顔、幼い顔、年老いた顔、髭の生えた顔、傷ついた顔、何処かで見たことがあるような顔、ふっくらした顔、女の顔、男の顔、顔、顔、顔、顔顔顔顔顔顔顔ーー。数えきれないほどの顔はそれぞれが異なる特徴をもってぼくの目に映る。だが、そのようなことは何も問題ではない。問題は彼らの眼だ。誰もが陶酔し、興奮の冷めやらぬ、狂気めいた目でこちらを見つめているのだ。吐き気がする。これを悍ましいといわず、なんと表現すれば良いのか。だが、ぼくはやらなければならない。それはぼくの役割で、それをすることがぼくの生きる意味、いや、生きることのできる意味そのものなのだから。ぼくは息を大きく吸って、大仰な身ぶりで手を広げ、出来るだけ柔らかく、美しく見えるように、人を殺せるほどの慈愛をもって、微笑んでみせる。それと同時に啜り泣きの声が漏れ始める。 ああ、とてもさむい、寒くてたまらない。でも、ぼくは笑わなきゃいけない。深呼吸。震える右手をもう片方の手でおさえて、拡声器を握る。



「皆様、今日はお集まり頂き、有難うございます」微笑む。「今日という素晴らしい日に貴方方と過ごすことができて、わたしはとても幸せです」わらう。一部で漏れていた嗚咽が共鳴、伝播し、会場を一体にし、啜り泣きは慟哭へと変わっていく。「わたしには謝らないといけないことがあるのです。そしてそれはわたしたちの祖国のために必要なことなのです」真摯さを籠めて込めて、混める。唇を震わせ、涙を一筋。語る、騙る、語りを重ねる、朗々と、気高く、美しく、流れるように。




 そして締めの言葉。

「ーー我々は今、祖国のために立ち上がり、敵国を滅ぼさなければなりません。ただ、平和を愛している同胞の、我々の安寧を脅かす彼の国を我らが慈愛をもって救う、それだけが唯一残された道。さあ、今立ち上がり、愛を、夢を、希望を、未来を取り戻すのです!」


 ぼくが力を込めて、言葉を締めくくると涙を浮かべた顔たちが沸き立ち、歓声を上げる。熱狂、狂気、気概、概悪の根源……。頭を回るのは言葉遊びのような奇妙な感慨と脱力感。






 演説が終わると、様々な家財道具や衣服、貴重な宝石類や護身のための武器、食糧などを持った顔たちがぼくの前に並ぶ。


「これを国のために!我らが祖国に栄光あれ!」


 泣きながら、手の中にあるものをぼくに差し出す顔たち、ひとつひとつに微笑み、その手を取る。それはきっと彼らの手をすり抜けたものたち。ぼくの後ろで寂しげに沈黙している。


「ありがとうございます、貴方の想いはきっと、いまをより良いものへと変えるでしょう。一緒に未来を見ましょうね。我らが祖国に、民に栄光あれ」耳障りの良い言葉。だがそれに感情を、込める。ぼくはぼくを演じきる。例えそれが偽りであったとしても、真摯なものであるように。 ぼくがぼくであることを赦されるために。






 あれだけ大量にいた顔たちは潮が引くように去っていき、今は誰も残っていない。ただ、ぼくとひとつの顔、いや、ひとりの男だけを除いては。誰よりも醜悪で、誰よりも醜い身体で、誰よりも理性的に狂気を満たした澱んだ瞳でぼくを見ている。男は口を歪めると、ぼくの肩に手を置き、もう片方の手それは短くて芋虫みたいーー、でぼくの頬に触れる。


「よくやったな。今日は特別に褒めて遣わそう。後でおれの部屋に来い。期待しているぞ」


「はい。ーーお父様」


 ぼくはお父様の道具だ。見に余る期待を背負い続けること、それがぼくの役目、そう、割り切らなきゃ、生きてはいけない。お父様は、満足気に嗤うと馬車に乗って先に去っていった。相対する恐怖から解放されて、少し身体が震えた。さむい、どうしてこんなに寒いのだろう。空には高く太陽が昇り、街頭を眩く照らしているというのに。身を抱くように腕を組む。目がちかちかして、視界に浮く銀色の、細かく散る埃のような光をぼうと見つめた。きらきらして綺麗。


「イドラ様。早くお戻りになりましょう。旦那様がお待ちです」


 侍女、くすんだ金髪を一つに結んでいる、がぼくの肩に毛布をかけ、無表情に口を動かす。他の侍女たちは、群衆から受け取った荷物を忙しなく大きな馬車に積んでいる。まだ、今日は終わらない。


「そうだね。お父様をお待たせしてはいけない」


 ぼくが頷くと、一瞬だけその無表情に色が混じった。それを何と呼ぶのか、なんて知りはしないけれども。一際立派で、豪華、しかし中から外は見えないようになっている馬車に、侍女の手を借りて乗り込む。そして目を閉じる。それから屋敷に着くまでの間、ぼくは束の間の揺蕩いに身を任せ、父と母の顔を思い出していた。












 屋敷に到着すると、ぼくは綺麗に磨かれる。大きな姿見に映るのは天上の美貌、神々の作りし奇跡、ともてはやされるぼくの容貌だ。奇跡なんて、存在しやしないのに。これが神様の奇跡であるのなら神はなんと残酷なのだろう。月の光のように神秘的に輝く白金色の髪、朝が訪れる少し前の青を映す瞳、しみひとつない白い肌ーー。侍女たちはぼくの髪を梳き、花の香りのする油で綺麗に整える。壊れ物を扱うように身体を洗われる。ぼくはただ座って、壁の一点を見つめるだけで。息を吸う。胸がかすかにきりり、と痛む。





 準備が整うと、ぼくはお父様の部屋を訪れる。侍女はぼくの前で頭を下げると去っていく。ぼくはひとり、重々しい扉を叩く。

「失礼します」

「入れ」


 お父様は唇を歪ませ、ぼくを見る。葡萄酒を傾ける、半ばほど残っている葉巻を灰皿に押し付けて消す、真っ赤な椅子、立派でとても重厚、から立ち上がる。部屋は嫌な臭いがする。古いインク、毒々しい花、煙草、酒、男。ぼくの髪に、肌に、頬に、首に、短い指が伸びる。鳥肌が立ちそうになるのを堪える。ぼくは口角を上げてみせる、上手く笑えているだろうか。お父様は何かを決めたように頷く。その瞳から、感情を窺い知ることはできない。



「今日はよくやった。ゆっくり休め」



 お父様は今日は呆気ないほどに早く、労いの言葉とともにぼくを解放した。その目の興味はすでにぼくから離れ、大量に積もった書類たちに戻っている。再び葉巻の煙が部屋に立ち込め始めると、ぼくの仕事は終わりだ。絹で出来たシャツのボタンを上まで留め、上着を羽織る。扉の前で頭を下げる。


「失礼致しました」


 返事はない。音を立てないように扉を閉める。今日は、安息な、ぼくのぼくだけの夜を過ごすことができそうだ、と胸をなでおろす。早く部屋に戻ろう。戻ろう、帰ろう。







 自室に戻ると天蓋付きのベッドに潜り込み、豪奢だが物の少ない殺風景な部屋の景色を遮断し、厚い真っ白な羽毛布団にくるまる。さむい。胸を指す痛みの正体が解らなくて、とても不気味だ。痺れるような、どこか甘い頭痛。思考が鈍っているのを感じる。目を閉じる。靄が頭を支配していく。ずぶずぶと堕ちていく眠りに、ただ身を浸している、その妙な心地良さ。顔にかかる前髪が払われるのを感じたような気がする。眠りにおちる寸前まで、頭の奥で何処かで聞いたことがあるような音楽が響いていた。哀しげなハーモニィ、眠りに落ちる、おちる、墜ちていく……。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

 



 ぼくは起き抜けのコーヒーを飲んでいる。鼻腔をくすぐる芳香。外では小鳥が鳴いている。侍女が一枚の紙を持ってくる。お父様からの使命だ。しかし、それには何も書いていない。持ってくる紙を間違えたのだろうか。


「旦那様からの言伝です。今日はイドラ様自ら演説の内容を考えるよう、だそうです」



 

 頭が真っ白になる。ぼくはぼくを演じるために、ぼくの言葉で話したことがあっただろうか。ぼくのぼくであるためのぼくの信じる、お父様の道具であるぼくは、ぼくの言葉でみんなのために……。

 ぼくはお父様の言葉を思い出しながら、真っ白な紙にペンを走らせる。赤いインク、下手くそな文字、籠めるべき感情が分からない。必死で書き上げた紙は真っ赤で、血を流しているみたいに見えた。








 ぼくは高いところに立って群衆を見下ろしていた。沢山の顔たちが陶酔して……、いや、憎々しげにぼくを見つめている。


「この悪魔め!」「イドラ様に体を返せ!」


 イドラとはぼくのことだ。どうなっているのだろう。それでもぼくは微笑んで見せる。怒号が増す、石が投げられる、痛い。シミひとつない肌に傷が増えていく。どうしてぼくは此処に立っているのだろう。気がつくと、壇上にお父様が立っている。哀しげに、口を開く。


「イドラ様は悪魔に取り憑かれてしまいました」何だよそれ。「昨今の戦戦が停滞し、敵国に屈辱を許しているのも、その悪魔のせいです」何を言っているんだ。興奮が狂気的に、増していく。「今、その罪を、穢れを、終わらせイドラ様を救わねばなりません。それがこのわたくしめに託された宿命なのです」涙を流している。


 立ち尽くすぼくの耳元で、お父様が小さく囁く。「お前はもう、イドラではない」ーーその瞬間激しい痛みが身を貫く。

 気がつくと、赤色の中に倒れていた。インクだろうか、いや、これはぼくの血の色だ。喉に詰まった血痰を吐き出す。震える手を背中に伸ばそうとする。届かない。ぼくのいのちが溢れていく。最後に血を流したのはいつだったっけ、と場違いな感傷。ただひたすらに熱くてさむい。どうしてこうなったのだろう。赤く染まった視界、遠くから聞こえてくる声。何も分からない。わからない。



「イドラ様」

 侍女の声。その目線はぼくのほうを向いていない。お父様は笑っている。遠ざかる記憶の中で、喝采の中に立つ、眩い太陽の金髪と、夕暮れのオレンジの瞳を見た、気がした……。


テーマは偶像としての独裁者です。救いがないですね……。

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