②
西に傾き始めた太陽が今日一番の輝きで、流れる雲すらも茜色に染め上げている。昼間よりも少し冷たくなった風、燃える空を見上げれば、変わりゆく自然の息づかいを感じることが出来る。屋敷に閉じこもり部屋の窓から見ていた景色と同じものなのに、感じる美しさは段違いだ。空の美しさに目を奪われていると、遠くに集落が見えた。昨日泊まった村よりも大きく人も多そうだ。集落を囲む柵は随分と立派で、入り口には轟々と燃える松明が焚かれ見張りのような人も見える。
「今日はあの町に泊まろう。」
二日酔いから立ち直ったメルルはいつもの調子を取り戻していた。ちょっと前までトロトロと走っていた馬車は、いつも通り安定した速さで町の入り口へと向かっていった。
「こんばんは。」
「おう!メルルじゃねぇか。」
メルルの挨拶に簡単な武装をしたおじさんが気安げな調子で答える。どうやらこの町でもメルルは人気者のようだ。
「こんな時間に誰かと思ったぜ。この辺りは治安が良いって言っても夜になりゃ魔物だって出るんだぜ。」
「すみません。飲み過ぎて寝坊しちゃったもので。」
「まぁ何事も無かったみたいだし、良かったがよ。酒は飲んでも呑まれるなってな!わはははは。」
「ふふっ。その通りですね。」
何か二人して笑ってるけど結構危なかったんじゃ。夜には魔物が出るって言ってたし!なに寝坊してんのこの人!
「メルルが来たってことは、明日の晩飯はちぃーとばかり豪華になるな。楽しみだぜー。」
「羨ましいですねー。今回はエト村で仕入れた新鮮な野菜や川魚の干物なんかがおすすめですよ。」
「干物をあてに酒を飲む。くぁー想像するだけで涎がでるぜ。じゅる。」
「奥さんにはしっかりおすすめしておきますよ。」
「おう!頼んだぜ!」
そして二人はがっしりと握手を交わしていた。仲良すぎじゃない?そして昨日泊まった村、エト村って言うんだ。
町にはすんなりと入ることが出来た。メルルへの対応を見るに最早顔なじみなのだろう。初めて来た僕もメルルの弟子と言うことで特に怪しまれることもなかった。まだ子供と言うのもあるだろうけど、もしも一人で来ていたらどうなっていたんだろう。
馬車をおじさんに預け、僕らは歩き出す。町の中の様子はエト村を大きくした感じだった。家はたくさんあったし造りも丈夫そうだった。人もいっぱいいそうだったが、もうすぐ日も落ちる時間と言うことで外に出ている人は少ない。行き交う人々は仕事帰りだろうか。土で汚れたズボンに汗まみれのシャツ。疲れきった顔ばかりだが表情は一様に明るい。愛する家族の元に帰るのだろう。足取りが軽い。すれ違った人たちは皆、「おうっ!」とか「やあ」とか声を掛けてくる。メルルは一人一人に挨拶をしながら足を進める。僕はメルルの後を追いながらそんな様子を見つめていた。誰もが今日を精一杯生きてる。そんな風に感じた。
メルルが足を止めたのは町の中でも一際大きい建物だった。おそらくは町長の家だろう。メルルは玄関の扉を少し開けると「こんばんはー」と家の中に声を掛けた。ほどなくして誰かが出て来るのが分かった。
「おやおや、メルルさん。」
「ご無沙汰しております。町長。」
挨拶を済ませた僕らは早速中に案内され、またもや始まる宴会。お酒が入り、陽気になった二人の間に飛び交う言葉の応酬を眺め、時折、不意打ちのように繰り出される町長さんの質問になんとか答える。しばしそんな時間が続いた。外はすっかり暗くなり静寂に包まれているというのに、この宴会は一体いつまで続くのだろうか。さすがに眠くなってきて頭を揺らしていると、メルルが寝室まで連れて行ってくれた。押し入れに仕舞ってあった布団を敷き横になる。襖の向こうからは二人の楽しそうな声が聞こえる。どうやら町長さんは独り暮らしのようだから誰かと話しをするのが楽しいみたいだ。
瞼を閉じると、暗い部屋の中で感じていた僅かな光すら見えなくなる。楽しそうな二人の笑い声も段々と遠くなっていき、静けさが広がって深い深い闇の中に落ちていくような感覚に陥る。僕はこの瞬間が好きだ。眠りにつく前の静寂が好きだ。昔は一人になるのが寂しくて怖くて布団の中で泣いていた。でもいつからだろうか。一人が辛くなくなったのは。慣れなのかも知れない。一人は辛くない。全然平気だ。でも好きじゃない。まるで家畜のように食事と寝床を与えられ、自由に外にも出られない生活には耐えられなかった。家族を恨んでしまいそうになるほどに。母さんとは誤解もあったが家を出た事は間違いではないと思う。貴族の家には隠さなくてはならない事など無いほうが良いだろうし、僕だってあの頃は生かされてると言う実感しか無かった…。
屋敷を飛び出して初めて知った。空の美しさ、色んな風の匂い、大地を歩く感触の違い、一つ一つ形や色の違う草花の面白さ、そして家族以外の人たち。僕を嫌わず蔑みもしないが、特別扱いもしない無関係なのに優しい人たち。でも一言、言葉を交わせば無関係ではなくなるんだ。色んな人に出会った。村長さんや町長さん、トマトをくれたおじさん、パワフルなおばさんたち、そしてメルル。メルルは本当に優しい。もしメルルと出会わなかったらどうなっていただろうか。僕はまだまだ子供だ。身包み剥がされて震えていたかも知れないし、魔物に襲われて死んでいたかも知れない。今、改めて考えると背筋に寒いものが走るがこんな感覚も初めてだ。生きてるって感じがする。あぁ、世界がどんどん広がっていく様だ。
ただ、一つだけ変わらないものがあった。それは、夜の静けさだ。新しいものを見たり感じたりするのは楽しい。でも今はこの静けさが心地良い。見慣れない土地でも同じように感じる、昔から好きだったこの静けさが心地良い───。
───そして僕は、深い深い闇の中に身も心も委ねた。
淡い光が瞼をくすぐり、鳥のさえずりが鼓膜を叩く。早起きな人たちが動き始める気配や、息を吸い込むたびに感じる美味しそうな匂いが、闇に沈んだ意識を刺激する。重たい瞼をなんとか持ち上げると、眩い光が瞳にささる。一気に覚醒へと近付く意識。昔は嫌いだった一日の始まりも今は期待で一杯だ。
さぁ!起きよう!!
「おはようございます。」
朝ご飯の匂いに誘われて居間に辿りつくと町長がお茶を飲んでいた。挨拶を交わし、ぎこちないながらも会話をしていると炊事場からご飯を作る気配を感じた。どうやらメルルが朝ご飯の準備をしているみたいだ。
野菜と干し肉の旨味がしみ出したスープにカリカリに焼かれたパンが今日のメニューみたいだ。溢れ出る唾液と空腹を訴える腹の虫がうるさい。町長が手を合わせ祈りの言葉を紡ぐ。メルルと僕も同じように手を合わせ目を閉じ祈る。
(…大地の恵みに感謝を。いただきます。)
祈りが終わると、まずはスープを手に取り一口。口一杯に広がる野菜と干し肉の旨味。渇いた喉を潤しながら空腹の胃に滑り落ちる。「はぁ~」と幸せに満ちた吐息が漏れた。次にパンを手に取る。カリカリに焼けたパンを力一杯引っぱると湯気を上げながら真っ二つにさけた。中はふわふわだ!右手のパンにかぶりつく。カリッとしたかと思えばふわっとする。ほどよい塩味にほのかな甘味がなんとも美味しい。あっと言う間に右手のパンを食べてしまった。口の中をスープで落ち着かせ、具材を頬張る。おそらくこの町で採れたであろう野菜は甘く、干し肉は何の肉か分からないけど、ガツンと力強い。両方の旨味が溶けたスープが野菜と肉どちらの味も引き立てている様だ。気付けば具は消えてスープだけになっている。おもむろに、左手に持ったままだったパンをスープに浸す。たっぷりとスープを吸ったパンを口の中へ。うまい!食べては浸す、繰り返すこと三回。最後に残ったスープを飲み干して、ごちそうさまでした!
朝食を食べ終えた僕は、メルルの手伝いをする事にした。とは言ってもほとんど見てるだけなんだけど…。メルルが店を開くと次から次へと人が集まってきてすぐに賑わい始めた。新鮮な野菜や果物、日保ちする様に加工された肉や魚、そして麦酒や葡萄酒などがどんどん売れていく。昨日門番のおじさんが言っていた通り今日の晩ご飯は豪華になりそうだ。昼が近づく頃には荷台に積んであった商品はほとんど無くなった。町民たちの満足そうな顔を見れば、自給自足が基本となっている町や村で、メルルの様な行商人が歓迎される理由が分かった気がした。
空になった荷台を見て満足そうな顔をするメルルは店を畳むと馬を歩かせて町長の家に向かった。
「町長、今回も稼がせて頂きました。ありがとう御座います。」
「いえいえ、こちらこそ。こんな小さな町に来て下さる行商人はメルルさんくらいですからね~。いつも助かります。」
「私は私の好きな所で好きな人と商売がしたいだけですよ。」
「メルルさんも変わってますな~。大きな都市やそれこそ王都では儲け話など沢山ありそうなものですけどね。」
「まぁそんな話も聞きますが、私はのんびりと旅でもしながら物を売る方が性に合ってますね。」
「ではまたいらして下さる日を楽しみにしてますよ。」
メルルは町長と軽い挨拶を交わし、町で余分に余っている麦や野菜などを買い込んだ。荷物の積み込みを手伝い準備が整ったらいよいよ出発だ。町を出ると収穫の時期が迫った春麦が太陽の光を受けて黄金の輝きを放っている。ついつい美しい景色に見とれてしまう。ふとメルルが紙袋を差し出してきた。受け取って袋を開けてみると中から食欲をそそる匂いが漂ってきた。中から一つパンを取り出し馬車を操るメルルに渡し、自分の分も取り出す。ふわふわの白パンに挟まれた肉とトマトと葉野菜。メルルが言うにはレタスと言うらしい。匂いだけで美味しいのが分かる。たまらず僕はかぶりつく。持っただけで分かるふわふわの白パンはほんのりと甘く肉のうまみを十分に吸っている。肉は固い干し肉ではなく新鮮な庭鶏の肉だった。庭鶏は比較的安価な肉で家畜としてどこでも育てられている動物だが、一般的に肉はすぐに悪くなってしまうので干し肉以外で食べる機会は少ない。パリッと焼かれた鶏皮と脂ののった鶏肉は、口の中でほぐれてそのうまみを解放する。鶏肉の味を際立たせると同時に後味をさっぱりとさせてくれる野菜も合わせて素晴らしく美味しかった。
それからしばらくは同じような町や村を回り、色んな人を見て色んな景色に見とれた。あとは色んな美味しいものを食べた。そして故郷を飛び出して七日目の昼過ぎに僕は王都の巨大な門を目にした。
───圧倒。
言葉が出なかった。余りにも巨大な門とそこから伸びる防壁は左右を見回しても終わりが見えない。オルトラント領と比べてもあまりの大きさに言葉を失ってしまった。王門と呼ばれる巨大な門は王都の南北に一つずつあり、王族のみが開くことを許されるそうだ。オルトラント領は王都の東に位置しており、少しずつ南下しながら移動したため、南王門側に出たようだ。東門がある方へ進むと長い行列ができていた。東門も十分に大きく、あの行列ですら待つことなく入れそうだが、貴族でも無い限り門番の検査を受けなくてはいけないらしい。行列に並んでからしばらく、やっと僕たちの番がやってきた。
「身分証を。」
そう言って門番が手を差し出してきた。メルルは懐からカードを取り出し門番に差し出す。ステータスカードと呼ばれるそれは、成人の儀式を受けた際に必ず渡される物だが、十二歳の僕は十五歳で受ける成人の儀式をまだ受けていない為、当然持っていない。メルルがその事を門番の人に伝えてくれた。
「では、奥の部屋で検査を受けてもらう。こいつについて行け。お前は行っていいぞ。」
そう言ってもう一人の門番を指す。メルルは通過の許可を貰えたみたいだ。と言うことは、メルルとはここでお別れかな…。そう思ってメルルの方を向けば右手が差し出される。僕はこの七日でメルルという人を本当に好きになってしまった。差し出された右手をしっかりと握り返した。感謝の気持ちが伝わるように。
「メルルさん、あなたに出会えて本当に良かった。ここまで本当にお世話になりました。ありがとう。」
「こちらこそ、楽しい旅になったよ。君が立派な兵士になってくれることを願ってるよ。またいずれ会える日が来るさ。」
「はい。きっと立派な兵士になって見せます!今度会う時は僕もお酒を飲みたいですね。それでは…。」
そして僕は早く来いと態度で急かす門番に奥の部屋へ連れて行かれた。メルルと別れた寂しさを上回る今後への期待で、気持ちは高まるばかり。部屋に案内されるとすぐに検査が始まった。
「まずは武器を預からせてもらう。」
僕は静かに武器を渡す。門番は武器をくるんでいた布を取りはらい、武器の検査を始めた。
「中々良い剣だ。お前の年では買えないだろう?どこで手に入れた?」
門番はまるで“盗んだのでは”とでも言いたげな視線で僕に質問をした。
「お世話になった方に頂きました。」
なんらやましいことのない僕は胸を張り目をそらす事無く、堂々とした態度で返答した。これでも一応は貴族の家に生まれた身だ。こんな時にどんな態度をとれば良いのかくらいは分かっている。
「まぁいいだろう。都内での抜剣は禁止だぞ。いかなる理由があろうとも剣を抜いた時点で罰が下ると心せよ。」
「はい。」
何があっても剣を抜く事は罪…。例え襲われる事があってもか…。
「では、この水晶に触れてくれ。」
そう言って目の前に置かれたのは片手で持てる程の透明な水晶だった。
「これは?」
「これは鑑定水晶と言って対象のステータスを可視化する物だ。さぁ、手を。」
ステータス。それが何なのかと言われればその人物が身につけた技術や能力であり、成人の儀式後に渡されるカードはこのステータスを表示する物の事だ。罪を犯した者はカードを剥奪される為、このカードは身分証の役割も果たしている。
自分の能力を見るというのは以外と緊張するものだな…。何の能力も持ってないかも知れないし、自分も知らない能力を知れる機会でもある。
僕は恐る恐る水晶に触れた。
水晶の上空に浮かび上がる幻影。ステータスウィンドウと呼ばれるものに僕のステータスが浮かび上がった。
【ステータス】
【Name】
ルークス・オルトラント
【Race】
デミヒューマン
【Skill】
闇魔法適正(Ⅴ)
闇魔法耐性(Ⅴ)
孤独耐性(Ⅱ)
【Gift】
闇精霊の祝福(+Ⅲ)
闇精霊の加護(+Ⅲ)