物語の始まり
かなり長く時間がかかってしまいました。
物語を書くのはやはり難しいです。
人間種が誕生する遥かな昔、神話の時代があった。
太陽神ソリスを祖とする天族と暗黒神ノアを祖とする魔族は、世界の覇権を賭けた永きに渡る戦いを続けてきた。絶大な力を持つ両種族の戦いは天を裂き海を割り、大地を砕いた。やがて一つの大陸は、戦いの影響によって二つに分かれ、それぞれの種族は別々の大陸に移り住んだ。天族の住む大陸はアルカディア大陸、魔族の住む大陸はアルカトラス大陸と呼ばれている。
それから永く平和な時代が続き、戦いの記憶も薄れ始めた頃、一体の魔族が誕生する。
後に語られる名を終焉の魔王エンドラーと言った。
アルカトラス大陸。大陸外縁部は広大な森林地帯に囲まれていた。大陸中の魔素と瘴気を吸収し、黒く巨大に生長した木々は、あらゆる光を遮り、常闇の世界を作り出していた。真夜中、森の奥深くでエンドラーはひっそりと誰にも知られる事無く生まれ落ちた。漆黒の髪に浅黒い肌、闇の化身とも言える姿に黄金の瞳が妖しく光る。彼の触れた草木は枯れ、歩いた大地は荒れ地になった。この日、大陸を囲むように広がっていた森林地帯は、一晩にして不毛の土地となった。
アルカトラス大陸を囲むように広がっていた森「囲いの森」の役割は主に三つあったと思われる。まずは天敵でもある天族の侵入を阻む事、二つ目が魔族を大陸から出さない為の檻である。暗く険しく、かつ凶悪な魔獣たちがいるとなれば魔族であっても深入りはできない。この森が自然にできたという事実は、世界の意思とも言えるものが争いを望んでいなかったと言う事だろう。そして三つ目の役割、これこそが最も重要な役割であったと思われる。それは瘴気を吸収する事である。魔族が住み始めて幾億年、緑の豊かだった大陸は魔族の影響を受けずに存続することは不可能だった。大陸の至る所から瘴気が噴き出し、瘴気を吸った木々はどす黒く巨大に生長した。巨大な黒い森に囲まれたアルカトラス大陸は、まさに魔族たちの監獄だった。時代が動いたのは一体の魔族の誕生と「囲いの森」の消滅である。戦火の足音が近づいてきていた。
一方のアルカディア大陸は繁栄の道を歩んでいた。天空に輝く太陽は、雨の日も陰らず常に人々を照らしていた。大陸を治める国は一つ、頂く王も一人。ソルスティ王国、第八代太陽王イル=ガルシアス・ディア・ソルスティ。豊作でない時はなく、飢えに苦しむ民もいない。民に貧富の差はなく、競争もない。競争がなければ争いは生まれない。完全なる理想郷がそこにあった。しかしながら、永遠に続くものなど存在しないように、平和の崩壊は突然始まったのだ。
最初の兆しは小さなものだった。気付いた者もいるかどうかと言う程の兆し。人々がそれに気付いたのは、地面に不自然な影が出来た時だった。余りにも巨大な影が平地のど真ん中に突如として現れたのである。不思議に思った人々は天を見上げて絶句したことだろう。太陽の至る所が黒く変色していたのだから。黒点は日に日に大きくなり、やがて黒く塗りつぶされた太陽は輝きを失っていた。「黒陽の呪日」と呼ばれる日以降、ソルスティ王国の繁栄には影が差し込んだ。作物の収穫量は著しく減少し、各地で食糧難となった。不作という現象を知らない彼らは備蓄の重要性を知らず、また収穫量を増やす工夫や努力を持たなかったのだ。飢える事の恐怖は彼らの精神を蝕み、王国中で食糧を巡る争いが起き始めたのだった。王国始まって以来の危機に王を始め為政者達は頭を悩ませたが、ここにきて新たな問題が報告された。各地で魔族が出現し、甚大な被害が出ているというのだ。余りにもタイミングが良すぎる。永きに渡り沈黙を守ってきた魔族が、王国の混乱に乗じて動き出した。魔族による侵攻。この場にいる誰もが疑わずにはいられなかった。当然、魔族出現の情報は瞬く間に民衆の間にも広がり、誰がつぶやいたのか「黒陽化の原因は魔族だ!」「魔族滅ぼすべし!」と言う声が民の間で叫ばれるようになった。第八代太陽王イル=ガルシアスは、半ば民の声に扇動されるように魔族討伐の聖戦を決意した。天族によるアルカトラス大陸侵攻が始まった。天魔大戦の勃発である。
───天魔大戦。天と魔が支配する古き時代を滅ぼし、人の支配する新たなる時代の始まりとなる戦いである。
歴史とは繰り返されるものである。一度火のついた両軍の戦いは苛烈を極めた。ここ数千年に渡り平和な時を過ごしてきた天族はその数を激増させ、数の力の前に勝利は容易であると思われた。しかしながら、その予測は裏切られることになる。対峙する魔族の一体一体が強大な力を有し、天族の大群を圧倒してみせたのだ。その強さを目にしたガルシアスは民衆すらも導引し、まさに種の存亡を懸けた戦いへと発展した。
魔族たちの住むアルカトラス大陸は弱肉強食の世界であった。弱い者は淘汰され、強い者のみが生存を許される世界。天族たちが長い平和を謳歌する間、魔族たちは常に己の爪を研ぎ、戦略を磨き、生存のための競争を繰り返してきたのだ。魔族の総数はおよそ千体ほどだが、その全てが一騎当千の猛者であった。
百万にも及ぶ天族の攻撃はわずか千体の魔族に防がれた。天族にとっては悪夢のようであっただろう。しかし、本当の悪夢はこれから始まったのだ。己の力のみを信じ、何者にも縛られない、究極の個人主義であるはずの魔族たちが連携を取り始めたのだ。そればかりが、強襲、奇襲、撤退と明らかに何者かの指示の元戦略的に戦い始めた。拮抗していた戦闘は徐々に魔族の勝利に偏ってきていた。
最早、王も兵士も民も関係ない。この戦いに勝利しなければ魔族の支配する暗黒時代が始まることだろう。ガルシアスは苦戦する戦闘のさなかにそんな事を思い、剣を握る両手に力を込めた。総力戦であった。己を鼓舞し、兵士を鼓舞し、民を導いた。多くの犠牲を払い一体一体魔族を撃退していく。誰もが必死だった。極限状態の中、兵士たちは己の成長を感じ、遥か格上の相手に対応する者も現れた。休まず続けられた戦闘により多くの仲間の命が散った。全ては光輝く未来のために。残る魔族は三体。味方の数はおよそ五千。この地獄を生き延びた精鋭たちである。ガルシアスは天族の勝利を確信し、目の前の魔族に剣を振り下ろす。至る所に傷をつけられ、満身創痍の魔族にはその攻撃を防ぐ力は残されていなかった。一刀両断。ガルシアスは勝利の雄叫びを上げた。そして、残る二カ所でも雄叫びが上がった。沸き上がる勝利の喜び。生き残った五千の天族たちの叫びが天高く響いた。
そして、
───絶望が戦場に舞い降りた。
勝利の叫びは一瞬にして絶望の叫びへと変わった。それは、まさに暴力の嵐。突然現れた魔族が瞬く間に周囲の仲間の命を奪ったのである。
瞬時に臨戦態勢に入る天族たち。ガルシアスも油断なく敵を見据える。目の前の魔族の姿は今まで戦ってきた魔族たちに比べて小さく、先程の襲撃を行った者だとは信じられなかった。一瞬にしてその魔族を取り囲む天族たち。彼らの目にも油断はなかった。しかし、何体もの魔族を相手にし、激戦を生き残った戦士たちがその魔族を前に一歩も動けずにいた。周囲を五千もの敵に囲まれながら全く動揺する素振りも見せない魔族。ガルシアスの背に冷たい汗が走る。今までの魔族とは何かが違う。底知れない闇の深みを見たときの様な言い知れない恐怖に襲われる。
「何者であるか?」
震える心はその正体を探るかのように疑問を口にした。魔族がこちらを向き、黄金の瞳と目が合った。美しいとさえ感じる瞳の奥に潜むのは絶望か怒りか。しばらくの沈黙の後、最後の魔族が口を開いた。
「我が名はエンドラー。魔の総意である。」
何か不快な音を聞いたときの様な嫌悪感が広がった。
「魔の総意とは?」
精神を蝕む不快感に耐え、隙をうかがう。
「遥か昔、お前ら天族に討たれた同胞たちの怨み。そして、我らを閉じ込めた世界への復讐である。」
突然目の前の魔族から瘴気が溢れ出した。何千年もの間蓄積された怨嗟の思いが瘴気となって周囲の天族たちを襲う。心の弱い者は一瞬で絶命し、生き残った者たちも等しく心を蝕む瘴気の影響を受けた。
「残る魔族は我一人。それでは最後の戦いを始めようではないか。我の勝利により暗黒時代の幕を開けるとしよう。」
臨戦態勢に入るエンドラー。
時間を与えたのは失敗であったとガルシアスは思った。だが今更後悔しても遅い。エンドラーが臨戦態勢に入ると同時にガルシアスもまた気を引き締め、戦う意思の残る仲間たちに攻撃の命令をあげた。
「一斉にかかれ!命を懸けよ!世界の命運をかけた戦いである!」
そして、ガルシアスも仲間と一緒に攻撃を開始した。
休む間もなく攻めたてる戦士たちの攻撃はいとも簡単にいなされ、仲間たちが次々と討ち取られていく。その光景は彼我の実力差を明確にし、仲間たちの心を折るには十分であった。
「立て!戦士たちよ!」
ガルシアスは仲間たちの心を繋ぎ止めるように自ら前に出る。振り下ろす剣は簡単に躱され、鋭い手刀が突きいれられた。攻撃に集中していた体は、その鋭い突きに対応できなかった。左肩を貫かれ左腕は力なく垂れ下がる。
「王!お下がりください!」
王の勇姿に勇気を得た戦士たちがエンドラーに一斉に飛びかかる。実力の差は歴然。次々に討ち取られ、地面に転がる仲間たち。
「何体でかかって来ようと我には勝てぬわ!」
エンドラーが声を荒げる。
気が付けばガルシアスとエンドラーのみが対峙していた。
「戦士たちよ…」
ガルシアスの悲痛な呟きだけが虚しく響いた。
「残るは我と主のみ。勝者が次の世界の支配者と成ろう。」
その言葉には、勝利を確信したかのような余裕が込められていた。
「私は、負けられぬ。命を懸けてお前を倒す!」
倒れた仲間たちの無念を思い、また世界の、天族の未来を背負い決意を固める。
対峙する二体。張り詰めた緊張が戦場を支配する。両者が動き出そうとしたその時、天から光の柱が降りた。その光がガルシアスを包み込む。
「なんだ?」
ガルシアスは突然の出来事に体を硬くし、エンドラーは静かに様子を窺っている。すると、光を浴びたガルシアスの体から傷が消え、重傷を負っていた左肩の傷も完全に塞がっていた。
『守護者の資質を確認しました。』
女性らしい声が戦場に響き、言葉が終わると同時に光の柱も消えた。後に残ったのは全快したガルシアスと憎らしげに天を見上げるエンドラー。
そこから始まった戦いは、決戦と呼ぶにふさわしく、世界の在り方を変えるほど苛烈を極めた。戦場となった大地は砕け、裂け、または隆起し、天候は絶え間なく転変した。ガルシアスは溢れ出す力に驚きを隠せずにいた。振り下ろした剣は敵の正面を捉え、認識出来なかった攻撃を躱し、または受け止める。
互いに一歩も譲らない戦闘は互いの身を切り、体力を削り、精神を疲弊させた。満身創痍の両者。天と魔。善と悪。秩序と混沌。決して相容れない両者は互いの正義をぶつけ合う。
そして、決着の時は近付く。最後の最後に勝敗を分けたものは、世界への思いか、または守護の意志か。ガルシアスの剣がエンドラーの心臓を深く深く貫いた。
「私の勝ちだ。」
「ぐっ…。」
苦悶の表情を浮かべるエンドラー。
「…ただではやられぬ。ただではやられぬぞ!」
ガルシアスの剣がより深く突き刺さる事も厭わずエンドラーは前に出る。その両腕がガルシアスの体を掴み、逃れる事を許さない。エンドラーから放出された高密度の瘴気がガルシアスの体を焼き精神を蝕む。
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ・・・・。」
ガルシアスは全身に走る強烈な痛みに声を上げ、束縛から逃れようと全ての力を両腕に込める。拮抗する力と力。全ての力を使い果たす寸前、不意に全身を束縛する力が弱まった。
崩れ落ちるエンドラー。その表情は怒りと無念が混ざり合ったような醜さに固まっていた。
足下に横たわる死体を見下ろす。喜びは無い。ただ安堵の気持ちだけがあった。
ゴフッ。大量の血を吐き出し地面を赤く濡らす。傷だらけの体、焼きただれ腐り始めた両腕。定まらない思考に近付きつつある死の恐怖。体も心もとうに限界を超えていた。両足は体を支える力を失い、エンドラーの横たわる大地に膝をつく。霞む視界にエンドラーの体から湧き出す暗黒の光が、天に昇っていくのが見える。
「死してなお世界の崩壊を望むか…。」
ゴハッ。血。黒くドロリとした血は自らの死期が近付いていることを悟らせるには十分だった。周りを見渡せば仲間たちの死体が転がっている。立ち上がる力を失った体では近くに寄って抱き上げることも叶わない。霞む瞳は一番近くの仲間の顔すら満足に見させてくれない。自分以外の仲間を全て失い、自らも死につつある。この世界に守るべきものなどまだあるのだろうか?
ふと、一陣の風が吹いた。乾いた風だった。何かが焼け焦げた様な臭いや血の臭いが混ざった風は、否が応にも世界の終わりを連想させる。大地に目を向け両手を着ける。そこには新たな命を育む生命力など感じられない。瞳を閉じれば豊かな緑に囲まれた故郷の姿が思い出される。暮らす者の居なくなった故郷は遠くない未来に自然に帰るのだろう。淋しくはあるが悲しくはない。我らもまた世界の一部なのだから…。だが、この大地を見よ。瘴気を浴び生命力を失った大地だ。もしこれが世界中に広がれば、想像する事すら恐ろしい死の世界になるのではないだろうか。エンドラーの体からは今もなお暗黒の光が出続けている。空は一層暗さを増し、時折吹く風は瘴気を孕んでいる。世界はゆっくりと、しかし着実に終焉へと歩みを進めていた。
「終わらせてなるものか。」
守るべきものはすぐ側にあった。常に我らを守ってくれていたもの。世界というものはあまりに近く、あまりに遠く、あまりに大きい。危機に至り初めて気付くとは…。もう永くはないこの命、最後にあなたの未来のために。
「終焉を呼ぶ魔王よ。汝の望みは叶わない。」
「未来に生きる命に幸あれ。」
そしてガルシアスはエンドラーの体から出る光を塞ぐように覆い被さった。
ほどなくして、戦場から生者は居なくなった。
フワリ。フワリ。
重なり合う二つの死体から光が一つ、また一つと湧き出し天へ昇る。美しい緑色の光だった。その光は止めどなく湧き出し、いつしか世界を満たした。
『興味深いですわね。』
『どうかいたしましたか?神ステイシア。』
『いえ、どうやら一つの時代が終わった様ですね。』
『何か手を打ちましょうか?』
『無用です。世界の滅亡の危機は去ったようですから。』
『かしこまりました。』
ステイシアは優しい眼差しで世界を見下ろす。二つの種族の戦いと滅亡、一つの時代の終焉。魔族が予想を上回る力で世界を滅亡させようとしたことには少々驚いた。天族の戦士に力を与え防いだが、これから世界はどう変わっていくのだろうか…。世界に満ちた光。それは神であるステイシアですら知らない新たな力を感じた。この世界にどのような影響を与えるのか。新たな時代の幕開けに期待と不安を抱きながら、それでも私は見守る事を選択した。世界の優しさを知っているから。世界の厳しさとそこに生きる者たちの強さを見てきたから。私は何もしない。今はまだ見守るのみです。
────数千年か数万年、あるいは数億年の時を経て
この世界に新たなる命が誕生した。
新たなる種族、光と闇の間に生きる者、善と悪を併せ持つ者、秩序と混沌の間で生きる者たち。
人間種の時代が始まろうとしていた。