夏 6
私は、自動販売機まで行くつもりの財布だけを手にもった姿のまま、驚いた顔をしている麻里に吸い寄せられるように近づいていった。
ホテルの正面玄関を出てみると、中から見ていたよりもたくさんのファンがいた。彼女らが中から出てきた私を注目しているようでなんとも気恥ずかしい。実際はそんなことはなく、「K’sじゃなかった……」と落胆されているだけなのだけど。
白い制服を来て、タクシーから降りた宿泊客を案内していたホテルマンが荷物を乗せたカートを押して通りすぎた。露骨に嫌な顔まではしていないが迷惑そうだ。それはそうだろう。ホテルにはK’s以外にもたくさんの宿泊客がいるのだから。その方たちに不快な思いをさせたくないという気持ちがにじみ出ているに違いない。車寄せにたむろするファンは明らかに営業妨害だった。
中から出てきて始めて客観的になれることもある。
麻里は興奮したように小走りに近づいてきた。
「ちょっと、由紀! あんたなんでこんなところにいるの?」
ホテルと、そしてそのロケーションにあまりにもそぐわない私を見比べる。
「ここのホテル、取れたの?」
麻里はライブのために私がここのホテルの部屋を取ったのだと思ったらしい。そりゃ驚くわ。
ここは一介の高校生がライブツアーのために宿をとるようなところではない。私は返答に迷った。
が、麻里は構うことなく会話を続けた。
「それなら好都合! あのね、ここにK’sが泊まってるって情報があってね。ホテルの中でK’s見なかった?」
見たよ、間近で。なんて言えない。
「え~、本当? 見なかったよ」
「やっぱり外には出て来てないかー。ねぇ、立ち入り禁止のフロアとか無かった?」
嘘が口から滑り出す。何かが喉にどんどん詰まってきて……苦しい。
「……気付かなかった。ホテルの人もなんにも言ってなかったし」
優越感なんて感じない。きっと私はいま、ぎこちない笑みになっているだろう。
「どしたの由紀? なんか私に隠してる?」
「え……」
麻里が訝しげに目を覗きこんだ。そこに何が映っているんだろう。
「……あの……松坂さん」
「え?」
「……鷹尾じゃん…………」
今、正面ロビーから出てきたのだろう、鷹尾の姿を認めて麻里がさらに目を見開き驚く。そして、鷹尾の提げるピンクのキャリーバックに目を落とす。
「それ……由紀のじゃんね」
春ツアーまで一緒に追っかけしていた私のキャリーバックを麻里が知らないわけがない。
「えーー! あんたたち、もしかしてそういう関係!?」
麻里が何を誤解したのか想像に難くない。鷹尾、頬を染めるな。
というか、カケルは学校でみる鷹尾になってそこにいた。これだけのファンに囲まれていながら誰も彼がK’sのカケルだと気付かない。
「ち、ちがうよ……そんなこと言ったら、松坂さんに失礼だよ」
鷹尾がオドオドとキャリーバックと封筒を差し出す。
「僕がぶつかって……その、服を汚しちゃったから……あの、これ。部屋に忘れていたよ。松坂さんのだよね。今回のことはごめん」
キャリーバックの取っ手と封筒を受けとる。キャリーバックは確かに自分のだが、こんな封筒は知らない。
だけど鷹尾の表情を見ていると、受け取らなくちゃいけないように思えて、緩慢な動きでそれを手にした。鷹尾はホッとしたような、微笑を見せる。
「それじゃ……」
あっさりと鷹尾はホテルに戻ってしまった。
さっきまでの強引さはなんだっていうくらいにあっさりだった。
私は拍子抜けして、そしてなぜかチクンと胸が傷んだ。
そして、私はその夜、麻里とともにホテルの前で出待ちをし……、麻里の予約した部屋に泊めてもらった。ひとりで予約している部屋を二人で使うのは厳密に言えばルール違反なんだけど、所持金三千円で大阪にいる私には屋根のあるベッドが欲しかった。
麻里が寝たあと、私は鷹尾がくれた封筒を開けてみた。中に入っていたのはファンクラブでとったどのチケットよりもいい席が印刷された夏ツアーのチケットだった。