夏 4
大阪に着いた私たちは、まず今日宿泊するホテルへと向かった。
一生泊まることのないような、は、言い過ぎだけど、もしかしたら玉の輿に乗ったら可能性はあるかもしれないけど、そうじゃなかったらまず泊まらない高級ホテル。
庄司マネージャーにむりやり偽装スタッフとして任務を与えられた私は、K’sの鞄持ちをしながら自分のキャリーバックを引いて後ろに続いた。
首には身分証明のカードを下げさせられている。
先に大阪に来ていたらしいスタッフの人たちに庄司マネージャーから紹介されたが、私は今回のツアー限定の臨時バイトという身分らしい。スタッフに紹介されるたびに胡散臭げにじろじろと見られて、何かがガリガリと削られる思いをした。ちなみにカオルとカケルは庄司マネージャーから「このまま松坂さんをツアーに何事もなく連れ歩きたければ余計な口を挟むな」と言い渡されていた。
部屋に入ってベッドの横に彼らの鞄を置いた。
部屋から見る大阪の街は迫力がある。東京の方が都市としては大きいはずなのに、なんていうんだろう。街からすごいエネルギーを感じる。
「へー、こんなところに泊まってたんだね」
ファンの間で臆測は流れるけれども、私はついぞK’sのホテルを当てたことはなかった。出待ち、入待ち、あわよくば同じホテルに泊まりたいと情報を色々探すのだが、ツアーの時期はどこも満室で、自分の部屋が取れただけでむしろ万々歳なのである。
ソファーに座ったカケルが苦笑して頷いた。
「それでもどうしてかいるんだよね、ファンの子。まあ、このフロアは貸し切りだから上がってこれないんだけど」
「へえ、そうなんだ」
感心して相づちを打てば、次は庄司マネージャーがずばっと斬りかかってきた。
「本当に大丈夫なの、この子」
「大丈夫。由紀は話したりしないよね」
カケルとカオルに、にこっと問いかけられて、ひきつりながら頷いた。
ただのファンだったときは知りたくて仕方がなかった情報なのに、今はそれら全てが私を縛る鎖だ。庄司さんには業務上の秘密厳守の宣誓書にもサインさせられたし、とんでも額の違約金なんて一生払えない。
それに……本当の恋人でもないのに恋人だってばらされて、被害を被るんでしょ、絶対口が割けても言いません。
最初の秘密は鷹尾が正体を隠して学校に来ていることだった。
それが、仮とはいえ恋人にされて……。
恋人じゃないのに、恋人だってばらされる?
あれぇ、それって私にとって不利なのかな。
なんだかおかしくない?
なんだかもやもやする。
「影響力のある人間が発したら嘘でも本当になるっていったよね」
目の前でシャッとカーテンが引かれて視界から大阪の街が消えると、後ろからぎゅうぎゅう抱きつかれた。こんなことするのは……。
「そんなの詐欺じゃん」
「情報操作っていうんだよ」
「嘘つき……」
カケルがフッと鼻で笑った、気がした。首筋にゾワリと刺激が走る。カケルの唇がそこに触れたのだ。
「本当の恋人にして欲しくなった?」
からかっているのがまるわかりで、でもその甘い声と首にかかる吐息に腰が砕けそうになった。好きだったK’sのカケルは嫌いな鷹尾で。今はもう自分の気持ちが分からない。
「そんなわけ……ない……」
「そういうと思った」
カケルが離れていくと同時に、身分証明のカードが首から抜き取られた。そしてそれはカケルのジーンズのポケットに納まる。
「なに……?」
カケルの行動の意味が分からなくて眉をしかめた。
「今から打ち合わせしてくるから由紀はここで大人しくしててね。逃げ出してもいいけど、スタッフ証がなくちゃここには戻れないって覚えておいて。この部屋から外にでなきゃ、何しててもいいよ」
そう言いおくと、カケルは部屋を出ていった。カオルと庄司マネージャーはすでにこの部屋から出ていたらしい。つまり、さっきまでは二人きりだったということだ。
寝起きを襲撃され半ば追い出されるように飛び出してきたから、私の財布には千円札が三枚しか入っていない。これじゃ、帰れない。飛行機はおろか新幹線も乗れない。
かつて大阪のライブにも追っかけてきていた私には、新幹線の相場くらいは知っている。
そして、私のスマホはここにあった。これひとつで世界に情報を発信できるというのに。私のことを信用してないんだか、信用してるんだか。カケルの気持ちがイマイチ分からない。
飛行機に乗っている間オフにしていた電源を今入れる。
着信メールは一件。用件は母からのおみやげリストだった。
視線を部屋の中に戻せば、ローテーブルの上にたくさんのお菓子が置いてあった。
「食べてもいいのかな」
なんだか突然色んなことが馬鹿らしくなって、私はそれらを食べることにした。
ソース味のたこやきまんじゅうには、当然というかタコは入っていなかった。なんだか悔しいから部屋の備え付け冷蔵庫からコーラを出して、自腹では絶対開けないプルトップを開けてやった。