春 2
「へ……カオル……?」
呆然とする私の二の腕を掴み、鷹尾が部屋の中に引き入れた。
「あーあ、松坂さんに知られちゃった」
言葉とは裏腹にどこか余裕の感じさせる表情の鷹尾は、リビングに通した私に冷えた麦茶を差し出した。その間も私はカオルから目が離せない。
私の頭の中は混乱していた。
「え、え、え……。鷹尾、カオルの知り合いなの? え、なんで?」
鷹尾は少し困ったような表情になる。
「知り合いっていうか……ねぇ」
同意を求めるようにカオルへと視線を送った。
「ねぇ」
と、カオルも意味深長に笑み返す。私だけが蚊帳の外だった。
「兄弟……とか?」
これほど似てない兄弟がいるものか、と思いつつも訊ねずにはいられなかった。
それを聞いて、カオルがぶはっとお腹を抱えて吹き出した。屈託のないこの笑顔こそカオルの最大の魅力だった。それをテレビ越しではなく、またステージまでの遠い距離もなしに生で見られているこの状態に、私は浮かれまくっていた。
完全に意識の外にシャットダウンしていた鷹尾は苦い顔をしていたが、視界には入っていない。
笑い涙を人指し指で拭いながら、どこか怖さを感じるような笑みを浮かべて、カオルが傍ににじり寄って来た。何をされるのか、何をされてもいいなんて思いながら、ドキドキと次の展開を待った。
カオルは私の背後にあるソファの背に手をついて、囲い込むようにしながら徐に口を開いた。
その時の私は、まさかの壁ドン状態に完全に脳が煮えたぎっていた。
「それより、さ。ここにカオルとカケルが住んでることは内緒ね」
魅惑的な笑顔でそう囁かれて、思わずこくんと肯首しかけた。耳だけは完全には舞い上がっていなかった私を褒めたい。
「え!! カケルもここに住んでるの?」
問いかけた私に、カオルは「あれ?」というような表情を見せた。テーブルの向こうにいる鷹尾は沈痛な面持ちで額に手を当てていた。
「俺、余計なこと言っちゃった……?」
「そうだな、俺の苦労が台無しだ、カオル」
「……すまん」
私もカオルと鷹尾の間を視線がせわしなく反復運動した。
え、まさか、カケルが鷹尾?
鷹尾がカケル?
鷹尾が不穏なオーラを漂わせながら、ゆっくりと近づいてきた。
「情報をどこかに売ってみろ、死ぬほど後悔させてやる」
「ひぃ!」
喉から引き攣るような悲鳴が出た。今日は色々な鷹尾の表情が見られた日だった。
その迫力に負けて、首が千切れるかと思うほど頷いた。
「言わない、絶対誰にも言わない!」
胡散臭げな視線を受けつつ、おずおずと交換条件を差し出してみた私はそうとう図太く出来ているのだと思う。
「言わないから、サイン頂戴?」
可愛く言ってみたつもりだったのだが、盛大に溜息を吐かれた。
「悪いけど。それ、何処で手に入れたって聞かれたら、アンタ喋るだろ、絶対」
鷹尾の言葉にカオルが反応した。
「え~、そんなに口軽いの? ……えっと、」
「……松坂、由紀、です」
「そんなに口が軽いの……ユキちゃん」
「……そんなことないと、思います」
一応自己弁護してみたけど、二人の男の子に胡乱げに見られるに終わってしまった。まったく信用されていない。
「アイドルの恋人ってさ、バレるといろいろ風当たり強いんだよね」
いきなり鷹尾がそう切り出した。それにカオルも乗っかる。
「付き合ったら付き合ったでパパラッチに私生活まで追いかけられるし、分かれても面白おかしく書かれるし」
「ファンにもさ、付き合ってるのばれたら絶対恨まれるよね」
「いやがらせ必至だね」
「な、なにが言いたいの?」
問いかけた言葉も完全無視で、さらに追い打ちを掛けられる羽目となった。
「由紀ちゃん、俺らのこと好きでしょ? 顔に書いてあるもん」
カオルがクスクスと笑いながら言った。思わず頬の辺りを擦って消そうとしてみる。その手首を鷹尾に取られた。
「夏ツアー行きたがってたよね。一緒に連れて行ってあげる。全国十二カ所もれなく。嬉しいでしょ? 補習も毎日付き合ってあげるよ、友達と遊ぶ暇もないくらい俺たちと一緒にいてもらうから」
にやりと鷹尾が黒く笑った。彼の本性はこっちだったのか、と冷や汗が背中を伝う。
「勉強も教えてあげるから心配しなくていいよ」
「あ、の、何の話……」
引き攣った顔で問えば、極上のアイドルスマイルで凄まれた。
「俺たちの恋人(仮)として扱ってあげるっていうこと」
その日の夕方、私は絆創膏を首筋に貼って帰る羽目となってしまった。つい左手がそれを隠すように首に触れる。
K’sが恋人。
仮とはいえ、みんなが羨むような立場のはずなのに、どうしてこんな暗澹たる気持ちにさせられてしまうのか。
鷹尾をいじめた罰なんだろうか。
今日一日の出来事を反芻して、真っ赤になって、穴を掘って埋まりたい気持ちになった。
(了)