秋 4
五時間目をサボってしまった私は、六時間目が始まる前に教室に戻った。それをめざとく見つけた麻里と、そしてなぜか柳本くんが席についた私の方へ近づいてきた。
「由紀、なんか、ごめんね。一緒に腹立てて幻滅だよね、って話題にしたかっただけなんだけどさ。そこまでカケルの事でショック受けるなんて思ってなくて……本当にごめん」
「麻里……」
「でもね、私も前に言ったけど、由紀はもう彼氏がいるんだから、鷹尾のためにもカケルを追いかけるのは、少し控えた方がいいよ? いくら鷹尾が学校に来てないからってさ」
「うん……」
「待ってるだけじゃなくて由紀から鷹尾に電話してみた?」
「うん、さっき」
でもろくに話もできずに切っちゃったけど。
「それで?」
「なんか忙しそうだったから、すぐに切っちゃった」
「そっか、でも電話には出たんだ」
「うん、まあ」
「……松坂さん、俺が鷹尾を呼び出してやるよ」
「え、柳本くん? どうして?」
柳本くんの急な申し出に驚いた。だって柳本くんにそんなことしてもらう理由ない。それに何をするつもりなの。
「だって松坂さんは麻里の親友だろ。彼女の親友の力になるのって変かな」
「ううん、ありがとう」
何をするのか、うまくいくのか、分からないけどその気持ちが嬉しかった。麻里、あんたの彼氏はかっこいいね。
一介の高校生である私たちが有村莉沙のツイッターで知り得たことを、タレントのスキャンダルを鵜の目鷹の目で狙っている芸能リポーターたちが気付かない訳がなかった。あっという間に推測、邪推の交じった『K’sカケル・グラビアアイドル有村』の熱愛報道はワイドショーとインターネットで日本中を、世界を駆け巡った。
それを受けて二人の所属するタレント事務所は、それぞれの反応をみせた。
K’sを抱えるヒカリゲンジプロダクションは交際の事実を否定。けれど、有村莉沙の所属するハッピーマネジメントは二人の関係を仄めかしたままクロともシロとも明言しなかった。世間はより面白いほうへと関心を向ける。それが例え事実ではなかったとしても。当然、芸能コメンテーターの見方は、ドラマ共演で近づいた二人に何かがあってもおかしくはないと、有村を支持する方向へと傾いた。
「オンナは度胸、オンナは度胸。もう、こうなったら当たって砕ければいいよ。うん、それこそ由紀らしい」
その呪文は自分のモチベーションを上げる為の呪文。
手持ちの中から一番大人っぽい服を着て、ヒールの靴を履き、薄く化粧をして夜の街へと飛び出した。
それからの私は、有村莉沙のツイッターの写真から僅かな手がかりを拾い集めて、有村莉沙とカケルが現れるかもしれないクラブを突き止めた。討ち入りをする赤穂浪士のような気分でネオンが煌めく界隈を鼻息荒く歩く。
そして行きついたのは『CLUB.J』。金プレートに黒の文字で書かれた屋号以外は何の装飾もないビル。でもそこはかとなく漂う高級感と秘密めいた雰囲気は、それだけで高校生である私を拒絶するかのように阻んだ。
樫の一枚板で出来ていそうな扉を開けると、執事のような格好をした男の人がカウンターに立っていた。その人は不躾にならない上品な視線で私を値踏みすると、会員制のクラブであること、未成年は入店できないことを私に諭した。
有村莉沙も未成年のはずだった。そしてカケルも。
だから何か抜け道があるはずだと、会って話をしないと何も始まらないと頭は打開策でぐるぐる回っていた。不意に男の肉厚な手を肩に感じた。誰かに肩に手を乗せられたのだと気付いたときには、その男は黒服の男に親しげな口調で話しかけていた。
「彼女はうちの新しいタレントなんだ。今日は内々のお披露目でね。見逃してやってくれないだろうか」
「……フジムラさま。……かしこまりました」
男は肩に手を乗せたまま、上着のポケットから薄い金属のカードを黒服に見せた。黒服の男が深々と礼をする前を、男に背中を押されてさらに奥の扉を開いた。
クラブというからには、耳が痛くなるような音楽がギンギンに鳴っているのかと思ったが、予想を大きく外して、静かな大人の空間だった。
有村莉沙のツイッターの画像で見た、蒼い照明でライトアップされたバーカウンター。半個室のように仕切られたソファー席。背の高いテーブルは立ったままグラスを手に歓談している男女が囲んでいた。背の高い、手足の長い、とても顔立ちの整ったモデルのような男女。
ソファー席にはどこか見た事のある芸人さんが、きれいな女の人と会話している。
どこを見ても別世界で……店内を見回してもカケルはいなかった。
そうだよね、いつもいるわけじゃないのに、どうして私突っ走っちゃったんだろう。
押されるままに奥のソファー席に座らされた私は、ここに自分がいることの異様さに気付き始めていた。渡りに舟と中に連れて入って貰えたのは良かったけど、このままここにいるのは危険な気がする。
どうして私、入口で断らなかったんだろう。私はタレントなんかじゃありませんって言わなかったんだろう。黒服のお兄さんだって、こんな平凡な顔をした私がタレントの訳がないって気付いたはずだ。
危険な予感がして、どうして着いて来てしまったのか自己嫌悪でいっぱいになった。
目の前にオレンジ色の液体が入ったグラスが置かれた。指紋なんて一つも付いていない磨かれたグラスに情けない顔をした自分の顔が映る。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。何か訳ありかな。ただのタレントの追っかけにも見えなくてね。ついお節介を焼いてしまった」
フジムラだと黒服が呼んでいた男は壮年の男性で、優しげな表情でオレンジジュースを勧めてくれた。
「良かったら訳を聞かせて貰えるかな。何か力になれるかもしれない」
そう言われて「はいそうですか」と事情を話すバカがどこにいるだろう。
手を伸ばすこともなく、ただオレンジジュースの入ったグラスに映る自分の顔を見つめていた。
頭のなかは、どうしたら帰れるだろうの一択のみ。
男がここの会員ということは、彼もまた芸能界の人間なのだろう。ウチのタレントとかなんとか言っていたことから、タレント事務所の人間かもしれないと当たりをつけた。そんな思考は海千山千の大人にはお見通しだったのだろう。
フジムラは胸ポケットから銀色のカード入れを出すと、私の前に名刺を置いた。
『フジムラ興行』
タレント事務所なんてたくさんあるだろう。それでも大手どころは耳にも入るが、フジムラ興行という社名は聞いたことがなかった。
「僕はここの社長をしていてね。よくアイドルとお近づきになりたいなんていう動機でタレントを目指す女の子なんかを見かけるんだけど、大概はすぐに辞めてしまう。この業界の水に馴れなくてね。でも君は少し違うようだ。意志も強そうだし……」
ちらりとフジムラの視線が胸や太ももなんかに注がれた気がして、居心地の悪さを感じる。
「君がその気なら力を貸すよ。さっきの嘘を本当にしてしまえばいい。雲の上の存在だった俳優やアイドルとも同等の立場になれる。スキャンダルさえ逆手にとってしたたかに生きればいい。金も男も、仕事も世界さえ君次第では足元に跪かせればいい」
ソファの奥に座らされていた私は、横に座るフジムラに出口を塞がれ、チェシャ猫のような嘘臭いフジムラの笑みの前でただ、震えて座っているしか出来なかった。




